『なつかぜ』
Illustration:鳴海マイカさん
theme:『なつかぜ』
お題提供:青柳朔さん

Author:三等さん


 ――暑い。
 いまのわたしの気持ちを表すのに、これほど適切な言葉があるだろうか。いや、ない。絶対ない。今年の最高気温を早くも記録しようかという猛暑日に外を出歩いて、それ以外の余計なことを考えられる人がいるなら会ってみたいものだ。とにかく、暑い。
 なにかこちらに恨みでもあるのか、というくらい容赦なく陽射しを降らせる太陽なんて見上げる気もおきず、だらだらと通い慣れた道を歩く。
 海沿いの小さな街。見える景色はもう十何年も前から変わらない。変化があったといえば国道近くにショッピングモールができたくらいで、どれだけ初詣にお祈りしても徒歩圏内にコンビニは増えてくれなかった。
 都会から見れば田舎だけど、頭に「ど」がつくほどじゃない。普通に暮らす分にはそれなりに便利で、快適と呼ぶにはあと何歩か努力が必要な、静かな土地。
 それが、わたしが生まれて十六年暮らしてきた街に捧げる心からの評価だった。


 代わり映えのしない景色の中を進んでいくと、ぽつぽつ並ぶ民家に紛れて、ひときわ小さな古いお店が身を縮めるようにして建っている。
 「いまどき珍しい」といわざるをえない木造の二階建て。だけど、その外観を見ていると不思議と気持ちが和む。まるで家主の性格が滲みでているかのような、温もりのある可愛らしいお店。
 わたしのお祖母ちゃんが子供だった頃からあるというそこは、歴史と伝統を背負う由緒正しい『駄菓子屋さん』だった。
 暖簾で区切られた店先には、アイスが並ぶ横長の冷凍庫と休憩用のベンチ。その上に、
「あ、裏切りもの」
 もはや見飽きたといっても過言ではない幼なじみが、だらしなく両足を投げ出して座っていた。
「……なんだよ、裏切り者って」
 言い返す表情は相変わらずの仏頂面。この殺人的な暑さのせいか、ヤツの機嫌はよけいに悪いようだ。
「ハルさー。ふつう可愛い幼なじみが先生に用事を頼まれたら、『手伝おうか?』の一言くらいあってしかるべきなんじゃないの?」
「そんな決まり知らねぇし、そもそも可愛い幼なじみって誰だよ? 寝言は寝てからいえ」
 打てば響く、とはまさにこのこと。ちょっとふざけたら倍以上のトゲトゲした言葉が返ってくる。
 こんなくだらないやりとりですら、もう何年繰り返してきたかわからない。
 見ようによっては理知的に感じられる鋭い切れ長の眼と、手入れなんてまるでしてないくせにニキビひとつない綺麗な肌。生まれつき色素の薄いサラサラの髪が羨ましくも腹立たしいこいつは、保育園から腐れ縁が続くわたしの幼なじみだった。
 腐れ縁。わたしたちの関係を表すにはピッタリの言葉だ。
 小さな頃からずっと一緒で、つかず離れず今日までやってきた。仲はたぶん良い方だと思う。男女の友達関係にありがちな、小学校高学年あたりから気まずくて疎遠に……なんてことも、特になく。というより、近くにいるのが当たり前すぎて、どう意識を変えればいいのかすら分からなかった。
『友達以上、家族未満』
 きっとお互いの認識はそんな感じだ。わたしたちの間に胸を締めつけるような甘酸っぱい感情なんて、欠片も存在しない。
 昔から同じ。この街の景色みたいに、ずっと変わらないもの。
 それが、もう十二年以上になるわたしたちの付き合い方だった。
「……で、なんの用だよ」

 ――そのはずなんだけど。

 んー、なんだろう? ここのところ、上手くいかないというかなんというか。この無愛想な幼なじみ殿の態度が、いつにも増してとげとげしい。
 わたし、なんかしたっけ? いくら思い出そうとしても、特に失敗した記憶はない。――うん、いつも通り……だよね?
「別に用事なんてないけど……あ。そういえば、もう身体よくなったの?」
 微妙に重苦しい空気に耐えきれず、ちょっと身体を気遣う方向に話を逸らしてみた。
 滅多に体調を崩さないハルは、長期休暇を前にして珍しく夏風邪をひいていた。といってもそれは一週間前の出来事だし、学校に出てきてるんだから大丈夫だとは思うけど、念のため。
 ひょっとしたら、まだ体調が悪くて不機嫌なのかもしれないしね。
「悪かったら学校なんかきてねぇよ」
 ……ですよねー。
 案の定、にべもなく切り捨てられた。
 それにしても、これはかなりご立腹のようだ。よっぽどなにか気に障ることがあったらしい。でなければ、いつも飄々としたこの幼なじみが、ここまで怒ることもないだろう。
 本気で思い出すべきだろうか? 指先でこめかみをぐりぐり押してみる。うーん………………あ。
 ひょっとして、あれのこと?
「ご、ごめん」
「……は?」
「ほら、この前お見舞いに行ったとき、持っていった桃缶ほとんどわたしが食べちゃったでしょ? それで怒ってるのかなーって……ごめんね。あんた甘いの苦手だから、あんまり食べないだろうと思ったんだけど。で、でも、食べたいならいってくれればよかったのに!」
「お前…………俺が苦手だと分かってるもんをわざわざ見舞いに持ってきたのか? そういやお前、桃好きだったよなぁ」
 ……おっと、墓穴か? 麗しいお顔に壮絶な表情を浮かべていらっしゃる。おかげで背中がゾクッと冷たくなった。
 どうやらわたしは燃え盛る炎に石油をぶちまけたらしい。いくら後悔してもあとのまつり。これはかなり絞られるだろうと硬直するわたしの前で、なぜか幼なじみ殿は片手で顔を覆って、深い溜め息を吐いた。……そんなに食べたかったんだろうか? 桃缶。
「あの、ごめんね? 今度また桃缶買ってきてあげるから」
「うるさい。いらんわ、そんなもん」
 そ、そんなもんとはなんだ! 桃缶だぞ! 白と黄色でまた違った味わいが楽しめるんだぞーっ! と内心で怒り狂っていると、再び溜め息を吐く音が聴こえてきた。
「……いや、ごめん。言いすぎた。……チトセは謝らなくていい、悪いのは俺だ」
 そういって、力なく項垂れる。……なに? どうしちゃったの? いつになく不安定なハルの姿に、さすがのわたしも心配になってきた。
「ねぇ、ホントに大丈夫?」
 こんなこと、今日が初めてだ。どちらかといえば泣いたりヘコんだりするのはわたしの方で、この不機嫌顔がデフォルトの幼なじみは、いつも黙ってずっと隣にいてくれた。
 特になにをいうでもなく、ただ黙々と。わたしが立ち直るのを、いつまでもそばで我慢強く待っていてくれた。その不器用な優しさがあまりにも温かくて、昔からわたしはついつい甘えてしまうのだけど。
 お互い一人っ子同士のせいか、ひょっとすると手のかかる妹みたいに思っているのかもしれない。普段はだらしなくしてるけど、ホントは誰よりも責任感の強い人だから。
 そんなハルが、理由はわからないけど落ち込んでいる。なら今度はわたしがなんとかしてあげる番だ。……でも、どうすれば。
 悩みながらなんとなく視線を泳がせると、ふと、あるものが目に飛び込んできた。
 ――――これだ!
「ちょっと待ってて!」
 返事も待たずに駆け出して、目的のものに飛びついた。
 一年を通してそこまでラインナップの変わらないアイス。その中でも、これだけは夏季限定なんだ。
 小さい頃に二人で分けあった思い出の味。ケンカの仲直りのあと、よく防波堤に登って食べたっけ。そしたら分けたアイスのどっちを取るかで、またケンカになったりしたんだけど。
 奥でうつらうつらしていた店主のお婆ちゃんに声をかけて、小銭を渡して店先に戻る。日陰のベンチでは、ハルがまだ顔を上げた状態で固まっていた。
「行こ!」
 眼の前まで駆け寄って、有無をいわせず手を引く。握りしめた掌は、思い出の中にあるものよりずっと大きくなっていた。
「お、おい、行くって……どこに?」
「ほら、これこれ」
 目的を告げるように、見開かれた鳶色の瞳の前で買ったばかりのアイスを振る。
 まさか忘れてないよね? それより、早くしてくれないかな。急がないと溶けちゃうよ。アイスを握りっぱなしの手も冷たいし。

「昔みたいにさ、防波堤で食べようよ。――仲直りのチューチューアイス」

 冷たさに耐えかねたわたしが差し出したのは、きっと誰もが知ってる夏の風物詩。
 真ん中でパキッと割って食べる、チューブアイスのソーダ味だった。


             ◇◆◇◆◇◆◇◆


 ぺきっ、と間の抜けた音が聴こえて、鮮やかな水色が真ん中から半分になる。
 こういうのはやはり男子の仕事である。上手だね。……いや、だってほら、いま制服だからスカートじゃないですか。太ももで割るとき、ヒヤッとするんだよね。躊躇したせいで割れずに歪むこともあるし。そうなると難易度が跳ねあがってしまう。
 そんなプレッシャーの中、ハルは一発でキレイに割ってくれました。さすがです。
「それじゃ、カンパーイ」
「……乾杯」
 こつんと手にしたアイスを触れ合わせて、慌ててひと口齧りつく。
 強すぎる陽射しのせいで早くも中身が溶けだしていた。空の色がこぼれる前に、ちゅーちゅーと甘い雫を吸う。
 あー、なんだか懐かしい。こういうのってお母さんが買ってこなきゃ作らないもんなー。食べたのすごい久しぶりだ。我が家の冷凍庫で最後に見たのは、中学一年生の時だったかな。「かさばって邪魔だから」って買ってきてくれないんだよね。
 ビニールの上から歯をたてて、カリカリと氷の粒を削って食べる。
 うん、冷たくておいしい。見た目ほどソーダの味はしないけど、それはいわないのがお約束だ。こういうのは雰囲気で味わうものだと思う。
 相変わらずハルは黙ったままなので、わたしも同じように広い海を眺めていた。
 敷き詰められたテトラポットに打ち寄せる波。はじけた飛沫が夏の陽射しを浴びて、きらきらと宝石みたいに輝きながら海の中へと帰っていく。何度も、何度も。たまに水平線の向こうから風が吹くと、まだ少し冷たい滴がわたしの足を濡らした。
 お互い一言も口にせず、ただ黙々とアイスを齧って、遠くの海鳴りに耳を澄ませる。
 なんとなくだけど、ハルからは無理に事情を聞きださない方がいいような気がする。
 昔から、弱みを見せたがらないし、自分の問題は自分で抱え込んじゃうタイプだった。相談なんてこれまでされたこともない。
 そんな意地にならなくても、あんたのダメなとこなんてたくさん知ってるよ? ……とは思ってても絶対いわない。それこそめちゃくちゃ怒られそうな気がする。今度こそ口すら利いてもらえなくなりそうだ。
 あんまり頼りにされてないんだろうなーと少し寂しくなりつつ、声が聞こえるまでひたすら待ち続けた。
「――あのさ」
 チューブの中のアイスが残り少なくなったそのとき、唐突にハルが口を開いた。
「ん、なに?」
 できるだけ自然な態度で返事をする。
 わたしが落ち込んだとき、どういう風にしてくれてたっけ? あまりにもこの逆転した立ち位置での経験値が少なすぎて、うまくやれる自信がない。
 とりあえず真剣にきいてあげようと、さりげなく姿勢を正した。
「お前さ、大学とかどうすんの?」
「…………へ?」
 大学、だと……?
 え、なに? じゃあ、こいつの悩みって進路とかそういうの?
 うわー、どうしよ。そんなのまったく考えてないんですけど、っていうかまだ二年生だよ? 前からそんなの気にしてたっけ? いや、ムカつくことに頭いいのは知ってるけどさ。テスト前はよくお世話になってるけれども。
 それにしたって相談する相手を間違ってるでしょ。
 ……いや、そういう風に仕向けたのはわたしか。ぐぬぬ。
「うーん……別に進学するつもりなかったから、適当に農協あたりに就職しようかと……思って、ました。ごめんなさい」
 すごい見てる。ヤツがすっごいこっち見てくるごめんなさい! 自分の将来のこと真剣に考えてなくてごめんなさい!
 なに!? なんなの?! そんなにダメ? 二年生の夏休み前にぼんやりとしか進路のこと考えてないのはそんなにダメなのか!? と、鋭い視線に耐えきれず俯いたわたしの耳に、やけに思いつめたような声が滑りこんできた。
「俺さ、都内の大学行けっていわれたんだよ」
「へ? ……東京?」
 頷くハルが教えてくれたのは、こんな田舎でもよく耳にする有名な大学だった。たぶん、偏差値はこいつなら頑張れば届くんじゃないかなっていうくらい。わたしでは逆立ちしたって無理だ。
 誰にいわれたのか、とは聞くまでもない。わたしたちのクラスの担任だろう。聞くところによると以前は関東の高校にいたらしいあの中年教師は、どこか地方の学校を見下しているきらいがある。自身もそれはご立派な大学を卒業されたそうで、なんでこんな所にいるのかは分からないけど、生徒からはあまりいい印象を寄せられていなかった。わたしは……まぁ、どうでもいいかな。価値観なんて人それぞれだと思うしね。
 ……それより、大学かー。
「ハルは、東京に行きたいの?」
「分からん」
 きっぱりと首を振られる。
 えー……そこから? 本人の意思がはっきりしないと、応援も引き止めもできないんだけど……。
「正直、ちょっと前までこの街を出るなんて考えたこともなかった。ただ、『向こうで進学すれば未来の可能性が広がる』とかいわれたらさ……どうせ進学率あげたいだけだってのは知ってるけど、やっぱ迷うんだよ」
 そういって、苛立ったように口を閉ざした。
『未来』
 その言葉に、微かな息苦しさを覚える。見えないなにかに後ろから追われているみたいな、お腹がキュッとなる焦燥感。この感覚は、知らない場所で迷子になったときと少し似ているかもしれない。
 わたしたちはいつも「未来」に追い駆けられている。
 現在より先にあるものを表す言葉なのに、なんだか変な感じだ。
 ハルの悩みは将来に関する話だった。お気楽なわたしからすると、純粋にすごいなーと思う。いままで考えたことがないわけじゃないけど、あまりにも漠然としすぎていてすぐに放り投げてしまった。
 なんにせよ悩みがそれなら、わたしにいえることなんてたったの一つだ。
「それで、ハルはどうしたいの? 周りがどんなに騒いだってさ、結局、大学に行くのもどっかの会社で働くのもあんたでしょ? だったら、自分の気持ちを優先してあげた方がいいんじゃないかな。……心配しなくても大丈夫だよ。ハルなら、どこにいたって明るい未来を見つけられる。わたしが保証するよ」
 ――だって、あんたがどれくらい陰で努力してきたのか、わたしは知ってるから。
 元々はなんでも横並びだったのに、中学に入ってしばらくするとわたしはハルにまったく追いつけなくなった。勉強も、運動も。身長だってあっという間に追い抜かれて、当時は無性に悔しかったのを憶えている。
 でも、いまはそれだけ頑張ってきたんだって認めてるよ。なにかしたいことがあるなら、全力で応援したいとも思う。
「保証って……なんでお前がそこまで自信満々なんだよ」
「――あったり前じゃない。だって、ハルのことだよ? ずっと近くで見てきたんだから、そりゃあ先生なんかよりわたしの方がよっぽど詳しく知ってるよ」
 胸を張って答えると、明るい茶色の瞳が大きく見開かれた。
「おま……」
 何事か呟いたハルは、慌てた様子で顔を逸らす。
 え、なに? わたし、なんかおかしなこといった? ぶつぶつと「お前がそんなだから……」とか聞こえるけど、なんのこと? もしもーし。
「ちょ、やめろ。触んな」
「うっわ、なにそれ!? バイ菌扱いとかさすがに傷つくんですけど!」
「違うっ! そんなんじゃなくて……ああクソッ!」
 がしがしと髪を掻き乱して、こちらをキッと睨みつけてくる。それにしてもホントに目付き悪いなハルは。慣れてるけど、睨まれたら威圧感がすごい。
「お、お前はどうなんだよ」
「ど、どうって?」
「この街だよ。出たいとか思わねぇのか? なんも変わんねぇだろ、ここ」
「街を……」
 尋ねられて返事に困った。わたしだって、そんなの一度も考えたことがない。
 街を出たいという子が少なからず存在するのは知っている。どうやら、都会で一人暮らしという環境に憧れを抱いているようだ。
 変化の乏しい土地に暮らしていると、刺激のない日常に飽きるのかもしれない。
 ……けど、
「わたしは、別に出たいとは思わないかな。……やっぱりここが好きだし」
 この土地で生まれて、この街で育った。たしかに遊ぶところは少ないし、ちょっと息苦しく感じることもあるけど、それでもわたしはこの場所が大好きだ。
 のんびりと流れる時間も、海の匂いを纏った空気も。昔から変わらない街並みや、そこで暮らす大切な人たちも、みんな好き。それに……
「そっか」
 街を出ない理由を数えていると、ハルがどこか安心したように呟いた。
「――決めた。俺、県立に行く」
 そう告げた声は、迷いなんて微塵も感じられないほど明るいものだった。あまりにもはっきり言い切るものだから、こっちが軽く戸惑う。
 い、いいのだろうか? そんなにあっさり決めてしまって……ていうか、県立大も結構な偏差値と倍率ですよ? その分、就職はかなり有利らしいけどさ。
「べつに、いま決めなくてもいいんじゃないの? もうちょっとよく考えてからとか……」
「いい、もう決めた。それに」
 ――お前が保証してくれんだろ? と、幼なじみ殿がちょっと意地悪な笑みを浮かべていう。
 いや、まぁ、確かにいったけどさ。それにしても決断するの早すぎない? さっきまでくよくよしてたのはなんだったんだ……。思わず脱力してしまう。
「あ、あのさ」
 遠い目で水平線を眺めていると、やけに強張った声で呼びかけられた。
 いつになく真剣な眼差しがこちらに向けられている。まだなにかあるの? そろそろ午前授業の日じゃないと観れない昼ドラが始まっちゃうんだけど。
 そんなわたしの内心をよそに、沈黙の時間はしばらく続いた。
 どれくらいそうしていただろう。急に肩の力を抜いたハルが、ぶすっとした顔で身体ごと視線を逸らした。
「……いや。やっぱ、いい」
「えーっ、なにそれ? 気になるからいってよ」
「う、うるさい…………それより、花火大会の日、ヒマか?」
 代わりにやってきたのはそんな質問だった。どうやら、もう教えるつもりはないらしい。
「お祭りの日? うん。空いてるけど」
 もうすぐわたしたちの学校は夏休みに入る。花火大会はその最中に催される大きなお祭りで、娯楽の少ない地域に暮らす若者たちの一大イベントだった。
 ちなみに、予定がなかったのはたまたまだ。たまたま、仲の良い友達にみんな彼氏ができただけ。……泣いてなんかない。
「じゃあさ、一緒に回らないか?」
「へ? でも、ハルの友達は?」
「……あいつら、夏に入って彼女が出来たんだと。当日は遊べないから他あたれっていわれた」
 お仲間を発見しました。
 いやー探せばいるんだね、そういう切ない人。よりによって幼なじみだけど。
「なーんだ。じゃあ、わたしと同じか」
「おう。……それで、どうなんだよ」
「うん、いいよ。なんか久しぶりだね、二人で花火大会なんてさ」
 いつぶりだろう? たしか中学の頃かな、お互いの友達同士で回るようになったの。気づけばなぜかそんな形になってた。
「じゃあ、当日はちゃんと浴衣着てきてね」
「マジか。あれ嫌いなんだよ、動きにくいから」
「えー着てきてよ。日本の伝統なんだからさー。情緒は大事にしなきゃ」
 Tシャツにビーチサンダルとか、雰囲気が出ないじゃないか。お祭りは全身全霊をかけて楽しむものだ。手抜きなんて許されるわけがない。
 それに、ハルは浴衣が似合う。背は高いし、細い割に筋肉もちゃんとついてる。あと、客観的に見て整った顔してるしね。これでずっと彼女いないんだから、世の中って分からないものだ。
「……朝食トースト派のヤツが日本の伝統とかよくいえるな」
「なっ!? そ、それは関係ないでしょ! だいたい、あんただって三日に一度はパンじゃない!」
「俺は別に伝統なんか気にしてねぇし」
「う、うるさい! ばーか! 色白ーっ! 陰険腹黒コンタクトーっ!」
「そもそもコンタクトは悪口になんのか……っていうか日に焼けないのは体質だからどうしようもねぇって何度もいってんだろうがこの男女!」
「そっくりそのまま返してやるわよ女顔! 去年の文化祭で女装して他校の男子にナンパされてたのは誰でしたかー?」
「うっわ、ウゼェ!? 人様のトラウマ掘り返してんじゃねぇよ!」
「あのとき撮った写真を回覧板に貼りつけて町内で回してやろうか!」
「絶対やめろ!」
 ひとしきり睨み合って舌戦を繰り広げたあと、ふんっ、と互いにそっぽを向く。
 でも、やっぱり長くは我慢できなかった。お互いの言い様が、あまりにも幼稚で、バカバカしくて。
 ……気がつけば、どちらからともなく笑いだしていた。
 子供みたいな口喧嘩。だけど、こいつが相手じゃなきゃこんなことできない。きっと他の友達に聞かれたら呆れられてしまう。

 それでもね、居心地いいなとか思っちゃうんだ。たまに本気でムカつくのにね。


「さて、お腹も空いたし、そろそろ帰ろうかな」
 馬鹿みたいに笑ったわたしは、目尻に浮かぶ涙を拭いつつ立ち上がった。ここのところハルとはギクシャクしてたから、ちょっと心が軽い。
「ハルはまだ帰んないの?」
「おう。このあとバイトあるから、こっから直で行くわ」
「そっか。頑張ってね」
「ん」
 もうほとんど溶けてしまったアイスをくわえながら、無愛想な幼なじみが小さく頷く。
 歩きだそうとして、ふと、思いついたことを実行するために振り返った。
「あのさ。さっき、この街がなんにも変わらないっていったでしょ?」
「……ああ、いったな」
「あるよ。変わったもの」
「なんだよ」
 本気で分からないといった顔で尋ねてくる。そのちょっと間抜けな表情を眺めて、わたしはせいぜい意地悪く見えるように口角を吊り上げた。
「教えなーい」
「はぁ?」
「だって、ハルもなんか隠してるでしょ? だからわたしも教えない。これでおあいこね」
 やっとすっきりした。やられぱなしは性に合わないから、仕返ししてやることにしたのだ。この隠し事されたとき特有のモヤモヤを、お前も一緒に味わうがいい!
 目を丸くしていたハルは「意味わかんねぇ……」と、ふてくされたように呟いてあさっての方を向く。その子供みたいな素振りがおかしくて、思わずまた笑ってしまった。
 ――ねぇ。変わったもの、あるよ?
 いつからかは思い出せない。でも、たしかに違う。なんだか輪郭があやふやで、ふわふわとした不思議な気持ち。
 それを自覚してからは、世界が急に鮮やかな色をつけはじめた。

 もっと、これから先もずっと、ハルと一緒にいたいと思うようになった。

 想像してたのとは全然違う。胸を締めつけるような息苦しさも、物語みたいなドキドキもほとんどない。ただ一緒にいると楽しくて、誰の近くよりも安心する。
 わたしはこいつの駄目なところをいくつも見てきた。でも、それと同じくらいハルのいいところをたくさん知ってる。
 たとえば、いつも無愛想だけど、ホントは周りにさりげなく気を遣ってるところとか。
 たとえば、普段はだらしなくしてるけど、キチンとするべき場面ではビックリするくらい大人っぽくなるところとか。
 たとえば、大切にしたい思い出の、すごく小さな出来事も忘れないでいてくれたりだとか……。
 ケンカしてわたしが泣いた日から、ハルは必ず分けたアイスの先っぽがついてる方をくれるようになった。
 今日も当たり前みたいにそっちを渡してくれて。随分と前にしなくなったのに、まだ憶えててくれたのかーって、嬉しくなったよ。
 それは、乾ききったアスファルトに小さな雨の粒が染みこんでいくような――そんな、ゆるやかな気持ち。
 燃え上がるような激しさはないけど、ほんのりと胸の奥が温かくなる。
 きっと、こんなに穏やかな気持ちはハル以外の誰にも感じられない。それって、やっぱり特別ってことなんじゃないかな。
「じゃあね」
「ん。また明日」
 ――ほらね。もう何度も繰り返したやりとりなのに、明日もあなたに会えるんだと思うだけで、こんなにも嬉しい。
 にやけながら歩きだしたわたしの髪を、海から吹いた風が撫でていく。
 去年と同じ。でも、少しだけ色を変えた夏の風。
 気持ちを自覚してからは、いろんな景色が違って見えた。それは足元が揺らぐような感覚で、たまに戸惑ってしまうこともある。
 すべてを変えてしまうにはまだ勇気が足りないから、もう少し、このままで。
 それでも、今年は前に進んでみようかな。……うん。ちょっとだけ、頑張ってみよう。
 生まれたばかりのこの気持ちが、いつか大切な人まで届くように。

 夏が広がる青空の下、そんな想いを抱きしめて、昼下がりの防波堤をゆっくりと歩いた。

 



見たよ!