『サンフラワー・ハレーション』
Illustration:あじーさん
theme:『サンフラワー・ハレーション』
お題提供:梶つかささん

Author:平沢(仮)さん


  それは、私が小学校二、三年生の頃だったように思う。
 誰が植えたのか、ひと気のないその空き地は、背丈より高い向日葵の花で満たされていた。祖父の家からバス停へと向かう道の、途中のどこかに位置していたはずだ。と言って、後年思い出して探してみても、見つける事は出来なかったので、別の場所だったのかもしれない。
 とにかくその場所で私は、当時宝物だった、ビー玉を二つ、落としたのだった。普通の光沢を持ったビー玉をガス台の火で炙ると、うっすらと煤の皮膜が出来て、深い色合いと虹色の光沢が生まれる。そのようにしたものを当時の友達からもらったもので、普段綺麗なものに飢えている子供でなければ、それに価値を見いだすかどうかは怪しい。
 落としたビー玉のうち、薄緑の、より透明に近いものは私の足下で止まった。しかし、コバルトで発色させた、深い青のビー玉の方は止まらずに転がって行き、私はそれを探して向日葵畑の奥の方に足を踏み入れたのだった。

「…あった。」
 幸い私は、向日葵の根元の柔らかい土の上に転がっているのを、すぐに見つける事が出来た。昔のような視力でもなく、視線が下にも向かっていない今の私に、同じように見つけられるとは思えないのだが。
「…あっ」
 しかし、私がそれに手を伸ばしかけたとき、別の手がそれを拾ったのだった。白いポロシャツから伸びた、日焼けした腕と荒れた手の甲、骨張った指。私はその人物の全身に目をやった。
「お兄さん、ガイジン?」
「…そう聞かれたのは初めてだ」
 私に聞かれた人物、名前が分からないので青年としておく、はそう答えた。
 彼が実際に外国人だったというのでも、格段に外人顔をしていたというのでもない。ただその、夏の光でいっそう白く見えるポロシャツと対照的な日焼けした顔と、またそれに似つかわしくない、痩せっぽちでどこか頼りない背格好は、妙に浮世離れして見えたのだった。外人と言うより、幽霊のようだと、当時でも私はそう思ったように思う。
「じゃあ、お兄さん、ナニモノ?」
「当ててごらん」
 私は考えた。現代の農村の例に漏れず、祖父の家の地区も高齢化が進んでおり、農家の跡取りの「青年」は、私にはおじさんに見えていた。この青年はそんな歳には、と言って当時の私には10代後半に見えていたのか、それとも20代に見えていたのか定かではないが、そうは見えなかった。
 と言って、この地区には高等学校や大学はなく、若者を見かける事は少ない。それで後思いつくのは、夏休み前に学校で注意されていたことだった。
「…ヘンシツシャ?」
 さすがにこの言葉を思い出すと青年に申し訳なくなる。しかし私の言葉に青年は大げさに吹き出すと、ゲラゲラ笑い始めた。
「…そいつは、考え方によるね。もし僕が変質者だったら、君は何をしなきゃならない?」
「…お話ししようって言われても取り合っちゃいけない。大人の人が見えない場所に行ったら行けない。絶対に近寄らない。逃げられたら逃げる。逃げられなかったら大声で助けを呼ぶ。」
「…じゃあ君は、どうしようか。」
「ビー玉返してよ。」
「どうしよう。ここに置いて行こうか?」
 青年はそう言う。
「……うーん。」
 私は少し考えた後、青年に近づいて、手を差し出した。青年は私の手にビー玉を落とす。それから二、三歩後ずさりしたが、そのまま立ち去りかねて暫く黙っていた。
「…もうすぐ、八月十五日だね。」
 世間話のつもりだったのだろうか、青年がそう口を開いた。
「知ってる。シュウセンキネンビでしょ」
「ああ、そうだね」
「そういう話がしたいの?」
 生意気盛りの私の言葉に青年は微笑む。
「どうだろう。君がそうしたければ」
「…んー、あんまり。まだ、盆踊りの話の方がいいよ」
 私がここでの会話をそう記憶しているから、その地域では、お盆は8月15日付近だったのだろう。
「お盆ね。キュウリやナスの馬に乗って、亡くなった人たちがこの世に帰ってくる、それを祝う祭りだって、君は知ってる?…君はどう思う?」
「…うーん。馬鹿みたいだと思うけど」
「どうして?」
「キュウリもナスも、植物で、動物じゃないでしょ。」
「そうだね。でも、馬鹿げてるとは、僕には思えない。」
「なんで?」
 首を捻る私に、青年は答える。
「ずっと昔、そもそもの初めから、人間は生まれて、死んで行くものだった。生き返った人はいない。それなのに、人間は死んだ人が帰って来る事を思い描いていたんだ。」
「それが、馬鹿げてないってことなの?」
「どうして人は、死んだ人に帰ってきて欲しいんだろうね。絶対に帰って来ない事が分かってたとしても。」
 そう言う青年は、ここにないものを見ているようにも見えていた。
「誰かに帰ってきて欲しいってこと?…君、が。」
 その青年を何と呼ぶか、私は少し迷ったのだった。
 私の問いに、青年は微笑んで頭を振る。
「人は、人だけじゃない、この世のありとあらゆる生き物は、生きる事と死ぬ事は表裏一体だ。この世は、君と僕が立ってる間の場所だって、きっと目に見えない魂で溢れかえってる。きっと、夏はそれがほんの少し、よく見えるようになる。きっと、そういうことなんだ」
 不意に、私の耳に蝉の声が、けたたましく響いてきた。
 蝉時雨。さっきまで聞こえなかった音の夕立に、暫し茫然と立ち尽くす。
「?どういうこと」
 そう聞きかけた私だったが、既に青年の姿はどこにもなかった。
 既に夕暮れが近づき、南の空に浮かぶ三日月の下、昼間の暑さはだんだんと影を潜め始めていた。



見たよ!