ウォンマガ夏フェス2016

お題:イヤリング | 絵:菊 | 文:伽藍

緋に染まる


暁の乙女

  「わたし以外の誰かになりたかったの」
 わたしの前に突然現れた少女は、堂々とした口調でそう言った。
 驚くほど似ていた。誰にって、わたしにだ。わたしと眼の前の少女は、本当に驚くほど、鏡写しのようにそっくりだった。長い髪に、海の色めいた瞳。歳も同じくらいだろう。
「なん……」
「わたしはね、わたし以外の誰かになりたかったわ」
 驚きのあまりろくに言葉を返せないわたしを遮るように、少女はそう言った。舞台で演じる幼い女優のような、多くの誰かに聞かせるための声だった。
 少女は自信に溢れた足取りで、口振りで、顔つきで、佇まいで、だから、と顎を上げた。
 まるでそれが、当然のことのように。
「だから、あなたはわたしに協力するのよ」
「え、……えっ?」

 美しい少女だった。顔立ちはわたしと全く同じはずなのに、わたしとは比べられないほど美しい少女だった。
 赤いずきんとドレスに、金の装飾。一目で、彼女が特別な立場にいる少女だと判った。それこそ、東の王宮街に住まう貴族のような。
 ここはわたしの家の前、うら寂れた路地の奥だ。彼女の存在はあまりに場違いで、わたしはそこでようやく我に返って少女を家に引っ張り込んだ。
「きゃっ」
「家に入って、危ないから!」
 細い体を家に押し込んで、そこにいてね、と一言かけて外に出る。ひとの気配を探るが、誰かがこちらを見ている様子はない。念のため路地を抜けた先まで確かめたが、誰の姿も見えなかった。締め切られた窓から漏れたわずかな明かりが辛うじて照らすばかりの、薄暗い夜の道が広がっている。
 家に戻ると、少女はわたしの家のあちこちを見て回っていたようだ。木でできたあばら屋が珍しいのかも知れない。
「これはなに?」
 ぴら、と葦の籠から引っ張りだした布切れを広げてみせる。それはわたしのワンピースだったのだが、もう答える気力もなかった。
 焦りが過ぎ去ってしまえば、どっと疲れが押し寄せてくる。ベッドに腰かけて一息つく間に、少女は奥の部屋に向かっていた。そちらは炊事場だ。わたしから答えが返ってこなくても気にしないらしい。
 ひらひらとドレスを靡かせて動き回っている少女をしばらく眺めて、わたしはようやく声をかけることにした。
「あなた、お迎えはいつ来るの?」
「迎え?」
 くるりと、少女は振り返った。思いも寄らない問いかけをされたと言いたげな顔だった。その無防備な表情を見ただけで嫌な予感に頭が痛くなってくる。
「来ないわよ。わたし、家出してきたの」
「……」
 もう、言葉もなかった。

***

 少女はサラと名乗った。仕方なくこちらも名乗ると、ころころと笑う。
「よろしく、エマ! 素敵な名前ね」
 一夜明けた朝のことだった。昨夜は一通り探索して気が済んだらしい少女がさっさと寝に入ってしまったから、まともな挨拶をする機会もなかったのだ。
 真っ白なネグリジェをまとっている少女に、ふうと嘆息する。少女はいくらかの着替えを持ち込んでいた。本当にこの家に転がり込むつもりらしい。
 狭いベッドで二人並ぶなんて随分と久しぶりのことだったからか、あまり深く眠れなかったし体があちこち痛い。それはサラも同じはずなのだけれど、彼女は元気なものだった。
「エマは働いているの?」
 歳はお互いに十五。けれど家の様子から一人暮らしのようだと察したのか、サラがそう問うてきた。隠すことでもないから、軽く答える。
「うん、日雇いの仕事をいくつか……。あとは、学校に行きたい子向けに塾の真似事を」
「学校?」
 ことりと首を傾げるサラに頷く。
「お金のある子は学費を払えば良いけれど、そうじゃない子は試験を受けなくちゃいけないの」
 おそらく彼女は学校に通ったことがないだろう。学校ではなく家庭教師に学んだ人間のはずだ。そう踏んであえて説明すると、彼女はへえと眼を見開いた。やはり知らなかったらしい。
「今日も働くの?」
「今日は十五時から塾よ」
 陽の傾きからして、朝日が出て三時間といった頃合いだ。正確な時間は時計を見なければ判らないから、早めに行って広場の時計台を確認しなくてはいけない。
「じゃあ、その前に出かけましょう」
 良いことを思いついたというように、ほとんど断定の口調でサラが言った。その勢いに圧されて、わたしは思わず頷いてしまう。
「そうと決まれば、善は急げよ。さあ、行きましょう」
「待って、待って」
 まだ露天もやっていないだろうし、出かける前に家事もやらなければ。慌てて止めると、サラが判りやすく不満な顔をする。
「まずは朝食を食べましょう」
「そうね……」
 渋々頷いてくれたことにほっとして、わたしは着替えを差し出した。昨日サラが広げていたわたしのワンピースだ。古びてくすんだ緑になってしまっているけれど、定期的に洗っているから問題ないだろう。
「これは室内着?」
「いいえ、その格好のまま外にも出るの。あんまり綺麗な格好をしていると狙われる。ずきんも危ないわ」
 ずきんを被っているなんて、貴族かよほどの金持ちだと言い触らしているようなものだ。幸い、サラは不思議そうな顔をしながらも素直に頷いてくれた。
 着替えてから、二人でパンを食べた。わたしにとっては普通のパンだったけれど、サラにとっては食べ物であるかも怪しいものだったかも知れない。未知のものを口に入れる表情で、それでもサラは何も文句を言わなかった。
 狭い家に椅子が二つあるのは、母が生きていたころの名残だ。部屋に自分以外の誰かがいる、という感覚が久しぶりすぎて、わたしはどうにも落ち着かなかった。
 川に使い終わった食器と服を運んでまとめて洗う。サラの服はさすがにどうにもできないからそのままだ。洗った分だけ汚れてしまう。
「水道は通っていないの?」
「何年も前の嵐でここら一帯が出なくなって、それっきり。飲み水なら井戸があるからそんなに困らないわ」
 それでも、年に何人かは病にかかって死んでいく。井戸の水から病に感染することがあるのだ。
「体が気持ち悪かったら、ここで体を拭くか、川に入ってね。ただし、必ず陽があるうちに。一人では絶対にだめよ」
 夜に出歩いたりしたら、殺されても攫われて売られても文句は言えないのだ。
 夜は隠れている物乞いたちが、昼になってちらほらと姿を見せ始める。行きは眼につかなかったけれど、帰りは何人か道にうずくまっていた。
「……あれは何?」
 きゅっと服の裾を掴んで、サラが問うてくる。彼らのような人々を見るのも初めてなのかも知れない。
「仕事がなかったり、仕事ができなかったりするひとたち。お金をあげたらつけられて家を知られて襲われることもあるから、眼を合わせてはだめ」
「でも、あれは子どもよ。足がないわ」
「子どもでどこかが欠けているのは、大半は親がやったのよ。どこからか親が見ているはずだから、一番近寄ってはいけない」
「そう……」
 地に額をつけて、拝むような姿勢で入れ物を差し出している老婆の前を二人で足早に通り過ぎた。
 サラにとっては衝撃が大きすぎたのかも知れない。家に戻ってきたサラは、すっかり考え込んでしまっていた。何を言おうか迷って、ありきたりな慰めを口にする。
「たまに通りかかる行商がお金を恵むこともあるし、そうじゃなくたって教会があるわ。週に一度だけれど、炊き出しがある」
「教会? 国は宗教を禁止しているわ。宗教は政治を混乱させるから」
「政治なんて、物乞いたちには関係ない。――きっと、彼らはどこかに資金源があるのね。一見では判らないように、そこここを教会にしているわ。わたしが知っているだけでもこの都に教会は二か所ある。もっとあるかも知れない」
「そうなの……」
 呆けたような口調で、サラはそう言った。明らかに上流階級の少女にこんなことを教えて良いのだろうかとちらりと思ったけれど、同時にサラならば大丈夫だろうという思いもあった。ほんの短い付き合いでも、彼女が心優しいことは伝わってくるから。
 きっと、わたしと彼女が一緒に行動するのは数日にも満たないだろう。ならばその数日間、とことんサラに付き合おうと思った。家出をしてきたと言っていたけれど、恐らく少女の今までの生活とわたしとの生活とはあまりにかけ離れすぎている。予想でしかないけれど、全く的外れな想像という訳でもないだろう。
 すぐに帰りたくなるはずだ。だからその短い間だけでも、この少女に寄り添おうと。
 知り合いから貰った茶葉で一息いれていたら、すぐに太陽が西に傾き始めた。わたしとサラはもう一杯ずつお茶を飲んで、再び家を出た。

 古びた広場の片隅で、わたしは塾を開いている。元々は母が行っていたことで、わたしはそれをそのまま引き継いだだけだ。特にお金を幾らと決めている訳ではないし、お金を払わないまま学びに来ている子もたくさんいる。それでも構わなかった。
 子どものうちの何人かは、こっそりと親に持たされたお金や食べ物を差し出してくる。それとは別に、近くの大人や、かつて母の教え子だったひとたちがお金や食べ物を渡しにきてくれることもある。わたしが地面を使って文字や数字を教えるのを、サラはやや離れた場所にある石に座りながら眺めていた。
「みんな学ぶのが楽しいのね」
 帰り道、サラは独り言のようにそう言った。
「わたしよりずっと真剣に勉強しているわ」
「学ぶことは、自分を守ることにもなるからよ。文字が読めれば、訳が判らないまま契約書にサインをしてしまうことはなくなるわ。数字が判ればお金を騙し取られることもなくなる。社会は頭が良いひとの味方だから……」
「エマは凄いのね」
 サラの言葉に、わたしは瞬いた。
「わたしと同じ歳のはずなのに、わたしよりずっと大人だわ」
「……お母さんの受け売りよ」
 わたしよりも何倍も教養があるだろうサラに言われて、わたしは慌ててそう言った。こんなにまっすぐに褒められることなんて滅多にないから、顔が熱い。
「わたしね、いろいろなことを勉強したわ。鳥の名前。花の育て方。お茶会の作法に、歌のお稽古。ピアノの弾き方。詩人の名前に、国の歴史に、他の国の言葉……」
 すらすらと並べられた台詞に、わたしはびっくりした。鳥の名前や花の育て方は辛うじて判るけれど、それ以外はほとんど関わりのない世界だ。
「でもわたし、何も知らなかったのね」
「……サラ?」
 わたしの問いかけに、サラはふるふると首を振った。物乞いたちが哀れな声で小金を求める前を、二人で通り過ぎる。並んで歩く少女の足取りに迷いはなかった。

***

 思いがけず、サラはわたしの家に長く留まった。一週間が経っても出ていく様子がないのだ。それどころかいつの間にか近所の少女たちと仲良くなって、数人で水浴びに出かけているほどだ。
 まさか本当にこのまま居着くつもりかと、わたしはやや心配になった。貴族の少女が行方不明となれば、家出をされた家族のほうは今頃てんやわんやだろうに。
 わたしと一緒になって葦の籠を編んでいるサラの表情は楽しそうだったが、手は当たり前のようにぼろぼろになっている。一週間前までは食器以上重いものを持ったこともなさそうだったのに、本当に良いのだろうか。見ていてあまりに痛そうだったので、近くに住んでいる占い師に軟膏を売って貰ったくらいだ。元々は貴族に雇われていたという噂もある占い師の軟膏は、かいだことのないツンとした匂いがした。
「ねえ、エマ」
 作業が一段落ついて、陽がくれる前にと二人で川に入っているときだった。
「わたし、帰るわ」
 今は暑い時期だから良いけれど、これから寒くなったらだんだん辛くなってくるなと、ぼんやりと考えていたときだった。考えに耽っていたわたしは、サラの言葉に一瞬反応できなかった。
「明日、帰る」
 着たままの服がぴたりと肌にはりつくのをそのまま、サラは立ち上がってそう宣言した。ぽたぽたと長い髪から水が滴る。
 一、二、三秒が経過して、ようやくわたしは何を言われたのか理解した。あんなにいつ帰る気かと心配になっていたのに、帰ると言われた瞬間わたしはどうしようもなく寂しくなった。
「そう、判った」
 けれどわたしは、その感傷を隠して頷いた。わたしの反応を最初から知っていたかのように、サラがふいと顔を逸らす。
 そのままばしゃりと水の中に倒れ込むものだから、わたしは慌ててサラを引っ張り上げるはめになった。
「ちょっと、危ない!」
「あははっ」
 楽しそうに笑ったサラが、逆にわたしを引っ張ってくる。川の中というのもあって、踏ん張りそこねたわたしはあっさりと引き倒された。
 川は腰ほどまでの深さで、流れはごく緩やかなだ。わたしがほどなく立ち上がると、ほとんど同時にサラも立ち上がった。
「もう、サラ……」
「わたしのお母さまね、二週間前に亡くなったの!」
 唐突に、誰かに宣言でもするように、高らかにサラはそう言った。
「二年前に一番上のお兄さまが、半年前にお姉さまが、三ヶ月前に妹が、二ヶ月前に弟二人が、一ヶ月前にお兄さまとお姉さまが一人ずつ!」
 一息にそこまで言って、ふと何かを思い出したように。
「一週間前に最後のお兄さまが亡くなったわ」
「……」
 何と返して良いのか判らず黙り込んだわたしに構わず、川の中でくるりと回る。舞台で踊ってでもいるようだった。
 舞台の上で、少女はひとり踊る。まとわりつく水も、服も気にせずに。
 くるり、くるり。
「わたし、女王になるの」
 わたしは思い出した。一ヶ月前、国王が崩御された。
 後継者は、いまだに決まっていない。
「女王になるのよ」
 ぽつりと、どうでもいいことのように、それでいて泣きそうな声でサラは言った。泣きそうな声で、頼りない声で、それでもきっぱりと。
 それから表情を消して、何かを追いかけるみたいに遠い眼をして呟く。
「わたくしは」
 小さく、乞うように。
「わたくし以外の誰かになりたかったわ」
「サラ――」
 何を言って良いのか判らなかった。何を言えば良いのか判らなくて、何も言えなくて、わたしはサラを抱きしめた。くるりくるり、動きにくいはずの川の中でひとり踊り続ける少女の動きを止めるように。
「きっと二度と会えないわね」
「……そうね」
 サラが微笑んだから、わたしも微笑んだ。鏡写しのようにそっくりな少女だった。いつの間にか大切な友人になっていた。けれど、歩む運命はあまりに違う。
「サラって、わたしの本当の名前なの。きっと、女王になったら違う名前を名乗ることになるわ」
 呪いを受けないように、王は本当の名前を捨てるのが慣例だと聞いたことがある。
「だから、覚えておいてね」
 もちろん、と頷いたわたしに、サラはほっとしたように笑って体を離した。二人で川を上がって、わたしの家に帰るまで、わたしたちは手を繋いでいた。

***

 翌日、サラは朝早くにわたしの家を出た。迎えにきた男につれられて、突然訪れたときと変わらない軽やかな足取りで。
 サラが持ち込んだ荷物はほとんどサラが持ち帰ったけれど、一つだけ彼女が置いていったものがある。金の耳飾りの片割れ。片方をサラが、片方をわたしが。今となっては、この耳飾りだけがあの一週間が現実だったことを示す唯一のものだ。
 この家にいた一週間で、彼女の中にどんな変化があったのかは判らない。何故逃げてきたのかも、何故帰る気になったのかも。
 枯れた水道、垢だらけの物乞い、学校にも行けない子どもたち。彼らを見て彼女が何を感じたのか、想像することすら難しい。それくらい、サラとわたしでは立ち位置が違いすぎた。
 けれど、知っている。一見高慢な態度の少女が、とても優しいこと。わたしと一緒になって、わたしの教え子たちにいろいろと教えてくれたこと。文字もろくに書けない、教養もない少女たちとすぐに仲良くなったこと。手がぼろぼろになるのも気にせず、鼻歌まじりに家事をしていたこと。
 サラは必ず、良い女王になる。
 もう二度と会うことはないだろう。めまぐるしい日々の中で、お互いを思い出すこともなくなっていくかも知れない。
 けれど、忘れない。この国に、サラというわたしの親友が生きていること。転げるように笑い合ったこと、川でじゃれ合ったこと。
 きっと、サラも。
 追憶しているうちに陽は傾いて、部屋全体が何もかもを焼き尽くすような緋色に染まっていく。その色がサラのドレスを連想させて、わたしはそっと眼を細めた。
 思い立って、耳飾りをつけてみる。どんなに似ていたって、わたしはサラではないしサラはわたしではない。わたしたちは別の人間で、わたしたちはお互いにはなれない。わたしはわたしにしかなれないし、サラはサラにしかなれない。
 サラはそのことに、気づいたのだろうか。だから帰って行ったのだろうか。
 彼女は何かを見つけられたのだろうか。
 考えてみても答えは出ない。けれど、そうであればいいと思った。わたしとの生活が、一週間という短い時間が、彼女に何かを残していればいい。
 まるで比翼の鳥のような、運命の双子のような少女を想って、わたしは耳飾りにそっとキスをした。


fin.