ウォンマガ夏フェス2015

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Theme:つまさきだちで明かす空

Author:汐江アコさんTwitterID

 自分の不安や希望、全てを飲み込んでしまうだろう黒。暗黒色が支配する海を少女シディは見つめていた。
 シディが住む港町にある灯台。壮齢の男性が灯台守を務めており、彼の手によって冒険者や商船団のために今宵も光が放たれていた。
 灯台守は光源となる火の中に薪を一本くべ、シディへ尋ねる。
「どうだ、何か見えるか?」
 彼が聞いたのは海の上の様子。より正確にいえば、シディの幼馴染が乗る冒険者協会――ギルドの船を指していた。
 シディが灯台にいる理由。それは幼馴染を乗せた船の戻りを待つためだ。
 シディの幼馴染クレイは海に出ていた。満月の夜にしか現れない「人魚」を見つけ、討伐するためにだ。
 海は人魚の領域、そして夜という環境。戦いには詳しくないシディですら不利な情勢であることは理解していた。
 クレイに「行かないで」とはっきり言えるならそうしている。だが、その五文字すらシディは発することができなかった。
 シディは人魚によって「声」を奪われてしまったのだから。

  * * * * *

 シディは港町のギルド直営の酒場で働く少女だった。齢は十六。年相応の可愛らしい顔立ちと、それとは裏腹な勝気な性格を併せ持った女だ。多くの冒険者に人気があったシディだが、それは容姿だけが要因ではない。冒険者を虜にしたのは彼女の歌だった。
 優しい声、力強い声、慟哭の声。ありとあらゆる声でもって言の葉を紡ぎ、誰もがシディの世界へと引き込まれていった。その評判は冒険者から人づてに広まり、貴族の娯楽場であった帝都の劇場にまで知られていたほどだ。劇場の人間がわざわざシディの元に赴き、連れて行きたいと言ってきたことさえもあった。
 だがシディが帝都に行くことはなかった。帝都の劇場に行けば多くのお金を手にできるし、その上成功すれば貴族に娶られるという夢物語も現実の話になり得る。確かな未来がはっきりと示された。それにも関わらずシディは全く興味を示さず、きっぱりと劇場の人間の誘いを断り、彼女が育った港町に留まる事を選んだ。
 周囲の人間に「何故」と問われたが、シディは「町を出たくない」「貴族のために歌うのは好きじゃない」「ここで歌うのが好き」と答えた。だが真の理由は別にあった。
 留まった本当の理由は、彼女の同い年の幼馴染クレイだ。
 幼いころに両親を亡くし、同じ孤児院で育ったシディにとってクレイは家族同然の存在。何の遠慮もせず、思ったことを言える相手であった。彼が港町のギルドに入り、冒険者になると言ったときは危険だからと必死に止めた。だが彼の意思は強く、結局はそれを止めることができなかった。
 それならばとシディはクレイに無理矢理ついて行き、ギルドが運営する酒場に頼み込み、そこで働き始めた。家族である彼の近くにいたいがためにとった行動だった。
 彼の帰りを祈り、そして待つ。それがシディの選んだ道だった。だがシディたちが十七歳になる年、その日常に異変が起きた。
 酒場での仕事を終えると浜辺で気の向くまま歌うのがシディの趣味だった。夜は危ないからとクレイも任務を終えて戻っているときは一緒にいた。その日もクレイがシディについて行き、シディは酒場に現れた吟遊詩人から教わった詩を自分なりのメロディで歌っていた。
 だが、それがよくなかった。
「……忌まわしい歌。あぁ憎たらしい」
 海の方から聞こえる女性の声。自分たち以外の誰も海岸にいないことをシディもクレイも知っていた。それにも関わらず何者かの声が明らかに二人目掛けて飛んでくるのだ。
 二人はそちらを見やると確かに女性がそこにいた。妖艶な声と肉付きのいい身体。そこだけを考えれば「この人は夜の海で何を?」と思うだろう。二人がそう思うことなく、恐怖を感じたのは、女性の姿なのが上半身だけで残り半分は魚ということだった。所謂「人魚」であった。
 人魚は人間の前にきまぐれに現れ、悪戯をしかけてくる。その程度であればいいのだが、ときに度を越し、海の中へ引きずり込んでしまうという事例もあるという。さほど出現頻度は高くないと言われていたものの、ギルドでも人魚はしっかりと討伐対象になっていた。
「そんな歌など消えてしまえばよい。あぁ忌まわしい、忌まわしい……!」
 人魚はそう言うと目を妖しく光らせ、シディの目を見つめた。何事かとシディは思ったが、それも一瞬。すぐに意識を失い、砂浜に倒れ込んだ。
「シディ!!」
 シディの元へクレイは駆け寄った。外傷はなく、そして呼吸があることにクレイは安堵し、再び視線を人魚へと移した。
 クレイ自身、実際に人魚を見るのは初めてだった。未知の相手。その脅威はギルドでも聞かされていた。だがシディに手を出されたことに怒り、剣を手に人魚に向かって飛びかかった。もっともクレイの一撃はわずかに鱗を傷つける程度に留まったが。それでもクレイは諦めることなく何度も人魚を切ろうと腕を振り続けた。
 飄々とクレイの攻撃を避け続ける人魚だったが、周囲にクレイ以外の人間が増えていることに気付いた。クレイの咆哮に気付いた警備兵たちが浜辺へやってきたのだ。
「ふむ、地上で多勢は不利だな。……小僧よ。次の満月の夜、海に出てくるがよい。わらわと遊ぼうぞ」
 そう言って人魚は身を翻し、海へと消えて行った。 

* * * * *

 幸いなことにシディの命に別条はなかった。医者から気を失っているだけだと伝えられるとクレイは胸をなでおろした。
 クレイはシディが起きるまでそばにいた。一睡もせず、ただ幼馴染の少女を見つめ続けた。朝が来るころ、ようはくシディが目を覚ますとクレイは大喜びしていたが、すぐにシディの様子がおかしいことに気がついた。彼女が何も言ってこないのだ。シディは何かを伝えようと口を動かすが、それが音となってクレイの耳に聞こえてこない。喉を押さえ、苦しそうに顔をゆがめるシディの様子にクレイは彼女に何が起きているのかを察した。
「まさか、声が……」
 人魚がシディにしたのは「声」を奪ったことだと。

 シディにとって声以上にかけがえのないものはない。楽しそうに歌う姿と今目の前にいる彼女を対比し、クレイは自分が何をすべきかを考えた。
 まずギルドで報告をしたのちに人魚についての情報を仕入れた。曰く、呪いをかけてくる種類もあるという。解呪の方法はシンプルで、呪いをかけた個体を倒せばいいというものだった。
 そこまで聞いてクレイの決意は固まった。
「人魚を倒す」
 ベッドで横になっていたシディに告げた。
「人魚の呪いは人魚を倒せば解ける。シディの声を取り戻すためだ。……ギルドのみんなと海に出るから、待っていてくれ」
 クレイはシディが誰よりも歌を愛していると理解していたし、自身も彼女の歌をもっと聞いていたいと思っていた。何より幼馴染であり家族でもあるシディに起きた異変に黙っていられるなんてできるわけがなかった。
 一方、そんなクレイに対してシディは強く反発した。クレイには冒険者の素質があり、相応の実力をつけているということをシディは知っていたが、一方で人魚が強く厄介な存在であることもわかっていた。もし人魚にクレイを殺されでもしたら、と考えるのは至極当たり前だった。
 シディは彼を行かせまいとし、声が出ない代わりに全身で彼女の不満を訴えた。行かないで、と。だが彼の意思は揺らぐことがない。伝えたいことを全部伝えられないことがシディにはもどかしく、そして悔しかった。
 シディが声を失って二日、満月の夜。人魚討伐の船が出る夕刻の港には声もなくただ涙だけを流し、船を見つめるシディの姿があったという。声なき声で彼女は何かを叫んだ。

 涙を零し続けても船が止まることも戻ってくることもない。ただその姿が小さくなるだけだった。シディは自らの無力さを悔み、嘆き続けた。
 その嘆きの最中、シディは視界の端に見えたある物の存在に気付いた。海岸の向こう、灯台と光に。その光が船乗りの道標であるということをシディは酒場で教えられていたのだ。
 シディは走り始めた。灯台まで止まることなく走り続けた。砂に足を取られ、何度も転んだりもした。出来た擦り傷は一つや二つではない。痛みがシディの身体のあちこちから自己主張をしていた。それでもシディは止まることなく灯台に向かって一心不乱に進んで行った。
 灯台に着くなり階段を上り、シディは最上階へと駆けこんで行った。そこには灯台守が一人いた。彼は光のもととなる火を起こし続けていた。
「……酒場の娘じゃねぇか。こんなところに一体どうした?」
 そう言う灯台守に対し、シディは息を切らせながら自分の目的を手振り身振りで伝えようとするが、伝わっている様子がない。声が出ないのだから当然のことだった。そんなシディのことなど構いもせず、灯台守は「仕事の邪魔だ」とシディを突き放した。
 だがシディは諦めない。シディは階下に下りて行った。その姿を見て、灯台守は「帰ったんだろう」と思ったが、それは間違いだった。再び石の階段を駆け上がる音が聞こえ、灯台守は階段の方を見るとシディが一枚の羊皮紙を持ってそこに立っていたのだ。
「あァ……何だって?」
 声が出ないなら文字を書けばいい。シディは次々と羊皮紙に羽ペンを走らせ、自らに起きたことを説明していった。その甲斐あって灯台守はようやく理解してくれたのだ。
「で、何でここに来た?」
 その問いにもすぐにシディは答えた。
『空を照らして、皆の帰り道を示すために』
 シディの差し出した羊皮紙を一読し、顔を上げたところで灯台守はシディの顔に気付いた。泣き腫らした目にボロボロの髪。転んで出来たすり傷。シディの尋常ならざる様子と表情を見れば、彼女をぞんざいに扱うことなど彼にはできなかった。
「まァ、いいだろう。邪魔しなけりゃ」
『手伝わせて』
「……つってもなぁ。とりあえず火が消えないよう薪をくべてくれればいい」
 灯台の光は冒険者や船舶にとって希望の光。明るく照らすことがクレイの希望になるからとシディは灯台守を手伝った。石で作られた数段の階段を上り、灯台守の教えの通りに薪をくべる。シディが火の上を見上げるとそこには鏡があり、それが反射して海や町へと光を送り出していた。これならばクレイの助けになれる。火と鏡を見て、シディは改めてそれを実感した。
「……よし、もういいぞ。お前さんは海を見てろ」
 灯台守にそう言われてシディは自分の顔の高さくらいある壁につま先立ちで寄り掛かって海を眺めた。黒の海の中に白の月が存在している。その他には何も見えはしなかったが、だからといってシディは海を見るのを止めようとはしなかった。いつ船が視界に入ってくるかわからないからだ。
 ただひたすら海を眺め続ける。シディは疲労こそ感じていたが、辛いとは思っていなかった。むしろそう思ってはいけないと気を張っているのだ。「何か来たら起こしてやるから」と灯台守に言われたりもしたが、それでもシディはその場を譲ろうとはしない。何かを待ちわびるその表情に鬼気迫るものを灯台守も感じ、何も彼女に言わなくなった。
 風の音と、薪が火で割れる音、そして小波の音。語れないシディとあえて語らない灯台守。黒い夜を背景に、静かな夜の時間が刻まれていく。

 黒から群青色の世界へ変わろうとする時間になっても二人は火の番をし、灯りをともし続けた。未だ何も起きていないし、船を見ることさえなかった。
「そろそろ朝か。……もう戻ってくるころだと思うんだが」
 一晩起き続けたせいもあるが、未だクレイを乗せたギルドの船が帰って来ていないという事実がシディの心を酷く揺さぶった。
「おい、何落ち込んでンだ。薪をくべろ。まだ夜が明けきってねェ」
 シディの様子を見た灯台守は彼女を叱った。もちろんそれが彼なりの気遣いなのはシディも理解していた。自分の弱い気持ちを消すように、シディは言われた通り薪を数本火にくべた。火が強くなっていたのか、すぐにパキリという音が二人の耳に届いた。船乗りを勇気づける光だが、今はシディの心を励ましているかのようだった。
「そう、それでいい。……どれ、小腹でも空いたろう。スープでも持って来るか。飲むだろう?」
 灯台守はそう言い残して階下へと下りて行った。
 シディは再び壁際へ行き、海を眺めた。夜通し壁に向かってつま先立ちを続けていたせいでかなりの痛みをシディに伝えていた。
 遠くから聞こえた音に期待を持たせられたり、船かと思った影が実は流木だったりと、一夜の間にシディが抱いた期待と泡となって消えた希望の数はイコールだ。それでもシディが海を見るのを止めることはなかった。
 一旦壁から離れて薪を手に取ったとき、異変に気付く。気付いたからこそ再び海を見やったのだ。この数時間と同じ、何も変わらない水平線。だがシディは何かあると直感的に理解した。だからこそ急いで灯台を下りていこうと走り出したのだ。
「ん、おい。どうした、どこへ行くんだ?」
 階下で小さな鍋を温めていた灯台守は階段を駆け下りて行くシディに気付き、声をかけた。だがシディはその声に反応をしないまま、地上へと下りて行った。
 何かあったのかと思い、灯台守は最上階へ上がっていく。
「……何だ? 何もねェじゃないか。……おい! 一体どうしたってんだ?!」
 既に灯台を下りたシディに向かって灯台守が大きな声で問い掛けた。それに対してシディが指を海の向こうに指した。
 そして。
「船が帰ってくる! ありがとう、私行かなきゃ!」
 シディに言われて灯台守は単眼鏡を用い、海をもう一度眺めた。
「あ、あぁ。確かにそれらしきものはあるな……って、お前!」
 灯台守の目には船らしい影が遥か遠くに見えた気がした。あくまでも「気」なので半信半疑ではあった。だがそれを裏付ける証明が今さらりと成されたことに遅れて気付いたのだ。
「そうか……お前だから、お前だからこそわかったんだな」
 既に姿が小さくなったシディを見ながら、灯台守は呟いた。水平線の向こうには朝を知らせる光が見え始めていた。

 * * * * *

 一晩眠らずに立ち続けていたせいか、シディの足取りは覚束なく、何度も転んだりした。早く早くと急く気持ちに身体がついてこないのだ。それでも立ち上がって前に進み続ける。全ては港でクレイを待つために。
 海の方を見ると、既に太陽が昇り始めていた。長い夜の終わり。あとは船が戻ってくれば全て終わるのだ。
 港で働く漁師や市場の人間数人が既に働き始めていた。シディは彼らの間を抜け、船着き場へと足を進めた。途中で彼らに声をかけられ、その全てに反応していったが皆が顔を綻ばせて行った。シディの反応こそが吉兆だと理解したからだ。
 ようやく船着き場に到着したシディ。人魚に声を奪われてから二日。精神的なダメージ。昨夜からの寝ずの番とその疲労。シディはボロボロであったが立ち続けた。むしろ船の姿が大きくなるのに比例して気力を取り戻していていくかのようだ。
 さっきまでシディがいた灯台では今も灯りをともし続け、帰るべき道標を示していた。船は太陽を背にし、港へと近づき、そしてついに入港してきた。
 シディにとって唯一の心配はクレイが船に乗っているか。それだけだった。だがその心配も杞憂に終わる。
 冒険者の一人がデッキの上から手を振ると、シディはそれに応え、手を振り返す。その冒険者は背後にいる何者かにシディの存在を教えているようで、すぐにその人物が船のデッキから身を乗り出して叫ぶ。
「……シディ!」
 シディが待ち望んだ、唯一無二の幼馴染であり家族でもあるクレイだった。クレイの存在を確認するとシディはぼろぼろと涙を流し始めた。
「今下りるから!」
 そう言ってクレイがデッキから姿を消した。
 ――クレイが下りてきたら、最初に何て言おう。
 灯台を飛び出してからシディはずっと考えていた。もっともその考えはまとまることなく現在に至る。
 シディのもとへと駆けよって来たクレイはあちこちに怪我をしているものの無事な様子でいた。それを確認するとシディはさらに涙を零し始めた。
 そして誰もが予想だにしない行動に出た。
 風を切り裂く音が聞こえるような、そんな平手打ちをクレイに見舞い、地面へ押し倒した。状況を飲み込めないクレイを無視し、シディは何度もクレイの胸を叩き続ける。クレイも何も言えずにただシディの拳を受けるのみだった。
「クレイのバカ……! バカよ! あんたなんか、あんたなんか……っ!」
 クレイがシディを止めない理由など明白だ。シディが声を出している。それだけだ。その事実さえ分かればクレイには十分だった。
「死んだらどうするの?! わたしは、そんなの望んでない!」
「うん」
「いっつもあんたは勝手ばかり! わたしの考えていることなんてちっとも理解しないで……!」
「うん。ごめん。それでもシディの声を、歌をもっと聞きたかったから」
 そう言うとクレイは空いた右腕でシディの頬の涙を拭った。
 もう一方の左腕でシディを抱き寄せ、頭を撫でた。最初は嫌がったシディだが、何かの引き金になったのか、人目も憚らず大きな声で泣き始めてしまった。
「……シディもボロボロだな」
「うるさいっ!!」
 港を照らす朝の知らせ。シディとクレイ、それぞれの戦いの終焉を知らせるような光だった。

***

世重さんのイラスト

Illustrator:世重さんTwitterID

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