ウォンマガ夏フェス2015

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Theme:まるでお伽噺のようなキス

Author:緒形ステ実さんTwitterID

 今夜はペガスス座のあめが降るでしょう、とラジオは言う。
 彼はにわかに顔色を変えた。ちいさな窓に頬を寄せて外の世界を見つめていた私にでさえわかったほどだった。このとき私たちは夕焼けに燃えるカンカラ台地を横切り、馬型の絡繰に借り物の客車を引かせていた。それは灰色に塗られた硬い三等車だった。
 あめがやってくる。
 窓を上げて顔を突き出せば、地平線の向こうに暗黒星雲が首をもたげていた。
 ペガススはいつも性急だ。私たちのことを決して待ってはくれない。
 伸ばしかけの髪が生ぬるい風に泳ぐ。藍色のセーラー襟が黄昏にひるがえる。忍び寄る星々のきらめきが遠くしゃりしゃりとこだまして、思わず首をすくめた。
 この衛星、通称《ファザー》では、宇宙が夜を連れてくる。星座をかたちづくる星のどれかが源流となって天の川を地上へ流し、それを蒸発させて、宇宙模様の雲を大空に敷き詰めるのだ。この状態を私たちは《夜》と呼び、雲が雨のような粒を降らしてすっかり晴れたころを《朝》と呼ぶ。
 なにしろ気の遠くなるような歳月を生きてきた彼らのことである。アンドロメダ座のガンマ星なんかはめずらしく慈悲深いことで有名だが、おおかたの星々はいつ何どき夜を送ってやれば適当かなどついぞ考えたこともないようで、気まぐれにヒトの一日を操っては何億光年もかなたへはるばる還っていく。
『今夜八時半から十二時半まで降るでしょう。朝のはじまりはその四時間後』 
 彼は驚きに逆立った髪を撫でつけて、天井から垂れる太い綱を引き寄せた。歯車の重い音とともに景色が速度を増していく。後ろに積み込んだ家財道具一式がいまにも紐を引きちぎっていきそうななか、私は座席に倒れこみ、窓は弾みで勢いよく下りた。とっさに買ったばかりの荷物を抱えた。私たちはちょうど買い物から帰るところだった。
「ごめん、大丈夫かい」
「平気です!」
 何がわるいってそれはもう、こんな感じで急に明日がやってくることだ。レポートは徹夜で仕上げればいいなどという考えなんてもってのほかだ。間違いなく悪夢をみる。
 また夜のあめに関し、よくない言い伝えも二三聞く。たとえば、神隠しに遭うとか。だから私たちヒトはなによりこれを恐れているし、待つ人のもとへ一刻もはやく帰らなければと思ってしまう。
『みなさまどうか目覚まし時計の設定をお忘れなく!』
 あめが、くる。
「いま何時かな」
「七時半です」
「もう、ほんとうに、遅くなってすまない。教科書を買うのがたいへんということをすっかり忘れていた。早出すべきだったね」
「いえ、いいんです。むしろ休日なのに付き合わせてしまってすみません」
「申し出たのは僕の方だから。君が謝る必要はない」
 そう彼が神妙に話すかたわら、私の気分はますます沈んでいた。
 ペガススはいつだって性急だ。
 つまりそれだけ時の進みが早まり、夏休みも残り僅かになるということだった。私が高校に上がる日もそう遠くはない。全うに親元を離れて、ひとり、見知らぬ街で学ぶことになる。
 真新しいセーラー服に結んだ、あつらえものの銀色のスカーフにそっと触れる。指に冷たく、なめらかに手から手へとすり抜けていくさまはまるで私そのものだった。動くたびに生地とおなじ銀の燐光が宙に散って車内を鮮明に照らす。
「来月で君も一人前だな」
 彼の視線を左頬に感じ、浮かべようとした微笑みがぎこちなくなる。本音を言えばあまり見ないでほしかった。さっきの騒動でただでさえ収まりのわるい髪型がきっともっと悪くなっている。平然とした指づかいで髪を耳にかけた。
「うれしくないのかい」
「そういうわけではないのですけど」
 横目に忍んで見た、カッターシャツの首元にのぞく彼のりんどう色のスカーフが呼吸するかのようにぼんやり光っている。おなじものを着けてよい身分になったことは確かに喜ぶべきことだった。
 このスカーフさえ身につけていれば他人と触れ合って内心を悟られることはない。人と出会うことをおそれずに、いくらでも外出することができた。
 というのも、そもそも私たちのご先祖様がふるさとの星を捨ててこの地を見つけるまでの間に、テレパシーなどという能力を開花させてしまったことが間違いだったのだ。息をすることもままならない真空の宇宙においては確かに便利なちからだったかもしれないが、日常が戻れば当然に支障は出てくる。そこでここに商機ありと踏んだ仕立て屋たちがテレパシー制御のためのスカーフを客一人ひとりの性質や嗜好に合わせて糸から作るようになった。またたくまにそれは流行となって、そのうち政府は成年に達した者に対し、この着用を義務付けたのだった。
 加えて、オトナになればもうひとつの義務に踊らされることになる。属地転換命令だった。
 これのせいで成人は出生地を離れて新しい土地で生活をしなければならない。
 しぬまでずっと、だ。
 長旅に何かを得たご先祖様方のあまりに古すぎるこの固定観念は、私が選挙権を得る前のまえのそのまたずっと大昔、すでに憲法に盛り込まれてしまっていた。
 だから私はペガスス座のあめをひどく嫌う。
 この夏で二度目だ。ほとほとうんざりしていた。
「大熊座のあめだったらよかったのに」
 きっと七日は夜が続くことだろう。それならこうして馬車で繰り出し、遠い湖の奥底に沈んでいるという古代の箱舟を探しに行きたい。まるで冬眠する熊のように長い夢をふたりでみるのだ。
「僕もそう思うよ」
 彼、ラゲル氏がつぶやく。私は子供じみた考えを聞かれてしまったことを恥じた。けれどこの気持ちのほんとうのところはきっとつたわらない。それでいい、わからなくてもいい。
 ラゲル氏の横顔を橙色の一閃がほそく縁取っていた。ちょうど丸窓にきれいにおさまっている姿は、まるで美術館の静謐な空気のなかでじっと時の流れを偲んでいる肖像画を思わせた。
 もりあがる喉仏が時おり上下して私の気を引く。そこからうえへ続く滑らかな線がおとがいを描き出し、申し分のないまるみとするどさで唇のふた山をあらわにした。鼻筋は力強くもひかえめに影をたたえ、飾り気のない眼鏡がやわらかい目元を覆う。深い青をした髪が馬車の揺れに遊ぶ。
 小さく息をつき、こわばった体をゆるめた。
 そのときだ。
 彼を彩る背景、窓の外の天高く、西の方で一番星が空いっぱいに十字の光を放って現れた。
 おもわず目を見開いて前のめる。これにぎょっとしたラゲル氏は一旦私を見遣り、次に首を返してアッと言った。「来たか」
 私はそこで体ごと彼の膝の上に覆いかぶさるかたちになっていることに気づき、慌てて居住まいを正した。耳が熱かった。冷やすように窓へもたれかかれば、磨かれた硝子越しにペガススの夜がいよいよ大地を覆い始めた。
 あやめ色の空はところどころほどかれ宇宙のインクへにじんでいく。何ものかのうごめく気配を感じて崖の下をのぞいてみれば、宝石のように色鮮やかにきらめく何百何千もの熱の粒を、とうめいな濃紺の川が運んでいた。
 なんてことだろう、私たちはいま夜と同じはやさで時を駆けているのだ!
 大小さまざまな灼熱の星粒たちがぶつかり合っては火花を散らし、宙に弾かれては互いに引き合って、すうと浮かびあがりながら天体をかたちづくっていく。岩にくだけた水しぶきは霧になった。それはやがて銀河団の一帯を絡め取り、天を覆い尽くすおおきな星雲になる。
 そら恐ろしくも美しかった。不意に脈打つ星々のかがやきを胸のうちに感じ、思わず手で抑えた。
 これはきっと身体の奥底に眠る私の熱だ。
 怒りも喜びも悲しみも慈しみもすべて丸ごと抱えこむ、私のこころの熱なのだ。
 両の頬、指の先、足の先まで命の雷鳴が駆けめぐり、収まりのひどくわるいこの珊瑚色の髪の毛までもが赤銅に焼けつくような気がした。不安と希望が私を交互に襲う。けっして見てはいけないものとして教えられてきた光景がここにある。
「すごいだろう。でも本番はこれからだ」
 一方彼はなんてことない、硬い表情のまま落ち着いた調子で言った。なんでも知っているとでも言いたげなその佇まいはにくらしさを超越していっそいとおしい。
 事実ラゲル氏はうら若き学者先生で、謎の多い《ファザー》の成り立ちについて研究しているひとだった。十年前我が家のはす向かいにあるおんぼろの平屋に引っ越してきたときからの付き合いだった。
 ちょうど、しらないひとについていってはいけません、と徹底して教えこまれていた私はこの頃ひどい人見知りで、ラゲル氏が夕食どきに現れても母のスカートをつかんで離さなかったらしい。彼曰くこのままではいずれ相伴にあずかれなくなってしまうだろうという危機感を食欲の片隅に覚えたようで、あの手この手でどうにか打ち解けようと弛まぬ努力を続けたうち、もっとも効いたのが、流星のかけらでつくった手製の天体図だったのだそうだ。それは未だに現役で、私の部屋の天井にくるくると軌跡を描きつづけている。
 けれどいまとなっては昔のことだ。今度は私の番になった。きっと見知らぬ土地でおなじように近所の子どもたちに天体図を作ってやるのだろう。彼から教えられた通りに、学んだ知識のままに。
 これにいらだちを覚えるのはわがままなのか。しかし宝物と思えるほどに澄んだ感性はあいにく持ち合わせていない。丁寧にラベルナンバーを貼って仕舞うぐらいなら標本棚ごと燃やしてしまいたい。
 だから、私はまったく子どもじみている。
 訪れる外の暗闇を感知して淡く水晶灯がともった。硝子窓にむくれっ面が映り込む。オリオン座の形をした熱源の連なりが私のこがね色のひとみを通り過ぎ、背後にいるラゲル氏のまつ毛の先をかすめていった。彼は窓枠に頬杖をついていた。物思いにふけているらしかった。
 スカーフがゆっくり息をする速さで燐光を飛ばしているから、なんとなしにわかった。あれは生まれた感情を光のエネルギーに変換して排出しているのだという。もはや感情を読み取ることのできない私たちはそれで隣人のこころの変化を知る。身につけている者はだれにも内心を悟られることなくこころの平穏を保つ。だれの発明かは知らないがたいへんよくできたしろものだった。
 次々に星雲が川岸から浮かんでいく光景に囲われながら、りんどう色と銀色のひかりの粒子が互いの胸元からはらはらと散っては天井に消えていく。どうしても気づかないふりをすることはむつかしかった。かたわらを盗み見てみれば、視線がかち合う。どちらからともなく笑いがこぼれた。
「あかり、消そうか。必要ないくらいだね」
「そうみたいですね。そうしましょう」
 水晶灯を二度弾き、星明かりを招き入れる。うすら明るい灰青が瞬く間に私たちを覆って陰影をつよめた。ヒトという存在が褪せていくなか、ひかりは煌々と昇っていく。
「たぶんこの先にあるんだ」
「何がですか」
「僕のお気に入り。こんな時間になってしまったついでと言ってはなんだけれど。窓を上げてごらん」
 ラゲル氏はどこか得意げだった。こういう顔はとっておきを見せてくれる前触れと昔から決まっている。けれどぜったいにその手には乗るまい、もう幼子ではないのだから、と、私はつとめてしずかな風を装い窓を開けた。しとやかに首を伸ばしてみる。
 が、次の瞬間、私はおおきく息を呑んだ。もっとわるいことに、ひょっとしたら感嘆の声を漏らしてしまったかもしれない。彼がくつくつと笑うのが聞こえてきたからだ。
 身を乗り出す。私たちのゆく手、丘を下った先にまあるい宇宙が現れた。天の川の終点だった。漆黒のさざ波に無数の熱の原石たちは揺られ、湖のそこ此処で星座や天体が息つく間もなく生まれていく。馬車は迂回せずにまっすぐ岸辺を目指した。徐々に速度は落とされて、車輪を軋ませながらゆっくりと止まった。
 なかに戻った私に彼は言う。
「降りてみよう」
 それからすぐ脇のとびらを開けて、ごく自然に手を差し伸べた。立ったまま私はそれを見下ろした。ためらわないわけにはいかなかった。触れたときに私のスカーフはきっと星よりもするどく光るのだろう。そうなればひそやかに育んできたきもちをとうとう認めなくてはいけない気がして、こわかった。
 そのときどこかで恒星が爆発した。とどろきが大地を揺らし、空を真っ白な閃光がつん裂いた。私は悲鳴を上げてうずくまる。星のなごりが緑や紫のオーロラとなってほんのいっとき星雲を鮮烈に染めた。
 あめはすぐそこまで来ている。もう、時間がない。
「行こう」
 はっきりと聞こえた。
 そのことばは轟音の余韻をかき消すほどにやさしく、力強い。
 まなざしはただひたむきに深い灰色を投げかける。
 ああ、朝、この馬車に踏み入れたときからすでに決まっていたことなのだ。だから彼はめずらしく一週間も前から約束を取り付けてきた。普段は忙しくて予定を立てることすらままならないようなひとなのに。だからこのところ大好きなクラシック・ピアノのレコードをかけることなく毎日熱心にラジオばかり聴いていた。だから帰り路をこんなにも急いだ。
 だから、応えなければ、と思う。
 私は頷く。彼も頷き返し、私の手を取る。想像よりもずっとあたたかく、すこし骨ばった、大きな掌だった。
 彼の手を借りて下車する。遠くとどろきが響き渡った。しゃりしゃりという星の息吹があたりに満ちて、私たちは息をひそめる。膝丈まで伸びる草をかき分け歩む。夜の闇よりとうめいな黒をした湖はさながら亡霊のようだった。そこに浮かぶ熱源はまるで私たちの魂のようだった。
 スカーフからこぼれる粒子は二人分、進むにつれて次第に光の帯になっていく。湖の岸まではさほど距離がなく、振り返ってみれば、それは見たことのある二本の螺旋を描き空へのぼっていくところだった。
「あれも、星雲になるのかな」
 どうかしたのかと彼は尋ねる。私は首を振った。相手は物知りなのだから、ひとつぐらい秘密を持っていたっていい。それもとびきり胸のこそばゆくなるようなものを。忘れられないものなら尚更だ。
 そうして水際に立つ。天をあおげば、ひとつひとつ星の名をそらんじることのできる星座も、まったく見たことのない惑星も浮かんでいる。まとわりつくようなぬるい風が私たちの髪を揺らした。胸の鼓動はおさまるどころかおおきくなるばかりだった。それは私のこころが宇宙の熱源に触発されているせいかもしれないし、あるいは、彼のぬくもりをそばに感じているせいかもしれない。
「見せたかったんだ」
 惜しむように言われては、せつなくなる。くちびるを噛みしめた。
「たぶん、これから先はいろいろあるだろう。でもどうか覚えていてほしい。今日のことを。この光景を。僕らの胸のうちにある熱のかがやきを。このことを思い出せば、きっと生きる力になるから」
 私は空を仰ぐ。彼の方を見ることなどできなかった。返すことばも見つからず、ただただ魅入っているように見えたらいい、とさえ思った。
「帰ろう」
 ラゲル氏が繋いだままの手を引いて、踵を返そうとする。けれど私は動くことができなかった。
 いつの間にか星は生まれることをやめていた。あたりは静まりかえり、とどろきもなくなって、時がいっしゅん止まったかのようだった。
「いやです」
 ぽつりと、頬に流したのは私か空か。
 岸辺の砂地に一点の水滴が落ちた。
「かえりたくない」
 涙があふれ、顔を手で覆う。雨がささやかに降り出したのと同時だった。泣きじゃくる私を彼は抱きかかえる。「だめだ、帰らないと」
「帰ったら、もう会えない。こんな想いをするならずっと子どもでいたかった。あなたの生徒でいたかった」
「ジュハ」
「本当です、ほんとうなの。ずっと苦しかった。私は帰りたくない。それならいっそのこと」
「ジュハ」
 胸を押して抵抗していた私に彼は首を振った。はっと気づいたときには、もう彼の半身は濃い群青に濡れそぼっていた。星のかけらだろうか、ちいさな光る破片が徐々に肌へ食い込んでいく。
「このあめは、ヒトのためのものじゃない。いずれ宇宙の一部になってしまう。だからジュハ、君だけでも馬車へお戻り。走ればいまなら間に合う。父上や母上にきちんと挨拶をして、旅立つ必要が君にはある」
 そんな、と絶句する私に彼はちからなく笑む。
「もとからこのつもりだった。だから気にしないでいい」
「みんなあなたを必要としているのに!」
「実験の一環でもあるんだ。あめに打たれても、戻ってこれるかどうか」
 ぜったいに嘘だ。生半可なやさしさなんていらなかった。顔を歪めたまま、私は彼のシャツからのぞくスカーフをほどいてやった。一度も男性のそれをとったことなどないのに、ひどく慣れたように簡単に外れた。それから、自分のスカーフもほどく。
 思い切り背伸びをして、肩に手をかけて、私は彼のくちびるに自分のくちびるを重ねた。撫ぜるだけのくちづけだった。彼はおどろきに目を見開いたけれど、これにこたえるように深く抱きしめてくる。
 私たちの間をこころの熱が行き交う。熱は身体中をめぐり、七色のひかりの粒子となって、ふたりを包むこむ。彼を染めたとうめいな群青の跡が薄れていく。

「ひとりになんかさせません、だから」

***

海苔さんのイラスト

Illustrator:海苔さんTwitterID

見たよ!
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