ウォンマガ夏フェス2016

お題:簪・ペンダント | 絵:亜依朱 | 文:鴉取和樹

月下の楽師


月に日に異に

 

べん、とバチの音が響いた瞬間、単純に心地良いと思った。
深みのある音が、部屋を柔く反響し包み込んでいく。目を閉じてゆったりと聴いているご主人を見て、今日は「当たり」だと確信した。

「いや、お見事」
「勿体無いお言葉、ありがとう存じます」
あたしは失礼にならない程度に破顔し、丁重に頭を下げる。薄々勘付いてはいたが、最近流行りの似非文化人とは違うのだろう。塵一つない舞台に、音が透き通って響く部屋造り。手をついた毛氈は、よく使い込まれながらも、丁寧に扱われてる事が分かるものだった。
「女ばかりの旅楽士がいると聞いた時は驚いたが、成程噂以上の腕前であったな。これでは中々呼び出せないのも合点がいく」
「えらいお待たせしてしもうたみたいで、申し訳無う御座います」
「いやいや責めてるわけじゃない。寧ろこれだけ素晴らしい演奏ともあれば、待った甲斐があるというものだ」
愉快そうな笑い声をあげて、主人は話を続けた。
「それでだね、お礼に加えて、細やかながら夕餉を用意させて頂こうと思うのだが、よければご相伴に預かってはくれんかね」
その言葉に、後ろで控えていた女達の俄かに色めき立つ気配を感じる。それを心の中で叱咤しながらも、私自身喜びを隠しきれないのが正直なところだ。
「それはありがたい提案で御座いますゆえ、是非お言葉に甘えさせていただこう思います」
今度は満面の笑みを見せ、私は深々と頭を下げた。

当たり、当たりだ。
誰も見るものがいないとなると、顔の綻びを抑える事が難しい。我ら狐の楽士団にとって、食事にありつけるというのは何よりの幸福なのだ。
そこらでケンケンと鳴き喚くちんけなけだものとは違い、私らは自らの手でバチを持ち、扇をかざし、笛を吹き、それこそ肉球が滲むほどの努力を重ねてきた。そりゃ木の葉さえあれば、金に化かして遊び明かす事が出来なくも無いが、それでバレた仲間たちがどれほど惨(むご)い目に遭ってきた事か。
ああ、今でも思い出す。美しい女に化け、人間どもを騙くらかしてた最高の母が、訳の分からんハゲ頭に術を見破られ殺された日のこと。石を投げられまだらになった毛皮、体は棒で打たれぺしゃんこ、その上蓑虫のように麻紐で吊るされ晒された。
ここにいるのは、そういう過去を持った子ばかりだ。
そしてこれは、一つの復讐なのだ。
我らを矮小なものとして扱い、取るに足りないものだと軽んじてきた人間たちが、手を叩き、自ら頭を下げるその快楽は、他の何にも代え難い。
と、思っていたのは今は昔。
いくら狐が恨み深いと言っても、所詮自分の身に降りかかった事では無いし、少しばかりはこちらが悪かったと認めない事もない。それに調理された肉というのは本当に美味いのだ。一度味噌と醤油の味を知ってしまったならば、もうそこらで間抜け面をしてる酉を捕まえる気には到底ならない。
離れの台所から香ってくる美味しそうな匂いに期待を膨らませていると、不意に後ろから声をかけられた。見る限りまだ元服を済ませたばかり、といった調子の若い男の子だ。
「先程琵琶を弾いていたのはそなたで間違いないか?」
「ええ、確かに私で御座いますけど、なんやご不満でもありましたやろか」
そう言うと、少年は慌てたように首を振った。
「いや違う、違う!演奏は本当に素晴らしかった。これまで多くの楽を聴いてきたが、そんなもの足下にも及ばないくらい美しい演奏だった。特に、その、そなたは見目も大変麗しくいらして……」
「そないに褒めてもらえるなんて嬉しいわぁ」
少年に敵意が無いことが分かり、安心して腰を屈める。私が偽物の美しい顔で目をキュッと細めて見せると、彼は面白いくらい頬を真っ赤に染めてしまった。それから、やけに緊張した様子で懐から何かを取り出す。
「こ、これをそなたに贈りたい。父が準備したような高価なものではないし、そなたにとっては珍しいものではないかも知れぬが、旅をしているのなら邪魔にはならないはずだ」
それは小さなぎやまん製の小瓶だった。中には見たこともない鮮やかな粒がころころと入っている。
「これは……何かの宝飾品ですやろか?」
全く見当がつかないので素直な疑問を口にすると、彼は嬉しそうに目を輝かせた。
「なんでも南蛮の方から伝えられた金平糖という砂糖の塊だそうだ。父が私にくださったのだが、こんな家の中で無為に消費するより、そなたが持っていてくれた方が何倍も役に立つだろう。売るなり食べるなり、好きに扱ってほしい」
へえ、と適当に相槌を打ちながら、私は小さな美に目を奪われていた。わざわざ美女に化けているのだから飾りものを贈られる(そして売る)ことは多々あれど、このように珍しい物品を何の見返りも無しに贈られた事は初めてだった。
「そなたの名は何という」
「私ですか?私は春日と申します」
「そなたは名前まで美しいのだな。春日殿、いずれこの家を継いだ時は、もっと良い物をお贈りいたすから、どうかまた此処へ演奏をしにきてほしい」
最後は逃げるようにして、彼は赤い頬のまま足早に立ち去ってしまった。

この日食べたご馳走の味を、全くもって覚えていない!全員が何か裏があるんじゃないかと疑うくらいの豪勢な食事が並んだ事は覚えている。結局裏も下心も無く、ただ主人がべらぼうに褒めてくれた事と、乗せられた数人が料金外の舞や演奏をした事も覚えてる。でも、妙な気恥ずかしさが胸を占めて、記憶が綺麗に抜け落ちているのだ。
「なにを人間みたいな事ぬかしてはるのんや」
「そりゃ何十年も人に化けてくらしてたら、ウチらも半分人間みたいなもんやろ」
「だからって人間の、しかもまだ親離れもしてないちぃちゃい子にアンタが惚れるなんてねえ」
「勝手に私が懸想してる体で話進めんといてくれはります?」
「どう見ても惚れ込んでる状態で、ようそんな強がり言えますなあ」
ケラケラと姐さん方に笑われ、私はぐうの音も出ない。まさか冗談めかしてからかった相手に落ちるとは、野生の狐には想像もつかなかったのだ。
「ええやないの。『また呼ぶ』言うてくれはったんやろ?あんたがその言葉を信じたいうちは、いつまでも信じときなはれ」
「せやせや。あんたがええ感じに気に入られてくれたおかげで、またあのご馳走に呼ばれるかもしらんねんからな」
「やとしたら、早よ手を動かしたらどないどす?舞台が下手やったら元も子もあれへんえ」
これ以上茶化したら爆発しはるわ、と笑いながら、ようやく解放される。やっと一息ついて弦の調律を始めようとした瞬間、「ウチのひいひい婆さんは人間と結婚しはったで!」と大声で言われ、私はとうとう撃沈した。

所詮幼い子の口約束。しかもこちらは連絡先が定まらないというおまけ付きだ。もしかすると呼ぼうとしてくれたのかもしれないという希望的観測を持ちながらも、北から南へ行脚してるうち、食事の味どころか舞台の記憶すら朧になるほどの年月が経ってしまった。
さすがにもう仲間うちでからかわれる事こそ無くなったが、寧ろ時が経てば経つほど面影の残滓は強くなる。あの時もらった金平糖は、一口も食べる事が出来ないまま綺麗に残り続けていた。

両手の指では数え切れない年を重ねた頃、突然懐かしい名前が私たちの耳に入った。すぐには思い出せないが、やけにひっかかる名前。皆で顔をつき合わせて記憶を辿った結果、ようやくのところで、かつてご馳走を振る舞われた家だという結論が出た。
「えらい懐かしいとこやなぁ。にしても、よお覚えとったな」
「ウチもほとんど覚えてなかってんけど、昔金平糖事件があったんをふと思い出してな。そういえば、そないな名前のご主人やったなあて」
「ああそんなんもあったなぁ。でも、張本人が忘れてるのはどういうこっちゃ」
「そない言われたかて、一〇年以上も前のやさかい、多少は忘れるのも堪忍してや」
「向こうはちゃんと覚えてくれとったのに、薄情な女やなぁ」
その言葉に苦笑しつつも、どこかで思い切り期待している自分がいた。もしまだ彼が約束を、私のことを覚えていたらどうしよう。聞く度に質の悪い冗談だと笑い飛ばしていた異類婚姻譚が、急に熱を帯びだした。

「本日は、お招きいただき有り難う御座います」
私はあの日と同じ姿に化けて奥から妹分の挨拶を聞いていた。以前とは違い、いつのまにか庭に簡易な舞台が作られている。相変わらず雅なお家だと感心しつつ、徐々に逸り出す鼓動を押さえつけた。

最後の太鼓の調べが響き、とうとう自分の番が訪れる。舞台へ上がるための階段が僅かに軋む音に合わせて、薄青の装束は火に照らされてつぅと紫に変色していった。
まだ真新しい舞台の中央に座り、琵琶を構える。
仄明るい月の下で、私は一度バチを下ろした。
張りつめた弦が振動し、闇に収束した柔い音はやがて消えていく。
なんと心地よい空間なのだろう。
まるで私の周りだけ世界から隔絶されたように、一切の雑音が入ってこない。
正面に座った若き主人は、音の海に揺蕩うように、ゆったりと耳を傾けていた。

永劫にも似た、甘い浮世離れした時間にも終わりが近付いてくる。終盤一気に速度を上げ、技巧を駆使した旋律を奏できると、私はようやく溜まっていた息を吐き出して、そっと壇上から降り立った。
頬を撫ぜる冷たい夜風が、火照った体を冷ましていく。私はこれまでに感じた事のない充実感に満たされながら、例の小瓶を取り出した。細い鎖を付けていつも御守り代りに持ち歩いていた金平糖は、月明かりを受けて薄く輝いて見せた。
「ああ、此処にいらしたのか」
急に後ろから声をかけられ、私は咄嗟に小瓶を袂へ押し込んだ。
「宴会の準備が出来ている。是非そなたにも来てほしい」
事も無げにそう言われ、所詮昔のことか、と何かを期待した自分を恥じる。元々芸事が好きな一族だ。大方、どこかで我らの噂を聞いて、偶然再会しただけの話であろう。
「主様自ら呼びに来てくださるとは、恐縮で御座います」
「少し訊きたい事があったのでな」
「訊きたいこと?」
私が小首を傾げると、男は品の良い微笑みと共に「春日」と口を開いた。
その言葉を聞いた瞬間、自分でも信じられないくらいに心臓が跳ね上がった。まさか、あんな1日ばかりの出会いを、彼が覚えているなんて。私だけが記憶していたわけじゃ無いなんて。折角冷えたはずの体が、再び熱を持ち始めた。
「春日という琵琶楽士を知っているかね」
勿論だ。思わず上擦りそうになる声でそう答えようとすると、それを遮るように彼は言葉を続けた。
「丁度一回りくらい歳上の、そなたによく似た女性なのだ」
そこでようやく、私は自らが犯した過ちに気が付いた。人は歳を取るのだ。歳をとれば、見目が変わるのだ。たかが一〇年程度といえど、少しも衰えない人間などいやしない。それこそ、化け狐でもない限りは。
今からでも化け直そうか。そして、本当の事を告げようか。必死に頭を働かせて逡巡していると、小さな足音がこちらへ来るのが聞こえた。
「とと様!とと様はどこ!」
「はいはい、父は此処にいるよ」
「とと様!」
小さな娘子は嬉しそうな声で、父親の足に抱き付いた。
「その子は娘さんどすか?」
「ええ、まだ3つになったばかりの初子ういごです」
「えらい可愛いらしおすなぁ。ああそうそう、先程訊ねられた話で御座いますけど」
そこで私は言葉を切り、喉の奥に込み上げる感情を呑み込んだ。
「春日というのは、私の母の名で御座います」
「そうか、彼女も結婚していたのか。まさかと思ってはいたのだが、そなたの顔は、若い時の母君にそっくりだ」
同一人物なのだから当たり前だ。当たり前だから、もうこれ以上その優しい笑顔を見せないでくれ。
「春日殿はご健勝にしておられるか?」
「ええ。もう琵琶は引退して、京の隅でひっそり暮らしてはおりますが、今でも時折私のお稽古をつけてくださってます」
「引退してしまったのか……。いや、でも元気ならばそれでいい。すまないが、これを彼女に渡してはくれんだろうか」
そう言って彼が差し出したのは、金に艶めく美しい簪だった。赤い鬼灯は空に輝く砂子いさごのように輝きを放ち、上品な飾り紐はさらさらと音さえ聞こえる気がする。それは明らかに値が張ると一目で分かる物だった。
「どうしてこれを?」
「昔、そなたの母君と約束をしたのだ。いつかまたこの家に来てくれた時は、素晴らしい贈り物を渡すとね。残念ながら逢う事は叶わなかったが、娘であるそなたの演奏には、春日殿の面影が色濃く感じられた。それだけで渡す理由には十分だ」
「きっと喜ぶと思います」
そう言って私は、震える唇と潤んだ涙を隠すように深々と頭を下げた。
「本音としては、あと一度でいいから春日殿の琵琶が聴きたかったがね。さあ宴が始まりそうだ。そなたも是非ご相伴に預かってくれ」
幼い娘の手を引いていく彼の背中を見たとき、最後に一瞬だけ、私こそが春日だと告げたらどうなるかを考え、そして口を閉ざした。
今この手に握られた簪こそが全ての答えだ。

宴会も終わり、牛車に揺られながら彼の家を離れていく。『春日』は、そしてその娘は、2度とこの家に上がる事は無いだろう。
少し離れた人気の無い草原で、私たちは術を解き、狐の姿に戻って寝る支度を始める。
「アンタも早よ寝る準備しなはれや」
「明日は一日中化け続けたまま行脚せなあかんのやからね」
「わかっとる。でも、一曲だけ、琵琶を奏でてもええやろか?」
姐さん方は顔を見合わし、一曲くらいならと承諾してくれた。私は遠くに見える屋敷に向かって琵琶を構え、かつてあの人と出逢うきっかけとなった曲を奏で始めた。

美しい簪が揺れた。
色鮮やかな小瓶が光った。
耳が戻り、尻尾が現れ、私はただの獣に戻っていく。
「これやから、人間は憎らしわぁ」
最後の音と同時に流れた涙は、月明かりだけが見守っていた。