ウォンマガ夏フェス2016

お題:イヤリング | 絵:At | 文:比恋乃

夜明け


キミとボクをつなぐもの

  雨の止まない夜の下で、誰にも届かない叫びをあげた。
「だれかいないの! だれか!」
 膝をついた土は、続く雨で泥のようだ。喉に当たる雨の滴がボクの嘆きを阻害した。咳が出る。うなだれて、また手を動かし土を掘る。爪はぼろぼろになり、爪の間に詰まった砂利が指を傷つけ血を流していた。流れる血と泥はすぐにひとつになり、ただの薄汚い液体に変わる。
 どれだけ掻けばみんなに届くんだ。
 考えたくなかった。考えればすぐに結論は出てしまう。こんな小さな両手では土砂にのまれた村からみんなを救い出すことなんてできやしない。誰がどこにいるかもわからない。村を消し去った雨は未だ止むことなくボクから体温を奪っていく。
 まだこれ以上奪うというのか。それならいっそ殺してくれ。
 体中を流れ、伝う滴。ボクは全身で泣いていた。

 水分を出し尽くしたのか、涙はやがて途絶えた。それに合わせるように空も次第に泣きやみ、永遠に続くかと思われた夜にも終わりがやってきた。村がなくなっても、朝に焼けていく空は美しいと思えた。すると今度は気が触れたように笑いがこみ上げてきたのだ。
「ははっ! ははは!」
 村を下敷きにした地面に額を打ち付けて、そのまま横目で空を見上げる。濡れ続けていた体はついに発熱していた。次第に朦朧とし始める意識の中で、よもやこのまま死ねるんじゃないかと期待する。それも含めた笑いだったのかもしれない。
 泣き声も届かない。笑い声に応える笑顔もない。世界にただ一人きりになったボクの、滑稽な姿を見る人もいない。いないと、思っていた。
 体を支える力も失せ、とうとう地面に伏せったときだった。
「カイチ」
 どこからかボクの名を呼ぶ声がする。残された体力は眼球が辛うじて動かせる程度だ。声の主を探すこともままならない。
「カイチ」
 もう一度呼ばれた。だれ、と問うための唇は少し震えただけだった。
「死なないで」
 雨上がりの美しい朝焼けを背景に、ボクに残酷な願いを告げる人がいた。視界に割り込んできた彼女は、ボクの幼なじみ。
 ソラリスーー。
 生きていたのか、という希望は瞬時に絶たれた。汚れのない姿から翼が一対、生えていたから。天使かと思った。
「生きて」
 たぶんそう言ったのだと思う。遠のく意識の中でソラリスの声を聞いた。

 あの悪夢の夜からボクを救い出したのは、川向こうの村人たちだった。雨に紛れて聞こえた大きな音の正体を、夜明けとともに見に来たのだそうだ。そこで衰弱しきったボクを見つけたらしい。
 こうして今は、助けてくれた人のうちの一軒にお世話になっている。あのまま死んでもよかった。それは本心だ。けれどこうしてまた生きてみると、死なずにすんでよかったとも思う。それでもあの夜のことを忘れたわけじゃない。眠る度、夢によみがえる村の終わり。止まない雨。すさまじい地鳴り。人々の叫び声さえ呑み込んでいく土砂の流れ。「はしれ!」と背中を押す父の手の感触。なにもかも、忘れることなんてできやしない。記憶が薄れることもない。はっきりとあの夜は繰り返され、満足に眠ることができないでいた。
 寝られないのならいっそ起きていよう。
 そう考えて、ひとつ気になっていたことを確かめに、あれ以来訪れないままの故郷へ向かった。

 暗闇の中に浮かぶ家々はない。瓦礫がところどころに散見できるだけだ。あざ笑うかのようにあれから晴れの日が続いていたためか、ボクが手で掘り返した場所はそのままになっていた。
 ふらふらとさまよい歩いた。父は、母はどこにいるのだろうか。道なんて当然なくて、誰の家がどこだったか正確にはわからなくなっていた。ボクの家は一番村の外側にあったから、なんとなくの位置はわかる。でも村長ババの家も、大工のおじさんの家もーーソラリスの家もどこだか判別できない。
「カイチ」
「ソラリス!」
 振り向きざまに声を上げると、予想通り彼女がいた。翼はなかった。
「ソラリス! キミ!」
 瓦礫に足を取られながら近づく。宙をかく手は、そのまま彼女に触れることはなかった。
「あなたが生きていてよかった」
 滲む涙がこぼれないように、くちびるをかみしめる。今夜は月が暗いから大丈夫かもしれないけれど、泣いていると思われたくなかった。あんなボロボロの姿を見られたあと、だけれど。
 やっぱり生きているのはボクだけなんだね。

 それから少し、話をした。
 他のみんなは見えないけれど、それはボクの目に見えないだけでこのあたりにいるんじゃないか。
 聞いてみたけど、ソラリスは悲しげに首を振るだけだった。風が吹いてもなびかない髪も、このときばかりは彼女の首回りをくすぐる。
「寂しいね」
「うん、かなしい」
 そうして、意を決して、唾を二回飲み下し、深呼吸をしてから二人、あの夜のことを口にした。交互に、夜を吐いた。ソラリスはもう助からないと思ったから、最後、家族三人で抱き合っていたらしい。それが、ここだった。今立っているこの、土の下。
「キミが埋まっているのは、ここなんだね?」
 馬鹿みたいに当てもなく掘っていた場所から、そう遠くはない。
「たぶん、そう。あまり離れられないから」
「そっか」
 不思議と、あの夜みたいに掘り出してやろうという気にはならなかった。ソラリスの上から三歩ずれたけど、それだけだった。
「ボクらもそうすればよかったな。父さんの叫び声に背中を押されて走ったけど、ずっと一緒にいればよかった。そしたら」「ダメ!」
 彼女との間に、歩み寄れない確執が生まれていた。幼い頃から隣り合って成長してきたけれど、こんなことは初めてだった。そしておそらく最後だろう。死と、生と。
「生きたんだから、生きなきゃだめ。私たちのこと忘れてほしいわけじゃない。でも、いつか忘れたっていいから、死ぬことなんて」
「忘れるわけ!」
 今度はボクがさえぎる番だった。
「忘れられるわけ、ないだろ」
 だからこうして眠れない夜を抱えて、キミと再会したっていうのに。
 死んだソラリスは、ボクに生きろという。生きていてよかったと安堵している。生き延びたボクは、あの日死んでしまえばよかったと思っている。置いて行かれたのだと、思っている。
「カイチ」
「もう! もう、帰らなきゃ」
 ソラリスは言葉を重ねようとしていたけど、今は何も聞きたくなかった。
「夜が明けたら、仕事が始まる。じゃ」
 言うだけ言って彼女に背を向けた。埋まったままの人たちを踏み越えて、ボクは新しい朝へ向かう。新しい村へ。新しい人生へ。まったく、望んでなんかいないのに。

 眠れない夜は幾度となく続いたけれど、ソラリスに会うのが気まずくて、あれから一度も川向こうへ渡っていなかった。ゼロになってしまった土地で、一人空を見上げているのだろう彼女を思う。でももう、いなくなっているんじゃないだろうかという考えも過ぎった。会いに行っても、いないかもしれない。自分のことを、みんなのことを忘れてもいいだなんて言って、そのまま消えてしまったのかもしれない。行って、そこに彼女がいたら、また彼女の死を実感することになるだろう。じゃあもし、いなかったら? 
「正真正銘の、ひとりぼっちだ」
 そんなの
「ん? なにか言ったかい?」
「ああ! いえ! なんでも!」
 いやだけど、お世話になっているおばさんがいる。
「ぼーっとして、話聞いてなかったんじゃないのか?」
 おじさんもいる。
「……すみません」
「ははっ。いいさいいさ」
 二人とも明るくて、気さくで、ボクをちゃんと〈息子〉として扱ってくれる。ひとりぼっちだと思うことは、この二人に対して失礼なのかもしれない。
「今日は大きな街から行商人が大勢やってくるんだよ。村の中井戸のあたりだね」
 そういえば、以前にもそんな話をしていたっけ。
「ここいらじゃあ珍しい物もたくさん並ぶだろうから、行って、見ておいでよ」
 巡回の道筋からは外れているらしく、商人たちはボクの村に来たことがない。だけどこの村に来るという噂を聞きつけて、川を越える人がいたのは知っている。
「でも、仕事が」
「そんなの、みんなほっぽりだして集まるんだからいいのいいの」
 気分転換にでもなるだろうと、二人の表情は語っている。夜眠れないことにもきっと気づいている。気づいていて、心配しすぎないようにしてくれている。ボクがかえって気を遣わないように、だ。優しすぎる。ほんとはあの夜死んでしまっているのかもしれない、川向こうの亡霊に対して、この人たちは優しすぎた。
「で、ほら。これでなにか買っておいで」
 銀貨が一枚、カタン、とテーブルに置かれた。
「そんな! もらえません!」
 普段お世話になっておきながら、そこからさらにもらうなんて。だけど
「よく働いてくれてるからね。駄賃とでも思っておけばいいさ」
 おばさんたちは頑固なところがある。この銀貨も、おそらく手に取らなければ何日だってここに置かれたままなのだ。
「ありがとう、ございます」
 目に触れるところにお金が置かれたままというのは落ち着かないものだ。だから素直に受け取ることにして、お礼を言った。とくに欲しい物も思いつかないけれど、せっかくもらった銀貨だ。中井戸へ行ってみるのもいいだろう。なにも買わなくたっていい。行って、欲しい物がなかったと二人に報告すれば、それはそれで納得するはずだ。
 これが、朝のできごとだった。

 そして今、ポケットに収まるのは、黄金に輝くイヤリングである。なにかを買うつもりなんてなかった。でも、あふれかえる品物に圧倒されていたとき、ボクの視線をひきつけてやまなかったのだ。ソラリスに似合う。そう考えた。
 また明るい月夜だった。月が一巡するほど会っていなかったのか。このイヤリングも、無駄になるかもしれないな。
 足を置く場所を考えながら歩くなんてそんなことできやしないから、誰かが埋まっているのかもしれない土を踏みしめなければならない。この下を考えたところでわかることなんて、人が埋まっているという絶望だけだ。それから逃れて進むことができるとすれば、土砂をひとっとびする脚力を手に入れるか、もしくは彼女みたいに浮遊するしかないだろう。
「ソラリス!」
 まだ、いた。月明かりに照らされて、透けた体がやわらかな輝きを放っている。不安そうな表情も、ボクを見つけたとたん華やいだのが見て取れた。嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。
「カイチ! 来てくれたんだ」
「ソラリスも、まだいてくれたんだね」
 言葉を、選び違えたかもしれない。困ったような笑顔になってしまった。彼女は早くここを離れたいのかもしれないのに。ボクはボクの望みや願いを押しつけてしまう。でもどうしても、黄金に輝くイヤリングをつけた彼女を見たかった。似合うと思ったんだ。
「今日、川向こうの村に商人たちが来たんだ。ほら、たまに来てた」
「うん。おぼえてる。行ったことないけど」
「ボクも、今日まではなかったよ」
 彼女との間にまた一つ、違いができてしまったことを悟った。ボクはこれから先なんどでも、あの異国の品々に圧倒されることがあるだろう。でも彼女にはない。彼女にこれからはないんだ。
「それでね。これ、ソラリスに似合うと思って」
 手を入れたままにしていたポケットから、例の品を取り出した。しゃらり、揺れるそれは、記憶に違わずきれいだった。むしろ月の光でよりいっそう美しく見えた。
「わたしに?」
 透ける指先が地面に置いたイヤリングに触れた。
「あ」
 思わずもれる声。不思議そうな表情。
「似合うと思って買ったのは確かなんだ。でもそれに、キミがさわれるのか考えもしなかったことに気づいた」
 でも実際は、すりぬけることなく触れることができている。
「ほんとだよ。さわれたからよかったけど」
 無理だったらカイチがつけるの、なんて冗談めかして笑う。ボクの好きな笑顔だった。つられて笑って、夜空に二人分の笑い声が響く。ひとしきり笑ったあと、ぱちん、ぱちん、と両耳にイヤリングが下がった。
「……どう?」
 照れくさそうに髪をかきあげて見せてくれる。染まらない頬はわかりきった死を告げた。
「似合うよ。思ったとおりだ」
「ありがとう」
 暗い考えを振り払って指先をのばすと、すりぬけると思ったそれはイヤリングにあたる。カチ、と音が鳴った。
「ボク、ボク、」
 声が震える。
「もうキミにさわれないと、思ってた」
 カチ、カチ。揺れるそれに何度も指をあてる。
「うん。うん」
 歯を食いしばって、肩に力をいれてしきりに頷く。生きていたのなら涙の一筋や二筋流れていたことだろう。
 正確に言えばイヤリングは彼女自身ではないけれど、つけている今は彼女の一部といってもいいはずだ。どういう原理かさっぱりわからないけれど、黄金の輝きを介して、ボクはソラリスとつながっている。
 泣けない彼女の代わり、と言えば格好はつくけれど、ボクはボク自身のために泣いていた。嬉しくて悲しくてしかたなかった。地面におろした左手に、彼女の右手が重ねられる。すりぬける指がボクの親指側から見えていてとても奇妙だった。
 それから二人で恥ずかしくなったり、似合うよと告げたり、イヤリングに触れたり笑いあったりしながら、夜明けを迎えた。藍の空が橙に燃えて青を生み出していく。ただじっと空色の移り変わりをながめていたけれど、別れの時は唐突にやってきた。
「ソラリス、それ」
 あの夜に見たのは間違いじゃなかったんだ。
「なにこれ!」
 背中に翼を生やしているのは彼女の方なのに、ボクの方が冷静だった。立ち上がり、自分の背中を確かめようと右に左に首をまわしている。
「あの夜も見たんだ。天使かと思った」
「そんな、死んだだけじゃ天使になんて」
「うん。今ならわかるよ」
 引き留めていたのはボクだった。
「その翼はきっと空の上まで、天国まで飛ぶためにあるんだ。死にそうなボクを見たから、あの夜キミは翼を消してしまった」
「ちがう! 私なにもしてないよ?」
 そうだ。キミはなにもしていない。キミの翼を、これからをもいでしまったのはボクだから。
 そしてなにもしていないと訴える彼女をよそに、翼はひとりでに大きくはばたく。
「カイチ!」
 彼女の声には応えなかった。きっと応えたらまた引き留めてしまう。それじゃあダメなんだ。
「ばか」
 小さくなじって、遠ざかる手から黄金を落とす。
「めじるし! 持ってて!」
 落ちてきたそれを受け取って、ぎゅ、と握りしめた。キミみたいには似合わないのに。もう見上げた首が痛くなるくらい上にいる。首が伸びて喉がはりさけそうだ。痛いけど、なにも言えないからちょうどいい。昇り始めた太陽はボクの目を焼きながらソラリスの姿をかき消す。一生消えない
「だいすき!」
 をのこして。
 ボクもだよ。
 地面をぬらすわずかな雨を降らせながら、左の耳にぱちん、と目印をつけた。