ウォンマガ夏フェス2016

お題:簪/カチューシャ | 絵:維夏 | 文:都田爽

灯揺らり秋夜風


葬送の錦燈籠

   昔、一人の男が在りました。
 男は都で或る小間物屋に奉公しておりましたが、この度訳あっていとまをいただき里へ帰る次第となりました。
 毎日病気もせずよく働く真面目な男の、奉公してからというもの初めての暇の願いでございましたから、主人も奥方もそれはそれは気前良く、旅に入り用な物やいくらかの金子などを工面してやりまして、そうして男の旅立ちと相成ったわけでございます。



 ああ、参った。
 弱々しく萎れた声で呟いて、男は足を止めました。
 辺りは薄らと暗くなり、木々の合間より見える空は橙に染まっておりました。
 都を出てから三つ宿を過ぎまして、山へ分け入ったのが今朝のこと。
 日が傾き始めてから宿を探しはしたものの、行けども行けども小屋の一つも見つからず。
 これでは火を焚き獣に怯えながら草を枕にするしか手はございません。
 気落ちすれば疲れもいや増すというもの。男は溜め息を一つ、側にありました岩にどさりと腰を下ろしました。
 いつの間にやら影は濃くなり長くなり。
 ひゅうるり、ひゅるり、木立を駆ける風が鳴き。
 どこかでかさりと影のうごめく音がする。
 そのくせ都とは勝手が違い、人の話し声などしやしない。
 男はぶるりと身を震わせて、合羽かっぱの前を掻き合わせます。
 こんな山中、森の中。朝まで無事でいられるかしらと、いよいよ男は縮こまっておりました。

 さて、そんな折のことでございます。
 男の目の端に何かがちらり。
 おや、と顔を上げればもう一つ。
 今しがた男の通ってきた道の遠くに、あかりが揺れておりました。一つ、二つ、三つ四つとそれは数を増して参ります。

「こいつは一体何だっていうんだ」

 こんな日暮れに行列か、何か。男は首を傾げつつ、じぃっとそれを見つめておりました。
 その間にも増える灯火。弱くも明るいその光はぼんやりと山道を照らしてゆきます。
 そうしている内に、男の側にも灯りがぽつり。

「おや、人もいないのに火が点いた」

 不思議に思いまして男が近寄り見てみますと、これはなんとも奇っ怪な、

「鬼灯が光っているではないか」

 思わず声を上げるも、男は慌ててその口を押さえました。
 その字の通り、鬼の灯か。人ならぬものの為すことならば、次に来るのは鬼か天狗かあやかしか。
 男は震え上がって道の端にうずくまり、小さくなってしまいました。

 しゃん、しゃらん。

 微かな音が風に乗って男の耳に届きました。
 息を殺して身を縮めて、がたがた震えている男の方へ、その音は次第に近付いて参ります。

 しゃららん、しゃらん。

 声は出すまい、何も見まい、ただはよ過ぎよ。と神に仏に祈る気持ちで男はぐっと目を瞑りました。
 音は近付き、ああ、なんということ、男の側で止まりました。

「おや、旅の人」

 それは年若い少女の声音でございました。驚き男が目を開けば、そこには。
 一人の少女の佇みまして、その後ろに、一頭の大きな白い獣がおりました。
 ひ、と男は息を呑む。それを少女は不思議そうに眺めております。

「かような日暮れに、いかがなさいましたか」

 黒いまなこはじっと男を見つめたまま、少女は言葉を続けてゆきます。

ふもとの里でお聞きになりはしませんでしたか。

    其処そこは御神のまします御山、何人なんぴとたりともよしなく入るは赦されざるなり。
    其処は神使しんしすみかたる山、捕らえんとても獲られ喰わるるは人の身ぞ。

 ……と」

 歌うように小さな口から零れたそれは、確かに男が昨晩宿で女将から言い聞かせられたものでありました。
 さればこの獣と少女は神か使いか、それともやはり鬼なのか。鬼灯の灯りは彼らのものか。
 がちがちと歯の根の合わぬまま、男はなんとか声を絞り出しました。

「は、はい。確かに聞きましてござります。
 しかれど、歩けど歩けど小屋の一つも見当たらず、今宵の枕は草にするしかあるまいと思っておりました次第で」
「あら、それは気の毒に。どうぞ共においでください。夜は危のうございます」

 にこりと少女は笑みを浮かべまして、さあ、と男を誘いました。
 行こうか行くまいか、行って喰われるか行かずに喰われるか。
 男は迷いに迷って黙りこくっておりましたが、少女も黙って待っているようでありました。
 大きな白い獣はぺたりと腹を地に付けて、男の方を見つめております。

終日ひねもす歩いてお疲れでしょう、彼が載せてくれるそうですよ」

 少女が獣の頭を撫でつつそう言いますと、男はそれはもう驚きまして、いやいやしかし、と手を振り首を振り必死の様子。

「どうぞ遠慮はなさらないでくださいな」

 ほらほらお早く、と急かされて、男も腹を決めますれば、獣に近寄り恐る恐る手を伸ばす。
 獣の方は静かにそれを待っております。
 男の手に獣の毛皮が触れました。白く長く艶やかな毛に、ふかりと指が沈みます。
 もふ、もふ、とついその手触りを男が楽しんでしまう間も、獣は静かに待っておりました。
 馬の背に跨るように、しかしそれよりは幾分丁寧に、男が獣の背に乗りますと、獣は徐ろに立ち上がりまして、少女を先導にゆったりと歩みを進めて参ります。

 しゃん、しゃらん。
 しゃららん、しゃらん。

 獣が一歩踏み出すごとに、しゃらりと音が響きます。
 その音の出処はと言いますと、獣の咥えた長い棒でありました。
 その先端には、深い緑の飾り紐、ぼんやりと光る柄入りの鬼灯、緑や赤の珠に平打ちの木の葉。これらが触れ合い音を立てておりました。

此方様こちらさまの咥えているのは一体何でございますか。音が鳴るから錫杖しゃくじょうかとも思ったがそうでもない」

 男は先を行く少女へと尋ねました。
 少女は振り返りもせず止まりもせず、それでも耳は傾けていたようでありました。

「そちらは簪でございます」
「ほう、簪。それにしては大きいですね」

 得心の行かないらしい男の声に、くすくすと笑う少女の声。
 ようやくくるりと振り向いて、少女は真剣な面持ちを浮かべました。

「そちらは奉納の品にございます。
 ここは山祇やまつみ様たる御山にございますれば、毎盆その年の錦をお納めするのが習わしでございます」
「錦。しかしこれは……」

 金糸銀糸の綾を織り成す豪奢な反物を思い浮かべた男でありましたが、少女は首を振りまして、なおも言い重ねるのでありました。

「いえいえ、錦とは鬼灯のことでございます。
 鬼灯はまたの名を錦燈籠と申しまして、精霊しょうりょう送りの目標めじるしと致します」
「ははあ、なるほど」

 男はうんうんと頷いて、ようやっと腑に落ちた様子でありました。
 どうも鬼ではない様子だと安堵したのもまた一つ。
 道の先へと目を向けて、もう一度少女へ尋ねます。続く道には鬼灯の灯り。

「ならばこれらの鬼灯も、貴女方の目標ですか」
「私共のものではございません。先導の必要な者らのものでございます」

 その言葉に、はっと後ろを振り返り。男の目には、蒼白い影が見えるような、見えないような。

「怖がるものではありません。彼らもただの旅人にございます」

 淡々とした少女の声。男の目には定かに見えずとも、そこに歩いているのだろうか。
 男はしばし、ぼうっと後ろを見ておりましたが、小さく首を振ると前へと向き直り、獣の首に顔を埋めました。
 獣は一寸ちょっとわずらわしそうに体を揺らしは致しましたが、そのまま静かに歩みを進めるばかりでございました。



 夜は深まり、丸い月は高い位置に差し掛かっておりました。
 ふわふわとした毛に手を埋め、獣の背中で揺られながら、男はぼんやりと先行く少女の背を眺めておりました。
 烏羽玉の髪は背中に流されて、頭のいただきには珍かな形の髪飾りが乗っておりました。
 透かしの入った黒い布、揺れる白色の珠に柳の色の房飾り、そしてとりわけ目を引くのは、鮮やかな赤の鬼灯でありました。
 あのような髪飾りを見るのは初めてだ、と思う男の目の先は、少女の衣へと移ります。
 舶来物の綺羅、髪飾りよりも珍しい、美しい衣でありました。
 恐らくは絹でありましょう黒い布、裾には白い布をたっぷりと使ったそれは、都では極々稀に見かけるとても、このような山奥で見かけようとは夢にも思わなかった男でございます。

(舶来の衣、か……。妹がしきりに着たいと言っていた)

 妹の名を口の中で呟いて、男はもう一度前を歩く少女の姿を見つめ、今は見えないその顔立ちを思い浮かべました。
 丸みを帯びた頬、大きな黒い眼、艶のある黒々とした髪。

「貴女はとても、私の妹に似ておられる」

 男の不意な声掛けに、少女は歩みを止めぬまま、顔半分ほど振り向いて、口元に笑みを乗せました。

「貴方にはそう見えているのですね」
「……失礼、聞き取れませんで」
「いえ、いいえ。お気になさらず。
 妹様とは仲がよろしくていらっしゃるのですか」
「ええ……、二人共に里を出て、都で長屋に二人暮らし。楽は出来ない暮らしだったが、悪いものではありませんでしたよ」
「でした……とは」

 男はふうっと息を吐いて、背に負った行李こうりを揺らしてみせました。

「死んでしまいましたよ。水にあたったか暑さに中ったか。なんとか医者に見せられたって薬までは買えやしない。衣や櫛……ほんの少しの形見と一緒に里帰りというわけでございます」

 体までは連れて来てやれなかった。と、男は胸で言い連ねたのでありました。
 妹の物をまとめはしても、それは少なく荷は軽し。
 冬の寒さには物足りぬ煎餅布団であってさえ、今や一つは余り物。
 熱に浮かされ、苦しげにあついあついと言う声の、耳に貼りつく音さえも、日に日に薄れるこの無情。

「それは、ご愁傷様でございます。さぞかしお辛いことでしょう」

 妹によく似た面立ちで、少女が悔やみ事を言う、それが男にはなおも悲しく思われまして、固く目を閉じ俯くばかり。
 振り返ってその姿を見た少女は、一度目を伏せ、ぱっと空を仰ぎました。

「一つだけ、ほんの慰めですけれど。
 今宵は月夜、満ちたる月の光の満ちる、明るい夜にございます。
 道に迷う心配は、とても少のうございますよ」

 男はゆるゆると頭を上げて、木々の向こうを見遣りました。
 折しも夜風がさあっと強く吹きまして、望月の一杯に光を湛えているのが見えました。
 目を遣る先を、進む方へと移してみれば、連なる灯りは錦燈籠の道標みちしるべ
 前を歩く少女に男は顔を戻しまして、安堵したように笑みを零したのでございました。



 男が行李を背に道を急いでおりますと、背中から声が届いて参ります。
 にいさん、にいさん、と呼ぶ声は、男の妹のものでありました。
 いやいや、そんな筈はなし。首を振り振り、男は歩みを進めて参ります。
 置いてかないで、と続く声。童女の声は縋るよう。
 水を汲みに、薪を拾いに、歩き出す男の背に幾度と無しに投げられた声でありました。
 一緒に行く、と強い声。幼さと意地の混ざり合い。
 鴨の子の親に付いて回るよう、男の背を追う少女の頬は真っ赤に染まっておりました。
 兄さん、今日ね、と楽しげな。笑いの絶えない話し声。
 箸が転んでもおかしい年頃、煩わしいような、しかし満更でもないような。兄弟は左右の手、とはよく言ったものでございます。
 あつい、あつい、と苦しげな。弱った声は掠れている。
 男の足は鉛が如く重くなる。急げ急げと急き立てるのは心だけ。
 兄さん、ごめん。
 泣きそうな声にとうとう男の足が止まる。
 父さん、母さん、会いたかった。
 涙の混じる濡れた声、悔やめど悔やめど為す術もなし、男は耳を両手で塞いだ。

「すまない……、すまない」

 詫びる言葉も届かぬと、分かっていながら止められぬ。男の目から、すーっと涙が伝い落ち、地面に消えてゆきました。

 兄さん、先に行くけど、ゆっくりね。

 落ち着いて、はっきりとした声調子。
 駆け出す軽い足音が、立ち竦む男の傍を通り越し、先へ先へと遠ざかり、そうしてやがて、何も聞こえなくなりました。


 はたと男が目を覚ましますと、そこは小さな堂のようでありました。
 妹の声はもはや聞こえず、少女も獣もおりません。
 立ち上がり、外を覗いてみますれば、東の空は薄らと明るく、少し先に関所と思しき建物のあるのが見えました。
 荷物は無事かと戻ってみれば、行李に変わった様はなし、ただ傍らに鬼灯が一枝置かれていたのでありました。



 話はとんとこれで終い。山は出てくるが落ちはない、とある男のほんの不思議な話というだけではございますが、長い夜を過ごす合間の時間潰しになれましたならば、これ幸いにございます。