ウォンマガ夏フェス2015

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Theme:まばゆげに明日を食んでごらん

Author:佳耶さんTwitterID

 灯穂のなごりも遠く、しっとりとした暗闇に浸る室内で、少女がひとり臥床がしょうに腰かけていた。
 深夜だというのにまとう衣は寝間着ではない。とても贅を凝らしたもので、窓から零れ入る月明かりに、金銀の刺繍がちらちらと星を散らしている。
 胸には月の涙とたとえられる白珠の首飾りを、袖からのぞくたおやかな手首には幾重もの金の腕輪を、豊かな翠髪にはカワセミの羽で咲かせた花を飾っていた。すべらかな白膚の上には黒目がちの涼やかな双眸とこぢんまりとした鼻、花びらに似たくちびるが品良く並んでいる。川辺にたたずむ柳を思わせる体躯と合わせ、精巧な陶器の人形のようだと少女の父はいつも悦に入っていたが、伏せられた面に浮かぶ色はただ暗い。薄い朱唇はかたく結ばれている。
 少女は名を燕花えんかと言い、てい家の一女だった。夜が明けたら皇帝の妃嬪候補となるべく都へ上るのだが、本人は妃になれるとは思っていなかった。  燕花は、鄭家の当主である父が下女に産ませた庶子である。妊娠が判明するや否や、妻の癇癪を怖れた父は妾を捨て、職を失った身重の彼女は故郷の農村で燕花を産み育てたのだ。
 田畑と家畜に囲まれのびのびと育った少女は、今から五年前、十歳になった年に突如父に引き取られた。突然現れた実父に戸惑いを隠せなかったが、燕花の母はすでに他界しており、正妻も鬼籍に入ったがゆえに屋敷で育てたいと告げた父を、燕花は無下にはできなかった。
 村人は皆やさしく、孤児の燕花をかわいがってくれたが、決して裕福な村ではなかった。たとえ労働力となれど、これ以上他人の厚意に甘えていいものか――幼い娘の葛藤を酌み取ったのか、父は今までの礼として村への援助を惜しまないと言った。結果、燕花は故郷を去り、農村のみなしごは名家の令嬢となったのだった。
 鄭家は代々士大夫を輩出している家柄だ。正妻の息子も全員科挙に及第している。
 そんな名門の息女にふさわしい教養や行儀作法を身につけるのは、大変骨が折れることだった。異母兄たちは田舎娘の燕花を毛嫌いし、数々の心ない言葉をぶつけられたが、故郷のためにひたすら耐え抜いた。その甲斐あってか、父は一昨年の冷害でも手厚い支援をしてくれたという。
 燕花の優れた容姿と教養はいつからか人々の口に上るようになり、都でも評判になっているらしい。
 おまえは必ずや貴妃に選ばれる――父は鼻高々に嘯く。皇帝は美しいものに目がないのだ。
(……ばかばかしい。後宮になんか入れるわけがない)
 だが、父は信じて疑わない。燕花が貴妃となり、皇帝の寵愛を受けると。
 薄いまぶたを下ろし、ゆっくりと肺に空気を満たす。どこかで咲いている梔子がかすかにくゆった。数時前まで聞こえていた酒宴の喧騒はすでに途絶えている。寝静まった邸宅内で起きているのは燕花のみだろう。
 ほっそりとした手には、鈍く光る銀製の簪があった。小鳥を象った精緻な細工だ。その先を指でなぞり――かたく握る。
 燕花が決意を固めたときだった。人の気配と足音が五感に触れ、ひとりの女性が寝室に滑るように入ってきた。はっとして、簪を握ったまま立ち上がる。
「強盗よ。逃げなさい」
 少女は素早く外套を手に取った。舌先でなぞったくちびるはひび割れていて、喉はからからに干上がっている。しかし、ここで臆しているわけにはいかない。
「おばさんも早く」
 燕花は空いた手で女中の腕を取った。彼女は農村にいたころから世話になってきた母親の知り合いで、鄭家に引き取られる際に世話役としてついてきたのだ。質素な使用人のお仕着せを着たおばは驚いたように少女を見て、それから首を振る。
「あたしがついていったら小燕しょうえんの邪魔になる。早く行きなさい」
「邪魔なもんか。行こう、おばさん」
 ささやかな抵抗を無視して部屋を出れば、夜闇は更待の月とともに、やさしく二人を迎えてくれた。だが、さきほどまでの静寂しじまは、喚声や怒号に侵されつつある。燕花は周囲をぐるりと確認した後、騒がしい母屋とは反対方向にある竹林へ足を向けた。人の目から逃れるにはちょうどいいと判断したのだ。
 しかし、あと一歩で林に入るというところで背後に人の気配が立った。あっ、といち早く気づいたおばの声に振り向く。
 暗がりからぬるりと伸びた手が、頭頂部でひとつにまとめた髪を無造作に掴んでいた。ふたりが抗う暇もなく、繋いだ手は引き離される。おばはそのまま地面に投げ倒された。
「おばさん!」
 駆け寄ろうとする燕花を大きな影が阻む。きりりと眉をつり上げて、少女は相手を睨めつけた。
「――ここで何をしている、燕花」
 酒に酔って寝ていたのだろう。普段はおくれ毛のひと筋もない髪が乱れている。だが目元には酔いの気配も、息からは酒精の匂いも感じられない。
 ひとえの眼をさらに細めて、鄭家の主人は傲慢に命じた。
「部屋へ戻れ」
 おのれを狙う腕から、身をよじって逃れる。――よりによって父に遭遇するとは。
 背後に茂る竹林に逃げこむのが唯一の手段だろうが、恩あるおばを見捨てては行けない。彼女は倒れたときに肩を打ったのか、地面に蹲ったままだ。
「燕花」
 ふたたび伸びてきた手を、燕花は平手で打ち払った。整えられた爪が皮膚を抉った感触があった。父の手の甲に赤い筋が一本浮かび、それを認めた男の顔が怒りに赤黒くなっていく。
「……部屋には戻らない。都にも行かない。貴妃なんかならない」
 カッと、父の首までもが赤くなるのがわかった。普段から神経質な印象を抱かせる相貌はいまや鬼のようで、ぶるぶると全身をわななかせながら燕花を睥睨してくる。
「親に背く気か! 育ててやった恩を忘れたか!?」
「たしかに血の繋がりはあるのだろうし、五年間衣食住の面倒を見てもらった。けれど、それだけだ。返す恩なんてどこにも残ってない」
「この親不孝者が! すでに賄賂も渡して話は通してある。禁城に上るだけで、おまえは貴妃に選ばれるのだ。否とは言わせん!!」
「嫌だ。あんたの好き勝手にはさせない!」
 燕花は踵を返し、竹林へ身を投じた。
 庭園の林といえど、立ち入るのを前提で造られたものではない。茂る葉に月光も遮られてしまい、目をこらして道を選びつつ駆けるのは想像以上に難しい。くわえて引きずるほどの長裙が邪魔で、うまく足がさばけず、苛立ちと焦りばかりが募る。
 野を駆けていた時分の強靱な脚力は、五年の生活ですっかり衰え、体力までも吸い取られていた。おのれの虚弱さに燕花はぎりっと歯を噛みながらも必死に走る。息が上がり、目がかすんでも、立ち止まることはできない。
 しかし燕花の抵抗も虚しく、身体はすぐに限界を迎えた。よろめいた瞬間、追ってきた父は細腕をたやすく捕らえて乱暴に引っぱる。肩が外れるほどの痛みに燕花は呻き声を上げたが、激痛がやわらぐ様子はない。
「おまえには多額の金を投資したのだ! 田舎者には一生かけても稼げない大金をな! せいぜいその身を以て鄭家に報いろ!!」
 父は唾を飛ばしながら叫ぶと、蹲る燕花にかまわずそのまま引き摺りだした。何が何でも部屋に連れ戻す気だ。腕を振りほどければいいが、五十を過ぎた男の腕力にも敵わない。
 あのまま農村で暮らしていれば、農具を持って土を耕していれば、今この腕から逃れる力もあっただろう。足は馬のようにどこまでも駆け、鳥のように軽やかに身を躍らせられただろう。
 鄭家で与えられたものはたしかに豪奢で、故郷では一生を費やしても手に入れられない贅沢ばかりだった。しかし、異母兄には見世物を見るような目を向けられ、実父は燕花を犬か家畜としか思っていない。はしために産ませた子など、彼らにとっては人でさえないのだ。
 ――負けるものか。欲にまみれたこの男に。言いなりになるものか。けっして。
 燕花は懐を探る。小鳥の羽が皮ふに食いこんだが、かまわずに握りしめる。
 簪は燕花の刃となり、渾身の力をこめて振りおろせばたしかな感触とともに腕に突き刺さった。ぎゃっ、と父の叫声と同時にわずかに縛めが緩む。その隙に逃げようとしたが、今度は頭部に激痛が走った。衝撃にくずおれ、立ち上がることさえできない彼女の腹部を、何かが勢いよく殴打する。喉が鳴り、こみあげてきた吐き気に食道が痺れる。
 蹴られたと理解したのは、二度目の暴力を受けたときだった。つま先がおのれのみぞおちに沈むのをはっきりと見たのだ。
 父は燕花が地面に倒れても、いっさい容赦しなかった。簪を持つ手を踏みにじり、罵詈雑言を浴びせてくる。
 それでも顔を殴らないのは痣が残るとやっかいだからだった。そんなところまで計算高い男に、燕花はもはや怒りしか覚えない。華奢な肉体の内で燻る激憤を爆発させる術がないのが、ただただもどかしい。
 腹を庇うために丸めた背を蹴られ、ついに意識が揺らいだ。視界がもやがかり、現実が遠ざかっていく。
 ふつりと、一瞬記憶が途切れた。もしかしたら何分にも及んだのかもしれない。
 燕花を現実に戻したのは、父の短い悲鳴だった。冷や汗で額に張りついた前髪の合間から周囲をうかがう。
 視線の先に、成人ほどの大きさの塊が転がっていた。それが何なのか――しっかりと確認する前に、汚いぼろで作った弊履がそれを遮る。
 突然現れた障害に、燕花は息を呑んだ。こんな粗末な物を、鄭家の者は身につけない。下人でさえもっといい物を与えられている。
「……おまえ」
 ざらざらとした声が、頭上から無遠慮に降ってきた。聞き慣れない音だ。だが、どこか心地よく耳に馴染む、不思議な質である。
 燕花は苦労して頭をもたげ、声の主を探した。くつがわずかに退いたかと思うと、ぬっと人の顔が鼻先に現れる。
「鄭燕花か」
 は、と詰めた息がもれた。無精髭と垢に覆われた面に収まる、黒々とした瞳が燕花を凝視している。つやめいた双眸はよく焼いた竹炭を思わせて美しい。
 喉を震わそうとしたが叶わず、かわりにあごを引いた。男の顔に愉悦な笑みが浮かんだのを認めてから、燕花はふたたび意識を手放した。
 ――気持ち悪い。寒い。揺らすな。吐きそうだ。
 鄭家に引き取られてから、燕花は毎日あたたかい臥床で眠ることが許された。夏には薄絹の寝具を、冬にはあひるの羽を詰めた布団と毛皮を与えられたので、年中快適な睡眠を取ることができた。
 なのに今はとても肌寒い。しかも、舟上のように揺れている。
 燕花は鈍った思考を叩き起こし、置かれた状況をたしかめようとまぶたを押し上げた。だが、瞳が映したのは、予想していた可能性のどれにも当てはまらなかった。
 まず認識したのは、何か力強い生命に跨がっているということだった。揺れては跳ね、地に着いてはまた跳ねる。そのたびに隆々とした筋肉が動き、しなるのが伝わってくる。
 燕花は馬に乗せられていた。落馬せずに済んでいるのは、自分より一回りは大きい人間の腹に寄りかかり、腰をしっかりと括られているからだ。顔を埋めていた胸は、汗と獣の臭いがしてとてもくさい。
 吐き気はこのせいか――まともな空気を吸おうと身じろぐと、手綱を握った者がそれに気づいた。
「お、起きたか」
 声は失神する前に聞いたものだった。男が合図すると馬は速度を落とし、尻の下から響いていた振動も徐々に弱まる。
「……ここ、は」
 舌を動かした途端に血と砂の味がして、燕花は眉をひそめる。
「城市から西へ一時ってとこだな。ずいぶん蹴られたようだけども、気分はどうだ?」
「……おりたい」
 馬を止め、男は燕花を抱えたまま地面に下り立った。互いを繋いでいた縄を解き、へにゃりと座りこんだ燕花の隣に腰を下ろす。馬は朝露に濡れた草をのんびりと食みはじめた。
「おい、大丈夫か」
「……悪いけど、少し離れてくれ。あんたがくさすぎて気持ち悪いんだ」
「なんだ、そりゃあ!」
 くそっ、と男は悪態をついたが、燕花の頭を撫でると数歩距離を取ってくれた。軽く謝罪してから身体を横たえる。
 かわたれ時の平原だった。周囲には二人以外の気配はなく、人家も見えない。
 すう、とくちびるから早朝の空気を胸へ入れる。濡れた土の匂いがする。やわらかな若葉が放つ草いきれが喉を潤し、血管を巡って全身に行きわたる。あちこちに溜まっていた澱が洗い流されていくようだ。
 指先がこそばゆくて目を向けると、一匹のアリが人差し指を這っていた。毎日欠かさずに手入れしてきた桜貝の爪には血がこびりついており、おまけに先が割れている。あれほど苦労して下女が形を整えてきたのに。
「――っ、は、あはははははははっ!!」
 突然の哄笑に、かたわらの男がぎょっと目を剥いた。しかし燕花は白い喉をのけぞらして笑いつづける。けらけらとしながらやにわにくつを脱ぎ、簪を抜き、上衣を脱ぎ捨てて帯を解く。長い髪が背を滑ろうが、やわらかな足裏を雑草が傷つけようが気にしない。
 軋む膝に鞭を打って燕花は立ち上がると、そのまま地平線へ走り出した。くるくると回るたびに衣は一枚一枚と風にさらわれていき、やがて細い体躯となめらかな肌が黎明に曝けだされる。
「おい、小燕。おい!」
 男の呼びかけを無視して踊っていた燕花だったが、すぐに足がもつれ、尻もちを着くはめになった。くそっ、と舌打ちするが、それもたちまちに笑声に変わる。派手に転んだというのに愉快げにしている燕花に、男は怪訝そうに眉をひそめた。
「……おい、燕。狂っちまったか」
「狂ってねぇよ! いたって正気!!」
「大声で叫ぶなよ。聞こえてるっつーの」
 男は大きな手を伸ばして、乱れた燕花の髪をさらにぐしゃぐしゃに掻きまぜた。子犬のようにあつかわれているが、本人は楽しげだ。
「あーくさい。けい、水浴びしてないの」
「うるせぇよ。助けてやってこのザマか」
「嘘うそ。めちゃくちゃ男らしい」
 笑いすぎて疲れた――口内に充満する金臭さを唾とともに吐き捨てる。昨夜の逃走のなごりだろう。高揚していた気分が落ち着いてくると、全身に負った傷がじくじくと痛み出した。凹凸に乏しい腹部を見れば、父に蹴られた部分が鬱血していてひどい有様だ。
「冗談は抜きにして、それ、大丈夫か。結構ひどいな」
「ん。腹減ってきたから大丈夫だと思う。それよりありがとう、系兄。助かった」
 五年ぶりに再会した男、系に対し燕花――楊燕ようえんはにかりと皓歯をのぞかせた。
 燕は、鄭家の主人が下女に産ませた庶子だった。職を失った彼女が故郷で産み落としたのは実は男児だったのだが、正妻の悋気を案じたゆえに女児として育てたのだ。
 鄭家にはすでに三人の男子がいたものの、嫉妬深い鄭夫人は夫の火遊びをけして許しはしないだろう。男児ならなおさら、家督を脅かす存在として目の敵にするはずだ。
 母の一計により、燕は少女の格好をして、村の男児たちと野山を駆けまわりながら育った。
 周囲は燕が少年だと承知の上だった。だが、実父は事実を把握していなかったらしい。
 引き取ったのちに燕の秘密を知った父は激昂し、役立たずと罵った。一度は捨てられそうになったが、何を思ったのか燕花と名付け、少年を少女として育てることにした。
 しばらくは父の真意が掴めず、燕は警戒しつつも村のために従ったが、やがて目論見があきらかになる。父は、息子を皇帝の妃にしようと考えたのだ。
 男ばかりの鄭家は、士大夫は輩出できたものの、後宮への繋がりを持たなかった。なんとかして伝手を得たいと長年願っていた父は、あるとき下女に産ませた庶子のことを思い出す。会ってみれば顔の作りも悪くなく、磨けば玉となるだろう――。
 男だと知っても、父は息子を才媛に仕立てるための教育を続けた。燕が計画に気づき、歯向かっても、彼は考えを覆さなかった。
 皇帝陛下は美しいものが好きだ――特にめずらしいものには目がない。なよやかな陶人形のような外見をした少年おまえを、きっと皇上は気に入られる。
 爛々と目を輝かせる父は何かに取り憑かれているようで、実際権力という名の化け物の手下なのだろうと燕は思った。
 おのれの出世のために、鄭家のために、血の繋がりのある生身の燕を人形に作り替えていく。成長を止めるために怪しげな薬まで盛っていた。十五にもなって少女を装えるのはそのためだ。
 しかし、燕は人形ではない。そして不幸に甘んじる性格でもない。
 鄭家からの逃亡を画策していたころ、天の采配としか呼べないできごとが起こった。雑用のため外出していた世話係のおばが、流民となっていた系と偶然再会したのだ。
 燕もおばも、故郷は鄭家の援助で潤っていると信じていた。だが実際には米の一粒も恵まれることなく、一昨年の冷害で村は壊滅していた。田畑を失った村人は流民や野盗に身を窶して糊口をしのぐしかなかった。
 故郷の悲惨な顛末を知った燕は、おばを通して系にある話を持ちかける。いわく、鄭家の一女燕花とその家財を盗んでほしい、と。
 燕は邸宅の間取りに警備の数と配置、鄭家の日々の予定など、押し入るために必要な情報をすべて流した。系は同郷の若者を金と憂さ晴らしで釣り、酒宴が行われる昨夜に決行した。
「でも、予定の時刻を回っても系兄たちが来ないから焦ったよ。怖じ気づいてトンズラしたんじゃないかってさぁ」
「城市の門番が金が足らんって渋ってな。そういや王おばさんもちゃんと連れてきたから安心しろ。もうすぐ追いつくはずだ」
「……そう、よかった」
 ほっ、と燕は胸を撫でおろした。あとで見捨てて逃げたことを謝らなければならない。
「――それで、燕。鄭小姐おじょうさまと家財を盗んだわけだが、これからどうするんだ?」
 系の問いへの答えは、すでに用意してあった。微笑を浮かべながら東の空へ顔を向ければ、日の出が始まっている。群青だった空は紫から橙へ、そしてまばゆい白光に呑みこまれていく。
「ねぇ、系兄。商売しよう。たくさん儲けて土地を買い直して、村を再興するんだ。そこに転がってる簪や真珠を売れば、充分資金になる」
「これがか? 商いするにゃあ足りなくないか」
「ばかだなぁ。それ、湖じゃなくて海の真珠だから。簪はカワセミだし、売った金で家一軒は建つ」
 腕輪は有名な職人の作品で、衣装も上質な絹に刺繍をふんだんに施してある。皇帝の興味を惹くために鄭家の精一杯の見栄を注いだと把握していたからこそ、燕は真夜中にもかかわらず盛装で待っていたのだ。仲間が屋敷から頂戴した物も含めれば、当分の生活費と起業資金は賄えるだろう。
 おのれをねじ曲げられ、弄ばれてきた檻からの解放は、炎天下に水面を煌めかせる清流のように清々しく、涼やかだった。暁光とともにさえずる小鳥も、鼻腔に満ちる風と土の匂いも、手に触れる若葉の鋭さも、ただ懐かしくいとおしい。
 燕は瞳を閉じ、一日の始まりを全身で受け止める。地平線から昇りくる太陽に向かって大きく口を開き、新たな日の空気を胸いっぱいに採り入れる。
 食んだ光は青い橘子みかんのように酸っぱく、壮快だった。

***

並木塩さんのイラスト

Illustrator:並木塩さんTwitterID

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