ウォンマガ夏フェス2015

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Theme:迷子の此岸を星の仔とゆけば

Author:たまきこうさんTwitterID

 その夜、赤い赤い一つの星が、真っ直ぐに彼の地を目指して駆け抜けた。切り裂くような赤い光の線が紺に染まる空に残る。空を見上げる人々の目にはそれが、夜空に残る傷跡のようにしか見えなかった。

「あら、まあ」
 幾重にも重なる御簾の中の彼女は、見えない星を見るように顔を上げた。見上げた先には天井だけがあるはずだったが、赤いうちきを纏った彼女が駆けていくのが見えていた。息をつくように笑みを零す。仕方のない子、と紅を差した赤い唇の口角をあげた。黒く長い艶やかな髪が床にまで広がり、夜の闇と混ざりあう。
「お呼びですか?」
 どこからともなく、十に満たないような見目の変わらない双子の少女が現れる。肩まで切りそろえた髪も、真っ直ぐ女を見つめるその視線も何も変わらない様子をしていた。
「なんでもないのだけれども」
 それでもおかしくて仕方ないように、上衣の袖で顔を隠すように声も出さずに笑う。深い息を何度もつき、ようやく調子を整えると、双子の一人の頭に手を乗せた。
「あの子は本当に飛び出して行ったよう」
 双子はそれを聞いて、目をまあるくして、顔を見合わせたのだった。大切なものがあるからと、必ず宮を出て行くのだとそう主張して憚らなかった、その彼女が本当に居なくなったのだから。そのようなことは無理だと、彼女に対して笑って答えたのは少し前のこと。
「行ってしまったのだって」
「本当に出ていたのだって」
「もう、戻らないのだって」
 口々に話す言葉は、次第に力を失い、最後には静かに目の前の女性を見つめるだけになった。四つの視線を浴びて、ようやく彼女は静かに星が消えた方角を見やった。そして、首を小さく振るとその視線に応える。
「少しの間、見守っておいで」
 ――赤い星の墜ちた夜、その国で一番歓迎されるべき男の子と、その国の小さな村で赤い痣を持った女の子が静かに産声をあげた。

***

 天を支える一族がいる。地上の王と対になるように天を治める王を支え、そして天と地が交わらないようにするのが彼らの務め。混沌だったという世界の始まりは天も地もなく、右も左もない。ただ全てが泥のように混ざりあう状態。神はそこから天と地を作り、朝と夜を作った。そして、天と地をそれぞれ治める王を置き、眠りについたと言われている。
 世界の始まりに戻ることがないように、厳しい戒律を作り、彼らに代々伝わる天の王に与えられたものを守りながら生きていく。
 地の王に仕えるものに姓が与えられるのに相対して、天の王に仕えるものに姓はなく、ただ名だけを残す。初めこそ天の民と名乗っていた彼らも、今では名もなき民と呼ばれる。そして、その一族を率いるものは、名すら持たないのだった。


 サヤは諦めたような疲れた表情で、そっとカイの頭を撫でた。そして、ごめんねとぽつんと呟いた。
「一人にして、ごめんね」
 その言葉にカイは背筋が痺れるような衝撃を受けた。サヤは、小さい頃からのお世話をしてくれる人で、姉のような存在だった。それでも、カイを置いて出て行ってしまう。
「行かないで」
 彼の世界がまだ小さくて、サヤを初めとする数人の大人と小さな宮が全てだった頃。サヤは、理由も言わずに彼の元を離れてしまった。それが、彼女の精一杯の優しさ。
 縋り付くカイをそっと引き離すと彼女は振り返ることなく去ってしまう。小さくなっていく影。
「待って」
 思わず声を上げ、引き留めるための腕を伸ばす。彼はその自分の声で意識を取り戻した。
 開いた目に飛び込む太陽の光が眩しくて、思わず目を閉じる。
「気がついた?」
 声のした方に顔を向けると、少年と変わらないような年の少女が心配そうな目をしながら見つめていた。衣に短い袴を合わせ、髪を後ろで結い上げた少年のような格好をした人物が、男に見えたのは一瞬で、声や話し方は少女のものだった。
「どこか痛む?」
 彼女が問いを重ねる。土色の髪と黒目がちな瞳が夢と合間ってサヤのそれと重なる。胸が疼いた。
 大丈夫だと、答えようとして喉が乾いて掠れた声しか出ないこと気がついた。少女もそれに気がつき、慌てて肩にかけていた麻の鞄から筒を取り出す。そして、彼にそれを差し出した。
 カイは、それを受け取るとゆっくりと水を口に含む。乾いた土のように、身体の中に水分が染み渡るのを感じる。少女は満足そうにそれを眺め、口を開いた。
「わたしは、ティーハ。この近くで倒れていたのを見つけたから、とりあえずここまでは運んだんだけど。気がついて良かった」
 一息ついてみると、何があったのかを全て思い出してしまった。ああ、そうだったと、自嘲めいた口調で思う。
「世話になった。すまないが、行かなければならないところがある」
 彼女はそれを聞いて、カイの纏うほうの端を掴むように慌てて引き止める。薄汚れてはいるが、その衣服がただの行き倒れの人物にしては良いものだということは、ティーハにも分かる。そうだとすれば、それなりな理由があるはずだった。
「待って。どこに行きたいのか分からないけれど、あなたは少しここにいた方がいい」
 それは、まるで全てを知っているような強い口調で、それは助言というより予言めいていて。彼は、その強い意思に頷かないわけにはいかなかった。
 行きましょう、と彼女はそっと彼の手を取った。昔、サヤが一緒に歩いてくれた時もこうだったと、彼は思い出す。
 十にも満たない頃に別れた彼女が今どうしているのか、彼は知らない。あれから5年近く経つにも関わらず、この国は今も荒れたままで、彼は一番大切な場所から逃げ出したのだった。

***

 彼女が案内したのは、小さな村だった。小さな畑と必要なだけの家畜を育てている。山の麓にある村では、山で獣を狩ることもでき、川から魚も捕ることができるのだろうことは想像に難くなかった。自然に囲まれた生活を彼は知らない。書物の中にあった世界がそこには広がっていた。その村の中程にある、一つだけ群を抜いて大きな家の入り口でティーハは声をかけた。
「ねえさま、いらっしゃいますか?」
「おいでなさい」
 戻ってきた声は、ティーハとよく似ていて、けれど艶っぽさを含んだものだった。それを聞くと、彼女は安心したようにカイに笑いかけ、そして入り口の簾を持ち上げ中に入るように促した。
 薄明かりしかないその家の中央に座っていた女性がこちらを振り向く。その顔立ちでティーハと姉妹なのだとすぐに気がつく。その女性を囲むように老若男女問わず何人かの人が座っていた。けれど、まるで人形のように物音一つ立てない。
 ティーハによく似た女性は、一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻す。彼に向かって、座るように告げた。
 入り口近くに置かれた、丸い敷物の上に腰を下ろす。袍の中に隠し、腰につけていた護身用の刀が床にぶつかり音を立てた。カイは慌てて隠そうとしたが、気にしなくていいというようにティーハは首を振ってみせた。今、この国を渡り歩くにはそれなりの備えが必要であることは理解しているように、周りの人々も沈黙を守る。
「探し物がお有りなのでしょう? 殿下」
 その呼びかけに、周囲の人々の間の空気が緩む。年を取った人々は気がついていたように首を縦へと深く動かしていた。内心では驚いていたカイも、それを面に出さないように深く頷く。
「もう殿下と呼ばれることはありません。私は逃げ出してきたのですから」
 この国で、王位継承争いが起きたのは、5年前。本来であれば、継承権第一位のカイが王になるのが順当だった。しかし、カイには一つ問題がある。カイが忌まわしき夜に生まれてきたと言われていたことだった。彼が生まれ落ちた夜、赤い星がまっすぐに堕ちた。それが良くないことが起きる前兆だと言われている。それが、彼自身が王になることだと、王位継承権第二位の彼の叔父は主張した。始めこそその主張は力のないものであったが、彼の父が急逝してしまったことが発端となり、国全体を巻き込む争いへと発展する。カイは荒れる国を憂い、叔父一派の人間に追われるように王宮から逃れたのだった。もう、戻ることもない。
「失礼いたしました。カイさま、探しものは見つかりましたか」
 面白がるように笑いながら、女性は問いかけ直す。彼女はにじり寄るように彼に近づく。緋色のの色彩が目に映える。しゃらん、と動いた拍子に腕輪同士がぶつかり高い音を立てた。しゃらんしゃらんと、音が耳に残る。靄がかかったように視界の端に写っていた人々が遠くなる。黒目がちの瞳が胸の奥まで入り込んでくる。
「恐れることなど何一つありませぬ。ここは、中央から遠く離れた名もなき民の村。私にも名を持たぬ身。カイさまを追う者もここでは無力でしょう」
 名もなき民と聞いた時、彼の脳内で鍵が外れるような音がした。気がついた時には口がもう言葉を発していた。
「あなた方に会いに来たのです。争いを止められるのは名もなき民だと聞きました。遠い昔、争いを止めたのでしょう」
 その答えに、ざわりと空気が揺れた。その気配に、靄が晴れ始める。しかし、困ったような周りの気配は想定外だった。斜め後ろに控えるティーハの方を向くと、俯いたまま動こうとしない。微かに震える肩からは、様々な感情を堪えているようにも見えた。
 カイが正面を向き直ると、女性はもうカイの方を見てはおらず背中を向けた状態で中央に座っていた。困惑したように周りの様子を伺う。ひそひそと、年配の男性たちが顔を付き合わせていた。
「むかぁしの争いを止めたのはわしらではないよ、若いお方」
 口を挟んだのは部屋の隅にうずくまるように座る老婆だった。襤褸を纏うような格好で、開いた目がぎらぎらと光る。
「詳しい話は知らないね?」
 書物で読んだだけの知識であることを指摘された気がして恥ずかしくなる。小さく頷くしかなかった。
「あの争いはね、わしらとそなたたちとの争いであった。天を統べる王に仕えるわしらと、地の王に仕えるそなたらと。わしらも、あの頃にはまだ名前があった。互いに傷付けあう日々。それを憂いた地の民のものと天の民のものが天の王に祈った。全てを終わらせようとして。終わりは呆気ないものだったよ」
 ゆっくりとした口調で、老婆は語る。その時を生きていたはずがないが、まるで見てきたようだった。
「天の王はこの争いも終わらせてはくれぬのでしょうか」
 その問いに老婆は応えることなく、静かに目を閉じた。光る目が消えると闇と同化する。
「願えばもしかしたら、叶うやもしれません。けれど、あなただけではどうでしょう。ティーハ、どう思う?」
 妹への呼びかけは、確かに姉の親しみやすさを含んでいた。
「地の王からの呼びかけと捉えればもしかしたら、うまくいくかもしれないけれど」
 歯切れの悪い答えが、確証の無さを示していた。姉も妹の答えにそうでしょうねと頷く。そして老婆の方に視線を向けるが、その瞳は閉ざされたまま、開く気配はなかった。
「どうするかは追ってお知らせします。本日は、お下がりください」
 逆らうことは許さない声音で彼女は告げた。上に立つ者特有のその響きを彼は知っていた。だからこそ、さらに食い下がるわけにはいかなかった。その場をあとにしようとすると、ティーハもまた彼に続く。
 暗い部屋とは対照的に外はまだ明るい。晴れた外の空気は、重たいものを吹き飛ばしてくれそうだった。

***

 夜、外を出歩く気配がなくなった頃、カイは用意してもらった部屋をこっそりと抜け出した。外は涼しく、息をするたびに肺の中に冷たさを含んだ空気が入り込んでくる。空では、誰かが水差しからこぼしたように星が連なっていた。
「星を眺めるのは好き?」
 後ろから声のかけられたカイは、ゆっくりと振り向く。ティーハは、窓から顔を出すように彼を見ていた。上げていた髪を下ろすと少年らしさが無くなり、途端に少女らしさが際立つ。
 星を眺めることは、占いのようで彼は好きだった。なんと答えるか迷っているうちに、彼女は言葉を重ねる。
「わたしはね、星を眺めているととても不思議な気持ちになるの。あそこに大切なものを置いて来たような」
 すっと彼女が指を差す。その方向には、道標の星。一年中見ることのできるその星は、星が巡る中心にあるので滅多に動くことがなく、方角を知るのに重宝されていた。
「置いて来た?」
 意味を捉えかねて繰り返すと、ね、不思議でしょうと彼女が笑いかける。唇から八重歯が覗いた。
「わたしも同じなの」
「同じ?」
「そう、あなたと同じ。わたしもあの赤い星が堕ちた夜に生まれてきた」
 驚くように口を開いた彼からは言葉にならない声しか出ることはなかった。
「わたしは星の仔なの」
 彼女はそこで言葉を区切ると、すっと姿を消した。そして、今度は入り口から現れ、カイに歩み寄る。明るい頃合いとは違う、踝まで覆うような空色の貫頭衣に着替えた彼女はどこか神秘的だった。
 ティーハは首の辺りに手をやると、胸元を止めていた紐を緩める。花のような星のような形をした赤い痣が顔を覗かせる。その痣に既視感を覚え、カイは頭がくらりと揺れたような気がした。
「天の王の使いだと、村の人々は言う。だから、この村ではあれは不吉の印ではなく天からの祝福だと言われてる。だからあなたの誕生も、きっと……」
 言葉は紡がれないまま、吐息へと変わる。彼女は星を見上げた。あの日の出来事に、そのような意味など無いことを彼女は知っていた。
 少女の横顔の輪郭が夜の中に儚く浮かんでいる。不意に彼女は尋ねた。
「あなたは王さまになりたいの?」
 カイの方を見ることもなく、独り言のようにも聞こえた。思わずカイが聞き返すと、彼女は寂しそうな瞳で繰り返す。
「争いが終わらせて、この国の王になりたいの?」
「ずっと、この国に相応しくない子だった。小さい頃から、出入りできる場所が決まっていた」
 離れた宮で、彼と数人のお世話をする人たちで暮らしてきた。王の居る本宮には滅多に訪れることもない。小さな世界に閉じ込められていた。だからこそ、周りにいる人たちは彼にとって大切な人たちだった。その人たちも、争いが長引くに連れて、櫛の歯が欠けるように居なくなる。
 寂しさを乗り越えたような瞳に、ティーハは心臓を掴まれたような苦しさを覚えた。
「王にはならない。それは、俺の役割じゃない。でも、これ以上大切なものをこぼれ落としながら進みたくない。なにも出来なかった分、やっとできることを見つけた気がするんだ。それに」
 強い口調で話す彼が言い淀む。それに? と顔を覗き込んでくるティーハと目があったまま反らせなくなる。促すように、なあに、と子どもに向けるような甘い優しさを含んだ声で尋ねた。
「こちらの方向に、呼ばれているようか気がした。おいで、と手招きされているような」
 それを聞いて、ティーハはひどく傷ついたような表情を浮かべた。すぐに顔を背けられ、カイに見えたのは一瞬だったけれど、それでも見逃すことはできなかった。
「どうして」
 力が抜けたように倒れようとする彼女を支えようとカイは手を伸ばす。しかし、その手からすり抜けるように彼女はその場に座り込む。
「こんなこと、望んでなかったのに」
 零れる涙を拭おうとして持ち上げた手を、彼は力なく落とした。ただ、隣に立ち尽くすように彼女を見ていることしか出来なかった。

***

 カイは再び、村の中央にあるティーハの姉の家を訪れていた。朝から、ティーハの姿は無く、昨日のことについて話をすることもかなわない。どうするべきかと悩んでいる間に、村の子どもが迎えに表れたのだった。
 相変わらず、暗く締め切った空間で彼らは二人きりで向き合っていた。見れば見るほど似ているようにも見えるし、全く似てないようにも思える。
「本当に」
 相手の影を見つめているだけの時間が過ぎた後、彼女は言った。
「本当に、あなたが争いを止めるために祈る覚悟があるならば、私たちはそれを止めないことにしました」
 彼女の影から白い衣と裳をまとったティーハが現れる。髪を編み上げ紅をさしている。白い固まりがにじり寄ってきたようにも見えた。ティーハがそっと灯明を灯し、部屋は丸く明るくなる。白い着物が灯りに照らされほのかに薄紅色へと変わる。
「案内はこの子がします。その前に、カイさまにお話しておくことがあります。天に祈ることの意味を」
 すっと細められた目がまっすぐにカイを見ている。カイは目を反らすこともできず、目の前の女性を身動ぎもせずに見返していた。衣擦れの音がして、彼女がそろりそろりと近づいてくる。そして、カイの頬を包むように掌を添える。顔が固定された状態の彼はされるがままに身を任せることしか出来なかった。ふふ、と甘い吐息のような笑い声が耳朶を打つ。彼女の顔が不意に近づき、彼は思わず目を閉じた。

 彼の意識がするりと落ちていく。夢の中のように曖昧な場所に彼はいた。そして、夢を見ているように誰かの人生を追っていた。
 ある時は、雨の中を一人で歩き、ある時はたくさんの人に囲まれている。彼が見ているのは女性の目を通したものだと言うことはぼんやりと聞こえる話し声で分かる。
 カイは抗うこともせず、めまぐるしく変わる目の前の景色と感情をぼんやりと眺めていた。
「あなたは王になりたいの? 争いの終わったこの国の」
 どれほど経ったのか分からない頃、耳に入った言葉に意識を引きずられた。昨晩、カイがティーハに問いかけられたものと同じもの。
 彼女の目を通して、癖毛の黒髪の男が見えた。その姿に、カイは小さく息を飲んだ。この国の王族のみが身につけるものを許されている白に金の刺繍が入った衣。そして、何よりカイによく似た目をしていた。
「わからない。王になりたいと思っているのか、この国を守りたいだけなのか」
 目の前の男の答えは、昨日のカイのように悩み苦しんでいた。
 その後も彼女を通して何度も彼を見、何度も話を聞いた。2人は朝まで語り明かし、静かな時間を楽しんでいた。その様子を追いかけるうちに、2人を取り巻く状況も分かって来た。男は地の王の息子、そしてカイの目となる彼女は天の王に仕える娘だった。この地の民と天の民はいがみ合い、争いを繰り返す。2人は争いを止めようと画策しようとしていたのだった。
 カイには、彼女の気持ちが流れ込んでくる。それは、強い意志と不安と、喜びだった。くるくると変わるその感情の渦に溺れながら、彼はただ2人を見つめていた。
 彼らが空に突き抜けるように伸びる巨木の下に立った時、それがその時だとカイは悟った。
「大丈夫?」
 不安そうに問いかける彼女に答えるように繋いだ右手が強く握られた。ふと、彼女が右手に視線を下ろした時、白い手に赤い痣が有るのが見えた。それは、ティーハの胸元にあったものと同じ形。男の方が覗き込むように黒い瞳を合わせた。瞳に映った彼女の姿は、ティーハによく似ている。
「大丈夫、きっと。私たちならやれるはず、だろう?」
 その言葉はよく彼女が口にしていたもの。その強張った笑みを彼女は返す。そして、強く息を吐くと、2人は一歩を踏み出した。
 登ったと認識をする前に、彼女たちは扉の前に立っていた。後ろには長い階段。一番下を見ることはできないほど、下へと続いていた。
「おいでなさいませ」
 どこからともなく声がかかり、出迎えたのはよく似た顔をした、2人の少女。
「どうぞこちらへ」
 幼いその声に導かれるままに、彼らは天の王が住まう宮へと足を踏み入れる。天の王は、姿を表すことなく御簾越しに対面し、彼らの願いを聞き届けた。しかし、彼女は天の王の元で仕えるために宮へと残り、彼は地の廻りへ加わるために地上へと戻されたのだった。
 地の王族は死んだ後も王族として生まれ変わるために地の廻りと呼ばれる大きな流れに加わる。そして、何十年か後、また王族として生を受けるのだった。地上に戻る彼の姿を見つめ、カイは息を止める。
 引き裂かれるような彼女の心の痛みを感じるとともに、弾かれるようにカイの意識は彼女から離れた。

***

 彼らはどこまでも上へ上へと伸びていく巨大な木の根元に立っていた。カイは傍に立つティーハを見つめる。
「すまない、君のこと覚えていられなくて」
 彼女の姉が見せた、過去の出来事がティーハになる前の彼女の記憶であったことも、記憶の中の王子が遠い昔の自分であったことも気がついていた。
 そして、もうひとつ大切なことも分かっていた。
「約束を守るために、また地上へ降りてきてくれたのに、出会ったときには手遅れになっていて……」
 そっと、ティーハの人差し指が彼の唇を塞ぐように立てられた。首を横に振って、答える。
「もう、いいの。最後に会いに来てくれてありがとう」
 彼女は出会ったときから、カイがもう肉体を持たない存在であることに気が付いていた。それでも、声をかけずにはいられなかった。もう一度、触れずにはいられなかった。
 カイの姿が透けて始めていく。もう、肉体を保つこともできなくなっていた。
「きっとね、あの方はあなたの話を聞いてくれると思うの。だから、安心して旅をして。大丈夫、あなたはもう迷ったりしない。あの星を目指してまっすぐ進んでいける」
 彼女の指差す方には道標の赤い星。
「あなたを探して天から堕ちてきた迷い星だったけれど、今は天を支えるものだから、一緒には行けないから。だから、お願い。今度はあの場所でわたしを待っていて」
 彼女の差し出した手にカイがゆっくり触れる。ティーハはそのまま、カイを抱きしめる。そのとき、光が霧散するように彼の姿が揺らぎ、木に引っ張られるように彼だった光が上へと昇って行った。
「またね、」
 それは、ティーハが旅立つ彼に贈る最後の言葉。

「また、地の民の迷い子か」
 双子に迎えに行くように指示しながら、天の王が呟いた。
 おしまづきにもたれかかり、地を見下ろす。
「久方ぶりに地の王と相見えるのも一興」
 その夜、道標の星が強く輝きを放った。それは王位継承の争いに終止符を打たれる前兆であったのだと、後の人は囁いた。遠くない未来まで、あと僅か。

***

なつたろさんのイラスト

Illustrator:なつたろさんTwitterID

見たよ!
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