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星屑ノスタルジア

―あなたの世界もとへ、届け。

《 第一部 》
 ―おはよう。
 耳もとで聞こえる、子守唄のような誰かの声。
 少女は長いまつげを揺らしながら、そっとまぶたを開きました。
"そこにいるのは誰?"
 ぽつり、ささめいた言葉の音符が、あたたかな海風に乗って舞い上がります。
 少女はあたりを見まわしました。
 けれど、誰の姿も見えません。
 それもそのはず。
 この世界には、少女しかいないのです。
 それなのに、どこからか聞こえる誰かの声が、心のドアをノックするように、もう一度耳をくすぐります。
 ―おはよう。
 少女はゆっくりとまばたきをしました。
 それから、おもむろに頭上を見上げます。
 両手を左右にめいっぱい伸ばしても足りないほどの、広い広い星空が、少女を優しく見下ろします。
 少女は微笑み、呟きました。
"ああ、わかったわ。今の声はあなたね"
 口もとにやわらかな笑みを浮かべたまま、少女は上空に手を伸ばします。
 紺藍の空には、幾億と輝く硝子の欠片のような星々。
 その中でも、いちばん白く明るく光るものを指さしました。
 少女はくちびるに手をあてて、くすくすと笑いながら言いました。
"悪戯好きだけど、とてもかわいい友達ね"
 少女はワルツを踊るように、楽しげにくるりと回ります。
 白いワンピースのスカートをひらめかせ、鼻唄まじりに、そして気ままに、銀の砂の上をどこまでも裸足のままで歩いていきます。
 星の降る音が届きます。
 風の遊ぶ声が弾みます。
 少女は胸をいっぱいに膨らませ、きらきらと光る透明な空気を吸い込みました。
 波に揺れる深い溟海も。
 たゆたいながら流れる時間も。
 ここにあるすべてのものが、少女の大事な大事な『友達』でした。

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《 第二部 》
 押し寄せては返すさざなみを見つめ続け、やがて小さな両の手では数えきれなくなった頃。
 時が経ち、年が過ぎ、少女は少しずつ大人に近づいていきました。
 背が伸びました。
 髪が伸びました。
 海面に映る自分の顔が、昔よりもほんの少しだけ大人びたような気がしました。
 大人になることは、少女にとってとても嬉しいものでした。
 けれど、なぜか胸の奥の隅のほうに、小さな虚しさを憶える日が増えたのです。
 その理由を、少女はひとり考えました。
 成長するにつれて得たもの。
 それは、以前見えなかったものが見えるようになったこと。
 幼い頃は届かなかった、あの大きな石の上に乗ることができます。
 幼い頃は掴めなかった、あの高い木の枝に触れることができます。
 成長するにつれて失ったもの。
 それは、以前見えていたものが見えなくなってしまったこと。
 幼い頃は聞こえていた、海風の歌声を感じることができません。
 幼い頃は遊んでいた、星たちの笑い声を聞き取ることができません。
 遠い昔、幼い頃。
 少女がよく会話をしていた星や海や貝殻たちは、確かにそこにいるはずなのに、なぜだか声が聞こえないのです。
 少女は苦しくなりました。
 張り裂けそうな胸を、小さな両手でぎゅっと押さえます。
 そう、ついに少女は気づいてしまったのです。
 この世界には、自分だけしかいないことに。
 寂しさの意味に。
 哀しさの理由に。
 今まで感じたことのない、ひとりぼっちという『孤独』の痛みに。
 少女が大人になって失ったものは、大切な大切な“友達”でした。
 大きな宝物をなくした少女は泣きました。
 泣いて、泣いて、泣き疲れて、眠って。
 そして、ふたたび泣きました。
 けれど、どんなに大声で泣き叫んだところで、失ったものは戻ってきません。
 少女は泣きはらした赤い目をこすり、砂浜の上にひざをつきました。
 それから、そっと両手を胸の前で組み合わせます。
 少女は生まれて初めて、幼い頃の友達であった星たちに、あえかな祈りを捧げました。
 お話しのできる友達が欲しいと。
 ずっと一緒にいられる友達が欲しいと。
 もしそれが叶うのならば、この世界のことを、きっともっと好きになれるから―。

《 第三部 》
 少女は歌が好きでした。
 肌を優しく撫でる夜風に乗せて、少女は毎日歌をうたって過ごしました。
 うたいながら想いを馳せる相手は、いつも同じです。
 細かな星屑を密に散らした、蒼い海のこと。
 繊細でたおやかな光を放つ、双子の月のこと。
 指のあいだからさらさらと零れ落ちる、白砂のこと。
 北極の空に浮かぶオーロラ色に輝いた、貝殻のこと。
 少女のうたう歌たちは、必ず昔の友達についてでした。
 そうしてまたいつものように、いくつもの旋律を奏でながら揺れるさざなみを蹴って、砂子の海辺を歩いていたときのことです。
 少女はつま先にこつんとなにかが当たるのを感じました。
 打ち寄せる波にスカートが濡れないように、裾をまくってゆっくりと屈みます。
 そして、足もとにあるものを、そっと両手ですくいあげました。
 そこにあったのは、ひとつの小瓶。
 透明な硝子に、コルクの蓋。
 高く掲げて月の光に当ててみると、中には白い小さな便箋が一枚入っていました。
 少女は不思議に思い、首をかしげました。
 こんな小瓶を流した記憶は、今までに一度もありません。
 なのになぜ、ここにはそれがあるのでしょう。
 少女はその手紙を取り出して、ひとりそっと読みました。
 そこには、鉛筆で書かれた、たったひとつのメッセージがありました。
―ぼくとおともだちになってください。”
 少女はとても驚きました。
 丸い瞳が、さらに大きくなるくらいに。
 ぱちぱちと二回ほどまばたきをして、もう一度その文字を指でなぞります。
 少女は手紙の意味を理解して、すぐに嬉しくなりました。
 嬉しくて、嬉しくて、その手紙と小瓶を、胸にぎゅっと抱きしめました。
 この世界にいるのは自分だけじゃない。
 お話しができる相手がいる。
 そう思えただけで、虹色の想いたちが胸の奥から込み上げます。
 少女はひとりぼっちなんかではなかったのです。
 あまりの嬉しさに泣き出してしまいそうになった少女は、くちびるをきゅっと噛みしめました。
 そしてもう一度、手紙をじっと見つめます。
 両手にぐっと力が込められました。
 この手紙を書いた子は、友達を欲しがっています。
 少女も同じ気持ちでした。
 それならば、考えることはただひとつしかありません。

 この子のために、絵を描こう。物語を作ろう。
 そしてまたこの小瓶に入れて、蒼い海へと委ねよう。
 ―この世界でたったひとりの大事な友達である、あなたのもとへと届くように。

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