ウォンマガ夏フェス2016

お題:簪 | 絵:RInka | 文:一色和

花あかりの簪


傍らの花

  がらんっ、と割れるようなドアベルの音が店内にやかましく響く。気に入りの書物へ落としていた目線を上げ、店主の老婆は気分を害した様子もなく店のドアへと目を向けた。
 乱暴に開け放したドアの先にいたのは、一人の少女。
「おや、久しぶりだねぇ」
 少女の姿を見留め、老婆はにんまりと唇を歪めた。駆け込んできたのは久しく顔を見なかった客である。年若い人間の娘。ヒトの世の裏にひっそりと佇むこの店の門戸を叩いた、稀に見る客であった。
 彼女は今、忙しなく呼吸を繰り返している。一刻も早くと一心に走ってきたのだろう、髪は振り乱れ額からは疲労の汗が滴っていた。そしてその手には、ひとつの簪が握られている。決して手放すまいという彼女の心情が見て取れるように、きつく握りしめられた赤い鬼灯の簪だ。
 簪はこの店の商品だった。それをこの少女とは縁が深そうだと老婆は見定めて彼女に譲り渡したのである。金銭も対価も貰い受けはしない。この店はそういう店だ。
 月の涙の耳飾り。
 青空を追う小鳥の装身具。
 砂糖漬けの星を詰めた首飾り。
 闇夜のレースを灯す鬼灯の髪留め。
 そんなヒトの世には在ろうはずのない装飾具を取り扱うのが老婆の店だった。いずれも値を付けられる商品ではない。値の付けられる商品などないのだ。これらは待っている。巡り会うべき持ち主の手に取られることを待っている。来たるべき待ち人が商品を手に取るまで、老婆は預かっているだけに過ぎない。
 だからこそ、あの簪は少女に渡すべき代物であったのだ。彼女がこの店に姿を見せたのはいつの頃であったか。老婆の記憶が耄碌していなければ、少女の背丈の腰ぐらいに頭があった幼子の時だったように思う。
 ――あぁ、ではそろそろだったか。
 老婆は少女の様子と流れた歳月を思い、彼女が店に訪れた理由を察した。少女を見遣る眼差しにほんの少しの寂寥が滲む。
「ねぇ・・・っ」
 声を振り絞る程度には呼吸が落ち着いたのか、少女が声を発した。大きな瞳へ今にも零れんばかりの涙を溜めて、彼女は老婆に訴える。
「ねぇ、おねがい・・・っ、この子を助けてよ・・・!」
「そりゃあ、無駄な相談ってものさね。お嬢ちゃん」
「・・・っ、どうして!?」
「どうして? お嬢ちゃん、その簪を渡した時のことをもう忘れちまったのかい」
 老婆の声に少女は、きゅ、と唇を引き結んだ。
 哀れな子。老婆は内心で少女を憐れんだ。きっと彼女は覚えている。初めてこの店へ訪れた時のことを、鬼灯の簪に気に入られた時のことを、手渡し際に老婆の言った言葉を、彼女はきっと忘れていないはずだ。でなければこうして二度も店を訪れるなどできやしない。
 判っている。理解している。けれども、どうにかしてやりたいと思わずにはいられず、縋る思いで少女はこの店へと戻ってきたに違いない。
 なんて哀れな、やさしい子。
「お入り。いつまでも簪をそんな手荒に握りしめるもんじゃないよ。やわらかな布の上で心地よく寝かせてやるのがその子の為ってもんさね」
 老婆はしわくちゃの細い手で少女を店の中に入るよう促した。彼女は俯き、やがてゆっくりと店の中へと足を踏み入れる。誰の手がドアを動かすでもなく、きぃ、と蝶番を小さく軋ませてドアが閉められた。
 テーブルの上に老婆は縦長に折り畳んだハンカチを置く。老婆の前まで進んできた少女は、黙ってハンカチの上に簪をそっと置いた。
 簪を飾る鬼灯が、ほのかに光を帯びる。
 淡い光が頼りない軌跡を描き鬼灯から抜け出したかと思うと、ほのかな光はやがて簪と同じ身の丈を持つ人の姿へと変わった。簪へ寄り添うように共にハンカチの上で横たわっている。
 よく見ればそれは人に近いが人の姿ではなかった。耳の先端が伸びた長い耳、透かしのある蝶に似た翅。青の薄衣に身を包んだその身体は柔らかな曲線を描く少女のものであったが、横たわるその姿はどこか弱々しく見えた。
 少女の指先がそっと簪の少女の髪に触れる。
「あかりを・・・助けることはどうしてもできないの?」
「人も草花も枯れ時が命の寿命さね。それはお嬢ちゃんの人の世も、ここでもどこでもおなじことさ」
 あかり。おそらく鬼灯の簪につけた名前だろう。老婆はじっと目を凝らす。簪には傷も汚れもなく、また簪の少女の身にも目立った異変は見られない。十数年と過ぎただろう歳月。人の世でそれだけの歳月は決して短いものではない。それでいて簪と簪の少女の具合に老婆はひっそりと笑みを浮かべた。
「・・・大事に大事に、してもらえたんだねぇ・・・」
 ぽつりと老婆は簪の少女に語りかけた。
 けれど簪の少女が反応を示すことは、なかった。
「・・・だもの」
 ぽつ、と少女がか細く口を開いた。
「友達、だもの・・・あかりは、いちばんの・・・はじめての・・・」
「あぁ、そうだったねえ」
 少女の言葉に老婆は記憶を思い返す。彼女が初めてこの店を訪れた日のことを。まぶしい笑顔で簪の少女と出会いを果たした、あの瞬間を。


***


 ーーからんっ
 軽やかなドアベルの音に気づき老婆は顔を上げた。薄暗い店内の中で一筋の光が開かれたドアの隙間から差し込んでいる。その光は店内に明るさと、一つの小さな影を連れてきた。
 ドアに半身を隠し、こちらをのぞき込む幼い少女。好奇心とわずかな恐怖を大きく丸い瞳に浮かべて少女はじっと老婆を見ている。おや珍しい。老婆はしわに押し寄せられすっかり満足に開かなくなった細い目をそこそこ驚きに丸くさせた。
「迷子かい、お嬢ちゃん」
 老婆がしゃがれた声で話しかけると、少女はびくりと目を見開いてドアの向こうに身を潜めてしまった。しかしすぐにおそるおそるといった様子でまたこちらに顔をのぞかせる。恐怖よりも好奇心が勝る年頃であるのだろう。小動物のようなその様がなんだかおかしくて老婆は、ひぇっひぇっ、と小さく笑いに喉を鳴らした。
「良かったらお入り。お嬢ちゃんの気に入る商品があるかもしれないよ」
 ひらひら、と枯れ枝の手で老婆は面白半分に少女を招いた。得体が知れないことに怖じ気づいて去ってしまっても構うことではなかったが、少女はさらに好奇心をうずかせたのか顔だけを見せていたドアの影からわずかに体を見せてきた。
「おみせ、なの?」
「そうだよ。気に入った品を見つけられるかどうかは、お嬢ちゃん次第だけどねえ」
 少女は首を伸ばして薄暗い店内をその丸い瞳でぐるりと見渡した。そして一歩、また一歩と小さな足を店内に踏み入れていった。ようやくドアから離れ、店内に少女の体が入り込むと先ほどまで身を隠してやっていたドアはゆっくりと閉じていく。
 お客が来たのなら店主として相手をせねばならない。老婆は腰掛けていた椅子から立ち上がり、少女の元へと足を向けた。
「いらっしゃい。お嬢ちゃん」
 来店を迎える老婆をじぃっと少女のまんまるい瞳が見上げてくる。
「おばあさん、とっても大きいのね」
「そうかねえ」
 少女の頭は老婆の腰よりも下にある。確かに首をすっかりそらしてこちらを見上げる少女には老婆の背はずいぶんと大きく見えることであろうが、それもまだまだこの少女が幼いが故だろう。少女が幾らか成長すれば老婆の背など気にするものではあるまい。その姿を老婆が目にする機会が訪れるかどうかは知らぬが。
 この店が在るのはヒトの世の裏。
 かつてはヒトと近しくあった幻想の世。
 今は遙か彼方にヒトと隔てられた夢想の地。
 この少女のように人間を店に迎え入れるのはどれほど久しいことだろうか。老婆が若い頃はそれなりにあったヒトの客人も、気づけばすっかり廃れてしまっていた。
 金の砂粒を掴むような偶然。そんな稀なる巡り合わせだということなどこの幼い少女には理解が及ばぬことだろう。
「自由に見ておいで。だけど決して商品に触っちゃいけないよ」
「うん。おかあさんにも、お店のものにはさわっちゃいけませんって言われてるよ」
「そりゃあいい心がけだね」
 老婆の言葉と少女の言葉が意味するところは異なるが、結果が同じならくどく言葉を重ねることはなかろうと老婆はただ頷いた。
 きょろきょろと少女は店内を見渡す。本のページを泳ぎ回る魚の群を目で追いかけ、淡い蛍火の燐光が散る羽ペンに瞳を輝かせていた。これはなあに。あれはどうなっているの。好奇心に胸を高鳴らせた少女はいつの間にやら老婆の裾を遠慮なしに掴んで目に留めた商品を指さすのだった。けれど言いつけ通りに触ることは決してせず。老婆はあれやこれやと訊いてくる少女に飽くことなく逐一答えた。
「おばあさん、ちいさい女の子がいる」
 ふと少女がそんなことを口にしたのは、首飾りや髪飾りなどが並べられた装飾具の前だった。台の端に小さな手を置き、のぞき込むように眺めている先にあるのは一つの簪である。
 赤い鬼灯を揺らした、簪。
「お嬢ちゃん、女の子が見えるのかい」
「ここにいるでしょ?」
 少女がそっと簪を指した。老婆の目にはただ簪があるだけでそれ以外には何も見えはしなかった。
 けれど老婆は、にぃ、としわくちゃの顔に笑みを浮かべた。
「そうかい。そうかい。なるほどねえ」
「おばあさん?」
「この簪はお嬢ちゃんを待っていたようだよ」
 老婆は鬼灯の簪を取り、少女に手を出すように促した。こてん、と疑問を瞳に浮かべながらも少女は素直に小さな手を差し出す。
「これはお嬢ちゃんが持っておいで」
「おかね、もってないよ」
「そんなものは要らないよ。この簪はね、お嬢ちゃんを選んだんだ。お嬢ちゃんに持ってもらいたいってね」
 つん、と老婆は鬼灯の飾りをつついた。
 老婆の言葉を受け、少女はじっと両手の上にある簪へと視線を落とす。
「ともだちになりたいの?」
 少女の目に映っているだろう女の子に語りかけているのだろう。老婆にはまだ何も見えないが確かにそこには少女の言う存在がいるに違いなかった。
 待ち人を待つ"物"たちの為の店。それが老婆の店だ。
 鬼灯の簪は少女という待ち人を得たのだ。
「ねえ、おばあさん」
「うん? なんだい」
「この子がね、髪にかざってっていってるの」
 でもどうすればいいのか判らない、と少女は困り顔で老婆を見上げた。なんだそんなこと。老婆は少女の手からひょいと簪を取り上げる。手早く少女の柔らかい髪をまとめ簪を挿してやった。
 鬼灯の飾りがくるりと揺れる。
 ふと、細い少女の方に何かが乗っているのを老婆は視界の端で捉えた。ゆるく波打った髪、青の薄衣を纏った小さな小さな少女の姿。背には蝶に似た翅を生やし、しなやかな足が揺れる様に合わせてぱたぱたとはためいていた。
 老婆の視線に気づいたのか肩の上の少女がこちらへ頭を向ける。そして心から満ち足りたといった眩い笑顔を浮かべた。
「おばあさん。この子うれしいって」
「そうだろうねえ」
 今の老婆には見えている。人間の少女と簪の少女が笑みを交わし合っているその光景が。
「大事にしておやりね」
「おばあさん、本当にわたしがもってていいの?」
「それはお嬢ちゃんが持っているべきなんだよ。そうこの簪が選んだんだ。お嬢ちゃん以外に持たれるのを簪はすごく嫌がるだろうねえ」
 簪の少女は笑みを一転させ、唇を拗ねたように尖らせてひっしと少女にしがみついた。誰も引き離しやしないよ、と老婆は簪に語りかける。
「でもね、よぉく覚えておおきーー」


***


「ーー命はいつか潰える。物はいつか壊れる。終わりを迎えないモノはない。この簪の鬼灯もいつかは枯れて、お別れの時が来るよ。・・・あの時はおばあさんの言葉がよく判らなかったわ。でも、ちゃんと覚えていなくちゃって思ってた」
 幼さの抜けた少女はゆっくりと老婆の言葉を繰り返した。一句の間違いもなく、それは老婆がまだ幼かった少女に向けた言葉だった。
「あかりに会うまでね、わたしには友達がいなかったの。育った所は田舎で、同い年の子もいなかった。周りは大人ばっかりで一緒に遊んでくれる人なんていなかったの。あの日はお祭りだったけど、そんなんだったからちっとも楽しくなくて・・・」
 楽しみを分かちあえる存在のない祭りはどうにも味気がなくて、少女はこっそり親と離れて家へ一人で帰ろうとした。そして知らぬ間に老婆の店まで迷い込んでしまった。
「あかりが側にいてくれてからは楽しかった。あかりはわたしと一緒に笑ってくれて、泣いてくれて、ずっと、ずっと一番側にいてくれたの」
 ぱた、と鬼灯の飾りに滴が落ちる。
「ねぇ、おばあさん、わたし、ほんとうにこのまま、あかりとお別れなの・・・?」
「お嬢ちゃんの覚えていた、アタシの言葉のままだよ」
 少女は唇をきつく引き結んだ。嗚咽を喉の奥に押しとどめて、少女は静かに涙だけを流している。ぱた、ぱた。落ちる涙の滴は鬼灯の飾りを濡らした。涙が自身に降りかかる感触に気づいたのか、簪の少女がようやく瞼を開いた。しかしその瞳に力はない。すぐにでもまた閉じてしまいそうに瞼は震えていた。
 簪の少女は涙で頬を濡らす少女を見た。かすかに開かれた唇からはどんな言葉が紡がれたのか、老婆の耳に聞こえることはなかった。
「笑っておやり、お嬢ちゃん。お別れの時ってのは笑ってやるもんだ」
 じゃないと、寂しいばっかりだろう。
 少女はぐっと息を詰める。きつくきつく拳を握りしめ、震えながら開いた手のひらには爪の痕が深く刻まれていた。指先でそっと簪の少女に触れる。伸ばされた友人の手に簪の少女は頬をすり寄せた。
「あかり・・・ともだちになってくれて、ありがとう」
 嗚咽を何度も堪えたその声は頼りなく震えている。涙はまだ止まらない。
 けれど瞳を、唇をゆるめて少女は笑って簪の少女に向き合った。
 簪の少女もその笑みに応えた。初めて老婆がその姿を見た時と同じ、心から満ち足りた眩い笑顔で。
「・・・・・・・・・・・・、・・・・・・、・・・・・・」
 薄く開いた唇が何かを囁く。その声は果たして少女に届いただろうか。老婆の耳には届かない最後の声を放った簪の少女は微笑みのまま瞼を閉じ、やがてその体は薄れていった。
 ーーぃん
 かすかに細い音が短く走る。簪の少女はその姿を失い、輝きのない鬼灯の飾りが付けられた簪が冷たくその場に置かれているだけとなった。
 やがて小さくすすり泣く声が、少女の唇から漏れ出した。
「ーーほら、ちゃんと大事に持っておいで」
 しばらく泣き続けていた少女の手に老婆は簪を取らせようとした。
「ちゃんと大事大事にしていれば、お嬢ちゃんのともだちはまたやってくるさ」
「・・・どういう、こと・・・?」
 涙で泣きはらした顔を少女は上げた。赤くなってしまった少女の目の前に、老婆は簪の鬼灯を揺らして見せる。
「潰える命も、壊れた物も、そこで仕舞いさ。けれどねえ、お嬢ちゃん。命は繋げられるし、物は直すことができる。お嬢ちゃんがまた大事にこの簪を持っていれば、この鬼灯は花を咲かせて実をつけることができるさ」
「・・・あかりが、還ってくるの・・・?」
「さて。新しく咲いた花を枯れた花と同じと見るか、見目は同じの別の花と見るか、お嬢ちゃんはどう見るんだい?」
 老婆の問いに少女は答えなかった。老婆は構わず、鬼灯の簪を涙で濡れてしまった少女の手のひらの上へと置いた。
「まあ間違いないのは、この簪はずぅっとお嬢ちゃんのともだちだってことさ」
 すん、と少女は鼻をすする。手のひらに置かれた簪をじっと見つめ、そしてやわらかに両手で包み込んだ。


***


「おばあちゃん、その子だぁれ」
 孫娘の声に彼女は驚きに目を丸くした。自分の肩を見やり、そしてもう一度孫娘へと視線を戻す。
「この子が見えるの?」
「? だっておばあちゃんの肩におすわりしてるよ」
 おやまあ、と彼女はますます目を丸くさせ、そして嬉しそうに瞳を細めた。ふふ、と小さく笑みをこぼし孫娘の頭を優しく撫でてやる。
「この子はね、おばあちゃんのともだちよ。ずっと一緒にいてくれる、いちばんのともだちなの」
「へえー・・・なまえはなんていうの?」
 名を教えようと口を開きかけて、彼女は笑みで口元を閉じる。
「そうねぇ。お前がもう少し大きくなったら教えてあげようね。そうしたらおばあちゃんの代わりにこの簪を持っていてくれるかしら」
「かんざし? おばあちゃんの大事なものなのに、いいの?」
 孫娘の疑問に彼女は笑って頷いた。自分の肩に座るその子も、同じように笑っているだろうと顔を向けずとも彼女には判っている。
「大事なものだから、誰かに持っていて欲しいのよ。長く、ずぅっとね」
 長らく繋げていけるように。
 そう口にした自分の言葉を孫娘は理解したようなできなかったような、曖昧な表情を浮かべていた。ああ。あの時の自分もきっとこんな表情だったのだろうな、と彼女はすっかり遠くなってしまった過去を想った。
 不思議な世界の中の、不思議な店。
 三度とその店と店主を訪ねることはもうできそうにないけれど、あの店は今も変わらず在るのだろう。
「・・・お話、しましょうか。おばあちゃんが、この子と出会ったときのおはなし」