ウォンマガ夏フェス2016

お題:簪 | 絵:きゆ | 文:砂庭かなめ

宝石の君


まどろみ

   百合の花に囲まれて母さまはしずかにねむっているようでした。まっしろな花弁に花粉が落ちて、深くあまく酔うほどに香って。
 わたしはただただ見惚れるばかりで、それが母さまとのお別れだとは思いもしなかったのです。
 雨の夜、遠くへ行ってしまった母さまは、ただひとつわたしにかんざしを残してくださいました。
 軸は真鍮製でしょうか、つややかな黄は金にも似ています。先端には緑の飾り紐と、真っ赤な鬼灯がゆれて、わたしの眼にはとてもあやしく高貴なものに見えました。
 けれどはじめ、なぜ母さまがこれをくださったのか、わたしにはよくわからなかったのです。わたしと母さまは仲の良い母子とはとても言えませんでした。
 母さまはいつも部屋に閉じこもって読書をしていて、わたしのことには興味がないようでした。食事の時でさえ、ほとんど会話をした記憶がありません。
 母さまはずっと、自分を取り囲むすべてのものにあらがおうとしていたようなのです。幼いわたしにも、祖父母や父さまが母さまにつらくあたっていることは察せられました。
 わたしの家は都の商家です。商いものは飴などの菓子で、そこそこ繁盛していました。
 母さまは傾きかけた貴族の家の娘で、商人である父さまにいわば金で買われるようにして嫁いできたのだそうです。
 望まぬ婚姻だったのだろうと思います。
 とてもうつくしいひとでした。しなやかな黒髪が青白い肌にものうげな影をつくり、母さまをいつもはかなげに見せていたことをおぼえています。
 ほんとうにはかないひとでした。生まれつきからだが弱く、子を生むことができないと医者から言われていたそうです。
 結婚から三年、生まれたばかりのわたしが養子としてこの家に引き取られました。
 父さまの弟の家に生まれたわたしは、どことなく顔かたちも父さまに似ていて、祖父母や父さまからかわいがられて育ちました。
 だからきっと、母さまはわたしのことがあまり好きでなかったのかもしれません。
 わたしが三つのとき、夜中に目を覚まして厠へ歩いていくと、母さまの部屋に明かりがともっていたことがありました。このころにはもう、母さまと父さまの寝室はべつで、わたしもひとりきりで寝ていたのです。
 そっと襖を開け、中をのぞいたのは好奇心に駆られてのことでした。ふだん話しかけてくれない母さまのことを、もっと知りたいと思ったのです。
 母さまは襦袢すがたで部屋の隅に座っていました。むきだしのふくらはぎがまぶしいほどに白く、わたしは何か見てはいけないものを見てしまったような気がして、それでも目がそらせなかったのです。
 てのひらの上に赤いひかりをもてあそんで、母さまは何か歌っているようでした。きれぎれに聞こえるその声は楽しそうで、だからてっきり母さまは笑っているだろうとおもったのです。
 けれど、赤いひかりに照らされた母さまの顔は、能面のようにつるりとして表情というものが一片たりとも見当たりませんでした。
 黒いひとみも赤いくちびるも凍りついたように固まって、それなのに声だけは朗らかなのです。
「死んでしまえ」
 この明るい歌は呪詛なのだと、幼いわたしにも分かりました。吐き気がこみ上げてきて、もうそれ以上そこに立っていられなくて逃げ出そうとしたとき、ぴたりと眼があってしまったのです。
 母さまは歌を止め、じっとわたしを見つめていました。赤いひかりがゆらゆらとして、母さまは母さまではないようでした。
 眼が赤く、そして額に二本の角が。
 気をうしなったわたしは、次の日寝床で目を覚ましました。母さまはいつもの通りわたしにつめたく、父さまたちと激しい喧嘩をして、何ら変わりなくふるまっていました。
 けれどわたしはいつまでもあの夜のことを忘れずにおぼえていたのです。
 だから母さまがわたしに遺したこのかんざしの意味を、わたしはすこしのおそろしさを抱きながら考えつづけました。
 この赤い鬼灯はきっと、あの晩に母さまを照らしていたものです。母さまを鬼に見せたあの赤いひかり。
 それでも捨てることはためらわれて、母さまの名残をさがすようにわたしは毎夜その鬼灯をながめて過ごしました。
 何度目の晩だったでしょう。わたしは鬼灯の中に、ぼんやりとした影があらわれるのを見たのです。影は毎夜毎夜、すこしずつ具体的なかたちをとりはじめました。
 赤みがかった長い髪、額の二本角、赤いひとみ。あどけなく、おそろしい小鬼が、じっとわたしを見上げるのです。
 小鬼は何もしゃべらず、いつもわたしをただ見ているだけでした。はじめ、この魔物をおそれていたわたしも、だんだんとその視線に慣れて何とも思わなくなりました。
 わたしの眼にしか見えない小鬼は、いつもずっとかんざしと共にわたしのそばにありました。笑わず、怒らず、泣かず、ただじっとわたしを見ているのです。
 やがてわたしは父の言う通りに、べつの商家へ嫁ぎました。夫も夫の両親もおだやかなひとで、わたしは家にいた頃より心しずかに過ごすことができました。すぐに子どもを授かり、わたしは幸せを身に染みて感じていたのです。
 その頃から、小鬼は眠っていることが多くなりました。それどころか、ときどきふっと透けて消えてしまいそうになるのです。
 不安に思っていたある日、わたしは小鬼が弱っていく原因を知りました。
 その日、わたしの息子が高熱を出し、医者から命があぶないと宣告されました。わたしが泣きながらあの子の枕元に座っているとき、髪に挿したかんざし、あの鬼灯がいまだかつてないほどのかがやきを見せたのです。
 あわてて手に取ってみると、鬼灯の中で小鬼は立ち上がっていました。髪をふりみだし、赤い眼を見開いて、必死に、泣きながら歌っているのです。
 その歌はあのときの呪詛とはちがう、もっと切実であたたかい叫びでした。
 はっとして息子の額に手を当てると、うそのように熱が引いていました。
 小鬼はきっと自分の命と引き換えに息子を救ってくれたのです。今までも、物言わずただそばにいただけのようで、私の幸せのために命を燃やしてくれたのではないか。
 だからこんなにも弱く、はかなくなってしまったのではないか。
「母さま」
 ぽろりとつぶやくと、もう止まらなくなってわたしは何度も母さまと呼びました。
 小鬼は疲れ切ったように身を横たえて、それでもじっとわたしを見つめていて、わたしはそこに確かに母の面影を見つけたのです。
 次の日からわたしはかんざしを身につけるのをやめ、神棚に収めました。
 わたしのために小鬼が命を燃やし尽くしてしまわないように、長寿祈願の札と共にまつることにしたのです。
 ときどき、さびしくなった夕ぐれに布を取りのけて見てみると、淡くひかる鬼灯の中に小鬼が眠っているのが分かります。
 その口もとがときどきふっとほほ笑んで見えるのは、わたしの思い込みかもしれません。それでもどうか、このおだやかな小鬼の眠りがずっとつづくようにと、いつも願っているのです。