ウォンマガ夏フェス2016

お題:ブローチ | 絵:奏音 | 文:さきうらかずき

星拾い


カノン

  カノン


 むかしむかしひとりの少女が、世界じゅうのいっとううつくしい光を、幼い手のなかにあふれるほどたくさん集めて、夜道を駆けていたことがありました。けれども暗い道のこと、道ばたの石ころにつまづいた拍子に、手のなかの光をぶちまけてしまったのです。光は空いっぱいに散じ広がって、――うつくしい星空になりました。


 星の降る夜だった。たとえではなくて、本当に、無数の星々がはかない尾を引いて夜空を滑り落ちてゆく、何年かに一度訪れる美しい夜の日。生まれた日に父から贈られたふしぎな宝石の力によって、昼のうちからその夜の訪れを知っていたわたしは、ひみつだと言いながら、半年ほど前に一族に加わった五つ年かさの少年にそっと耳打ちした。その夜、昼間にあった遺跡の発見によって夕方から祝い酒を飲み、翌日の調査に向けておとなたちが早々に寝静まった時刻を見計らって、その少年がわたしをこっそり誘い出したことも、彼に耳打ちしたときからひそかに期待していたことだった。
 わたしはテントのなかで両親や幼い弟妹が深く眠りにつくまでじっと掛け布のしたで息をひそめており、夜更けの鳥が低い声を鳴き交わすころ、少年と連れだって野営地を抜け出した。彼とわたしは、一族が野営している森の広場から木立を抜けたところの小高く開けた丘に登って、肩を並べて星空を見上げた。言葉もなかった。
 いつもは静かに空のあるべき場所に留まってじっと動かないように見える星たちが、神さまが手をお放しになられたかのように、次々と空から落ちてゆく。物心ついてから幾度か目にしたことのある光景だけれど、わたしは、こんなにたくさんの星が落ちたら、いつか空から星がなくなってしまうのではないかといらぬ心配さえしていた。
「星の光りって、冷たく見えないかい」
 十七の少年の、おとなになりきれないとがりを残す声が、ふいに空に散らばる星々のいづれかを、あるいはすべてを指して言った。わたしは彼の言葉を確かめるためにしばらく星を眺めてみて、正直に首を傾げた。
「わからない」
「僕には見えるんだ。太陽の光はいかにも熱そうだけれど、星は、ふれたらひんやりと指さきが痛むほど冷たそうな気がする。……でもね、ほんとうはそんなことはなくて、あの星のすべて、太陽と同じくらいの熱さで燃えているんだって」
「……熱さのことなんて、考えたことなかった」
 わたしはそっと視線を落として、左胸にふれた。そこには、父から贈られた『星』がある。一族のあいだで、子どもの誕生と同時にどこからか持ってくるうつくしい宝石の、その名をわたしは知らず、ただみなのあいだで『星』と呼び習わされるのをそのままそのものの呼び名としている。一族のものは誰もが『星』をひとつずつ持っていた。わたしたちのあいだでこれを持たないのは、十六のころに一族に加わって半年が経つばかりの、隣りにいる少年だけだった。
「星は燃えているの?」
「そうらしいね」
 だとしたら、わたしの『星』もなんらかの熱をはらむだろうか。暗い夜空のもと、注意深く指さきでつるりとした『星』の表面をなぞってみたけれど、わたしの体温がほのかにうつったかのような、冷たくも、かといって熱くもない不思議な温度が、ぽつりとふれるにすぎない。わたしはふたたび視線を空に戻した。
「星が燃えているなら、こんなにたくさん降ってきたらたいへん」
「うん、でも、星のほとんどは地上にたどりつくまえに、空の果てで燃え尽きて消えてしまう」
「ほとんどは?」
「ごく稀に、地上まで落ちてくる星があるんだって。ひとはそうと知らずに拾って、星に宝石の名前をつけたりなんかしている――」
 そのときだった。
 細く毛筋のような尾を引いて降る星たちのなかで、ひとつだけ、くっきりと鮮やかな光条を描いて落ちてきたものがあった。少年も同じものに気づいたのか、わたしと彼は、同じ方向の空を見上げて、ゆっくりと、ことさらゆっくり滑り落ちる星のゆくえを目で追っていた。
 息を呑んだのはどちらが先だったろう。
 わたしも彼も、落ちていった星のさきを目にして、同時に言葉をなくした。星は、夜闇を侵すような、不穏な明るさへ向かって、その輝きを失っていった。
 闇の下から、あってはならないはずの茜色が滲んでいる。
 少年はわたしの手をしっかりと握って、わたしに無理のない速さで駆けだした。
 星が落ちたのは、一族の野営地のある森だった。森の空気は、平穏を破って生じた熱にざわめいていた。
 夜明けにはまだ遠い。


 ☆  ☆  ☆


 ランプの芯が尽きかけている。そう言われ、イアルはオイル浸しの換芯が入ったガラス瓶とひとつかみの紙束を鞄から取り出し、暗闇のなかでほのかに光って見える少女の白い手からランプを受け取って、火を消すまえに紙束にその火を移した。炎はまだ新しい紙を舐めるように燃え移り、大きく身をくねらせてたちのぼる。紙束を砂礫でざらついた古い石造りの地面に置き、その明かりで手もとを照らして手早くランプの芯を換える。あいだにちらりと少女を見上げたら、彼女は手のひらに一粒のまるい石を乗せ、それの放つふしぎな光を頼りに、しげしげと壁の模様を眺め続けていた。
「できたよ」
 イアルは新しい芯に火を灯し、ランプを掲げて立ち上がった。少女が振り返り、イアルとランプ、ついで彼の足もとで熾火となりつつある紙束に目を留めて「国が燃えてる」と呟く。澄んだ瞳が炎を反射して、視線の動きがよく見えた。イアルは少女の呟きに内心ひやりとさせられたが、何事もなかったかのように受け流した。声音はもちろん、心情を繕うのは得意だ。
「ああ、そうだね」
 燃やしたのは一掴みの地図だった。焦げ跡が迫る燃え残りの紙片に、地名らしき文字が見える。イアルは紙が燃え尽きるのを待たずブーツの踵で無造作に残った小火を踏み散らし、ランプを渡す。
「心配しなくても、一番新しいやつだよ」
「ヴェイガの綴りが見えたから、そうだと思った。買ったばかりなのに」
「他に燃やせるものがもうなかったんだよ。古いのを燃やすわけにはいかないし」
 あまり悪びれずに、イアルは肩を竦めた。
 ヴェイガとは数年前に生まれたばかりの新しい国の名前だ。革命によってその地を治めていた王家を滅ぼし、勢いのまま早くも近隣の小国二つを征服した。この国の誕生と勢力は周辺の国々すべてを脅かしているが、その名を口にした少女の声音にはただ地図を惜しむ色こそあれど、情勢に対する恐れも憂いもないようだった。彼女の透き通った眼差しは、もっぱら過去に向けられている。
 イアルの差し出すランプを前にして、少女は手のひらに乗せていた石を外套の下のチュニックの左胸にピンで留めた。石の光はマントに隠れてやわらかく沈黙する。光源はランプの炎のみとなり、永い間この場所で沈殿していた闇をわずかばかり退けて、久方ぶりの侵入者を照らし出していた。イアルはランプを少女が見ていたあたりの壁に近づけ、そこに刻まれた文字の羅列を一通り眺める。
「何か分かった?」
「うん。このあたり、ずっと王の治世について書いてある。イアル、当たりだったね。ここは王墓」
 イアルから受け取ったランプを頭上に差し伸べて、少女は目線の高さほどの壁を示した。刻まれているのは初めて見る文字ではないものの、イアルはほとんど読むことができない。装飾が多く、文字というより独立した図形の彫り物のように見えるそれを、指さきでさらりとなぞる少女の目だけがたしかなことばとして読み解く。イアルの目に、耳に、それはときに不思議な現象として見え、聞こえた。彼女がなにか、目に見えないものの、聞こえないものの、ふれられないものの意志を、滅びた古い国、その残された遺跡の空間のなかから、彼女の華奢な身体、あるいはそこに宿る魂を通して受け取っているような……。
「歴史はわかりそう?」
「まだ。だってこれだけじゃ、正確な年代がわからない。たぶん衰退期のころのものだと思うのだけれど」
「じゃあこの数十年か、百年かあとには、この国は滅んで歴史を消されることになるのか。この王は、きっとそんなことは知らなかったろう」
「予兆は感じていたのかもしれない」
 少女は柔らかな手のひらで、いつくしむように、あるいは悼むように、ざらついた壁に刻まれた痕跡を撫でた。
「墓室はどのあたり?」
「たぶんこの壁のむこう」
「どうしてわかるの?」
「この道、奥は行き止まりになっていたでしょう。行き止まりなんじゃなくて、ここが一番奥の部屋なんだよ。ほらあそこ、暗くて見えづらいけれど、この壁の一番上のあの文言、あれは王の眠る場所を守る結界のまじない。この手の結界は王の墓室に施されるもの。つまり、この壁が墓室のものってわけ。ここに来る前に通った分岐、あそこで右に行けばここと対称の廊下になっているはずだよ。この壁はこの部屋の入れ子になった小部屋の外壁なの」
「で、その小部屋が墓室ってわけか。入り口は?」
「遺跡が類型のものと同じなら、入り口をあとから塞いでいないはずだから、こちら側に穴がないということは、たぶん反対側。だから、さっきわたしたちが道の分岐だと思った三叉路を右に曲がったほうにあると思う」
「なら戻る? 壁の文字を全部読んでしまうには時間がかかるだろうし、今日は墓室を確かめるだけにしない? 今が何時頃なのかも、ここじゃわからないし」
「たぶん二十刻ごろね」
 少女はあっさり言い、ランプを持ったまま、イアルの先に立って歩き出した。ためらいのない足取りからは、こういう遺跡を歩くことに慣れたようすがうかがえる。長時間も外の光の入らない遺跡の奥にいて時間感覚を失わないところも、イアルはまだ持たない技量だった。けれども少女は、それが特別なことだとは思っていないだろう。
 背の高いイアルならば手を伸ばせば届くほど天井は低く、それでも静かすぎるあまり響く足音が後ろめたいのは、死者の眠る場所を侵している感覚が消せないからだ。前をゆく少女の鞄には、この墓のあるじへ手向けるための、遺跡のまわりを囲む森で摘んだ白い花が入っている。だが彼女は、恐れはしない。
 イアルと少女はもと来た道を戻り、三叉路を直進して角を曲がった。回廊の途中の壁に、少女の言ったとおり石室の入り口となる穴がぽかりと、人ひとりが通れるくらいの口を開けていた。奥は真っ暗でなにも見えないのに、彼女はためらいなく、中へと足を踏み入れる。
「! ……風が……」
「え?」
「風がある。それに、外の匂いがする……」
 少女のつぶやきに、イアルはぎょっとして彼女からランプを受け取り、慌てて周囲を照らした。副葬品と思しき品々が炎に反射してきらりと光ったが、少女はそれには興味を示さず、イアルの腕にそっと手を当てて動きを遮る。
「ランプの光が邪魔してる……見て、イアル」
 少女は小さな手のひらでランプの光を遮り、すこしして、ふたりの右手奥、暗闇の向こうを指さした。そこには壁があり、さらに奥の部屋へつながる入り口が空いているようだった。少女が光が邪魔だと言った理由はすぐに知れた。
「奥が明るい……」
「……うん。たぶん……」
 うなずき、吸い寄せられるようにして、少女は奥の部屋へと足を向ける。その入り口からは、まるでふたりをいざなうような、ほのかな青白い光がやわらかくあふれていた。
 石室に入ったときと同じくらいの狭い入り口をくぐり抜けた先にあったのは、さらに小さな部屋だった。今度こそ行き止まりだ。光は石室の奥に横たわる、物言わぬ石の棺に降り注ぐ。
「上、穴が空いているのね。わざとなのかな……」
 少女はこころもちゆっくりとした足取りで部屋の奥へと進んでゆく。天井から差し込む光が石棺を包むように照らし、石棺のすぐそばまで歩み寄って上を見上げれば、ちょうど石棺よりひとまわりほど大きな長方形にくり抜かれた天井から、星の瞬く静かな夜空が見えた。数え切れない星々が散らばる空は遺跡の暗闇に慣れたふたりの目にじゅうぶんすぎるほど明るくて、ランプの光が必要ないほどだ。
 数十歩でぐるりと一周できる小さな部屋には、前室と違って副葬品のたぐいは一切見られず、ただ石棺だけが据えられていた。
「石の棺のほうに蓋があるのは、上から入る雨水を防ぐためなんだろうね」
 少女はイアルを促し、薄い石棺の蓋をどうにかずらして取り去った。その下にさらに木製の棺がある。そもそも類型の遺跡でみられる棺では木棺が蓋のない石棺のなかに納められているのがふつうで、蓋があるのは初めてだった。天井に穴が開けられているのも初めて見たものだから、少女の言うとおり、蓋はそのために特別に付けられたものなのだろう。
 石棺は装飾もないただの入れ物にすぎず、いっぽう木棺のほうには高い技術で防腐が施されており、長い年月を経たにしては損傷も少なく、細かく彫り込まれた文字や図形がはっきり残っているのが見て取れる。おそらくは祈りや護符の役目を果たすのだろうそれらがびっしり刻まれた棺は、まさに死者のための死出の舟といえた。
 文字や図形をそれと認識できても意味をとらえることのできないイアルはぼんやり眺めるだけだが、隣に立った少女はひととおり棺の装飾に目を通し、やがてぽつりとつぶやいた。
「……アルシャレイヤ」
「なに、それ」
「このひとの名前」
 じっと棺に目を落としたまま、少女は静かに答えた。それからおもむろに腕を伸ばし、木棺の蓋の切れ目に指さきを滑らせて蓋を上げようとする。彼女がそうすることはわかっていたから、イアルはそれを手伝って、敬虔な気持ちで、そっと蓋を持ち上げた。なかのものが見えるまえの一瞬、この瞬間は、思わず息が詰まる。目をそらしたくなる。いまだ、朽ちた身体におぞましさを感じてしまう。
 星明かりが照らす棺の中に、かつては王だったろうひとの骸が、黄ばんだ骨ばかりになって横たわっていた。朽ちかけているものの、房飾りのついた豪奢だったろうマントを纏い、骨となった両手をかぼそく胸の前で組み合わせている。
 少女は鞄から白い花を取り出し、骸の胸の上にやさしく置いて、祈るように目を閉じた。イアルも倣って頭を垂れる。
 イアルが少女たちの一族に加わったとき、そのころは、永い時を経て暴かれた遺骸を前にしても、不気味に思うばかりで祈ることばを持たなかった。ただみなの真似をして目を閉じていただけだ。みなが何のために、何を祈っているのか尋ねたこともあったけれど、「おまえにもすぐ祈りたいことが見つかるさ」と微笑まれて終わった。
 イアルは結局、彼にそう言ったひとが何を祈っていたか知らないままでいる。これから先も、もう一生知ることはないだろう。だがその言葉は正しくて、いつしかイアルは死者に語りかける心を持った。
 目を閉じて祈る。眠りを妨げたことへの謝意。生を駆け抜けたことへの敬意。そして、その骸が抱く、歴史への問い。
 ……あなたたちはどこから来たのだろう? なにをしていたのだろう? どんな国で、どんな街があって、あなたはどんなふうに生きたんだろう。王として、何を思いながら生きていたんだろう。
 衣擦れの音がしてイアルが目を開けると、黙祷を終えた少女が腰を屈めて、死者の胸元に手を伸ばしているところだった。イアルは黙って見守る。遺骸の胸元を覆うマントを、少女は恐れず、まるで眠る赤子にするように、やさしい手つきでそっと除けた。
「この人も、やっぱり星を持っていたんだね」
 マントの下、遺骸が纏う衣の左胸には、少女の同じところに留められているのと似た大きさ、似たかたちの、だがそれとは似つかずくすんで輝きもない石があった。黒ずんで沈黙する丸い石を、少女は貴いものにふれる恭しさをもって指さきで撫でる。石は何も反応しない。持ち主と同じく、とっくにいのちの抜けたものなのだ。それでも少女の声音は郷愁を含んで、いとおしげに石に触れていた。
 ふと空が明るくなった気がして、イアルは顔を上げ、天井の穴から夜空を見た。遙か遠く、四角く切り取られたなかでさえ数えられないほどの星が静かにまたたく。星は動いているはずだが、わずかな差異など見てわかるものではない。さきほどと変わりないようすに見間違いかと目を逸らしかけ、視界のすみにきらめくものをとらえてはっとした。とっさに隣の少女がまだ遺骸に目を留めているのを確かめて、彼女の目からあの空を隠す方法を思案する。けれどもこういうとき神さまはよほど意地悪と見えて、あ、と思ったときには、少女が屈めていた身を起こし、イアルに倣うようについと顔を上げていた。
「流れ星」
 イアルは困ってしまってあいまいな笑みをうかべた。それにかまわず、少女はじっと空を見上げて言った。
「このひとは、星が見たかったから天井を空けたのかな。あるいは、誰かがこのひとに星を見せたかったから」
「……そうかもしれないね」
「通常、墓室の壁や天井には死後の世界、楽園のようすが描かれるの。でもこのひとは描かれた理想の世界よりも、あの空を見たかったんだ」
 星のまたたきを映してなのか、少女の瞳がうっすら潤んで見えた。その瞳をちらりと見やって気づかなかったふりをし、イアルはぽつりとつぶやく。
「王だったのなら、この世界の……国のゆくすえを見ていたかったのかもしれないな」
 まだ生きていたかった。まだこの目で、愛した国の、人々の、その先を見つめていたかった。もの言わぬ遺骸だけれど、その死の間際の無念がわかるような気がして胸が痛くなる。いっぽうで、こんなに美しい空が見える場所に葬られて終わる人生は満ち足りて幸せだったのではないかとも思う。答えは死者しか持たない。そして彼はもう語らない。
「そういえば、今日は流星の日だったね」
 さっきからずっと空を見上げていた少女が、瞳に星のひかりを映してぽつりとつぶやく。
「あ、ああ……」
「イアル、知ってるでしょ。わたしには星が落ちる日はわかるんだよ」
「うん、そうだったな」
「そんなにびくびくしないで、大丈夫だから」
 少女はイアルを宥めるように小さく笑みをもらし、そっと左胸に手を当てて、その下にあるのだろう『星』を確かめていた。それからまた四角く切り取られた星空を眺める。
「……おとなたちがどこから『星』を持ってきていたのか、結局わからないままだなあ」
「子どもが生まれると用意されるんだっけ」
「うん、そう。その子のお母さんが産気づいた晩からおとなたちが集まってどこかへ行って、生まれたころに戻ってきた彼らはひとつの『星』を生まれた赤ちゃんに贈るの。わたしが十五になったら、おとなたちと一緒に連れて行ってもらって、星のありかを教えてもらう予定だったんだよ」
 頭上を星が流れ続ける。イアルは星明かりでかろうじてうかぶ少女の表情を決して見逃すまいと、じっとその横顔を見つめていた。
「知ってる? 流れ星はね、見つけてから消えてしまうまでのあいだにお願いごとを唱えられたら、叶うって言われていたんだよ」
「……いまのこの国では、太陽を信仰する。星は異教徒の象徴だ。そんな話が、伝わっているはずがない……」
 イアルはとっさに言葉に詰まり、自分でも面白味のかけらもないとわかる答えを返してしまった。そんな彼を、少女はやわらかく笑っていなす。ちらりと透明な眼差しがイアルを振り返り、また夜空を見る。
「イアル、そんなに真剣に考えないで、空を見て。ねえ? むかしのひとたちは、星を見ていろんなことを考えていたんだよ」
「もしもほんとうに願いが叶うというなら、きみなら何を願うの」
「なんにも。願いたいことなんてないよ。……過去は戻らないもの」
 うかつな問いかけだった。イアルは言葉を失い、表情を凍り付かせた。けれどもそんな彼とは裏腹に、少女は落ち着き払って動揺の一片もなく、空を見上げたまま言った。
「願いごとなんてなくても、星が綺麗だと言えるだけですてき。そうは思わない?」
「……そうだね」
 少女の本音を探そうと思って横顔をつぶさに眺めていても、星を映す瞳の透き通ったうつくしさが目を惹くばかりだった。イアルは少女の横顔から目を離し、同じように空を見上げる。太陽を追いやり、世界に闇をもたらす星空の眺めかたを、かつてのイアルは知らなかった。恐れるばかりで、美しいとも、かつて願いをかけたひとがいたなどということも、思ったことさえなかった。教えてくれたのはこの少女だ。少女と、いまはもう無くなってしまった彼女の一族とともにいると、世界がそのすがたを変えてゆくように思われた。実際に変わってきたのは自分たちのほうであることを悟った。
「星はね、昔々、女の子が集めた世界じゅうのうつくしい光だったんだよ。その子が転んで、集めたものをぶちまけてしまったから、光はちいさな星となって夜空じゅうに散らばったの。だから星はそもそもうつくしいの。それをいまのひとたちは異端だと言って忌避しようとする。でも落っこちてきたものに知らずに宝石の名前を付けるくらいなんだから、星を見て美しいと思う心はいまでも残っているんだよ」
「覚えてたんだ、その話」
「覚えているよ。あの夜のことは、ぜんぶ。悪い思い出だけじゃなくて、良い思い出だって、ちゃんと覚えてる。とても悲しいことはあったけれど、だからこそ思い出はなくしたくない」
 あの夜――イアルを星見に連れ出してくれた夜、少女はその小さな手のひらがだいじにしていたものの、ほとんどすべてを失った。一族の野営地を焼いた炎は森に広がり、雨が降るまで三日、燃え続けた。気づいたときには野営地を囲む森にまで広がっていた炎の勢いに、少女を連れて中へ飛び込むことはできず、せめて彼女だけでも助けたいと思って森を抜けた判断はいまでも間違っていなかったと言えるけれど、結果的に仲間を見殺しにし、この世界に彼女をひとりで残してしまった罪悪感がイアルを苛み続けている。
 炎を鎮めた雨が止んだあと、少女とともに野営地だった場所へ赴いたものの、炎はあまりにも強く、残っていたのはわずかな遺骨と炭の山。幼かった少女の弟妹は骨さえ見つかっていない。
 土まで黒く焦げてぼろぼろになってしまった野営地を、遺品を拾い集めながらうつむいて歩く少女の小さな、あまりにも小さな背中を見ていたときは、彼女はもうだめかもしれないとイアルは思った。そのときは自分がちゃんと面倒を見ようと思っていた。だが彼女はやがて煤けた手のひらで涙に濡れた頬をぬぐい、顔を上げたのだ。
『遺跡をみにいこう、イアル』
 まだ潤んでいまにも壊れそうな目をしながら、少女はイアルにそう訴えた。こんなときになにを、とイアルが思っていると、少女は左胸に手を当て、そこにあるものをぎゅっと握りしめて、瞬きひとつでまつげの先に残っていたしずくを振り払った。名残があどけない頬を伝い落ちてゆく。
 その刹那、ひとが生きようとするちからの強さをイアルは知った。かなしみを涙のひとしずくに閉じこめて押し流し、あるいはそれは目を逸らそうとする行為なのかもしれなかったけれど、それでもここに居ることを選んだ。
 以来、彼女は虚空のような透明な眼差しで世界を見つめつづけている。
 彼女の目は、この世界に存在しているけれども、イアルには見えないものを読み解く。彼女のなかには、この国から消された数百年の歴史が宿る。知らなくとも人は生きてゆけることを、いまの人々が証明しているにも関わらず、なお暗闇で痕跡を辿ることに何の意味があるのか。
 意味ではなく、自分自身への問いかけだと彼女は言う。
『……過去があるから今がある。だから、いまここに自分がいることを思うほど、過去のことを知りたいと思うのは、とても自然なことではないかな』
 自分とは何か。どこから来て、どこへゆくのか。
 生きていれば誰もが一度は抱くであろう疑問に答えてくれるものがあるとしたら、それは過去でしかない。人が未来を知ることがない限り、すべての疑問に対する答えは、過去に潜むものなのだから。
 おとなになればわかるとおとなが言うのは、おとなになるだけの過去の蓄積が答えをもたらすからだ。そして、過去とは決して人の身の内に留まる数十年だけに限られるものではなく、途切れることなく連綿と、遙か昔まで続いている。
 だけれどそのことを普段、人は忘れてしまっているのだろう。先人たちがわずかずつ、けれど確かに積み上げてきた時の重なりの上に在りながら、自分たちの居る現在だけで生きている気になっている。比較的近年のことなのに、歴史に数百年の空白があっても気にも留めない。
 数年前までのイアルもそうだった。今があることへの疑問は薄々抱きながらも、教科書から削り取られた数百年分の歴史に何を思うこともなかった。そこでなにがあっていようと、いま自分たちがここにいるのだから、ともかくそれはもう良いのだろうと思った。なにより、国が良しとしているのだ。それに間違いがあるとは思っていなかった。
 ただ生きていくという上では――あるいはそれはそれで正しいのかもしれない。人はすべてを知ることはできず、だからといって生きていけないわけではない。
 けれどそれでもなお、少女やその一族のように、歴史の欠片を探し求め、わずかな手がかりを繋ぎながら、失われた数百年を留めようとする人たちもいる。この国の片すみに一族が持っている小さな屋敷は、普段は無人だが、一族が長年かけて集めてきた記録がぎっしり収められている。少女がいつも持ち歩いて細々と書き込んでいる手帳も、いずれはそこに収まるだろう。彼女たちがいる限り、歴史は閉ざされない。
 そして願わくば、自分も彼女やその一族と同じように過去を継いでゆきたいと、いつしかイアルは思ってしまった。自分の目的とするところと相反すると理性ではわかっているのに、自分の奥底の深いところから滲み出るような欲求を振り切れないのだ。
「今日はそろそろ戻ろうか、イアル」
 いつの間にか、少女は空を見ることをやめて、棺の蓋のそばにしゃがみこんでいた。手にしたランプを掲げて、ひっくり返した蓋の内側を見ている。彼女の手もとには手帳とペンがあり、細かく記された文字も見える。イアルが空を見て物思いに耽っているあいだに、彼女は棺を観察し、表面に刻まれたものごとなどを記録していたようだった。
「蓋、戻すの手伝って」
「ああ、うん……」
 イアルが歯切れ悪く返事をすると、見透かしたように少女がくすりと笑う。
「相変わらず苦手なんだね」
「だってなんか……怒られそう」
「死人は動かないよ」
 わかってはいる。けれどイアルは、蓋を戻そうといったん棺をたしかめて、なかのものを見てしまったとき、こころなしかうつろな頭蓋がすこし傾いて、こちらをじっと見ているような気がした。暗い眼窩がどうしても怖い。
「きみにはないの? こう、何してくれるんだー! ってもし飛びかかられたらとか」
「思わないなあ」
 少女はのんびり言い、ふと、蓋を持ち上げようとする手を止めた。
「さすがに棺を開けられるとは思っていなかったかもしれないけれど、でもここ、もともと誰かが入ってくることは考えてたんだと思う。だってこうしてお墓の壁や棺にたくさんの言葉を記してあるってことは、誰かに読んでもらうためでしょう? 言葉って、誰かに何かを伝えるためのものなんだから。それに、見て」
 少女は棺の蓋の内側をついと指さしてランプを寄せた。そこが遺骸の空洞の眼が数百年もじっと見つめていた場所だと思うと背筋が冷たくなった。イアルはおそるおそる顔を寄せ、少女の指すものを見ようと身を屈める。
「…………」
 文字だと思われた。壁や木棺の表面に刻んであるような整然としたものではなく、思いついて慌てて走り書きしたかのように崩れたかたちをしている。書いた人の手つきを感じたが、そのぶんよけいに、文字を読むことは、イアルにはできなかった。
「彼はわたしの愛した人」
 詩をうたうように少女が口ずさむ。
「ねえまるで、これを誰かが見ることをわかっていたみたい」
 彼は、ではなく「あなたは」でも、いっそ「愛する人」でもよかっただろうに、そこにはわざわざ「彼はわたしの愛した人」と記されているのだという。明らかに、その文字を見つめ続けることになる死者に向けたことばではない。
「だからきっと、怒ってないよ」
「そうかなあ」
「もし怒っていたとしても、死者は何もできないの。喋ることも、動くこともできない。だからわたしたちは彼らが遺したものを読み解くんだよ。もし死者が動いて喋れるなら、彼らに聞いたほうがずっと早いでしょ」
「確かに……」
 ふたりして木棺の蓋を戻すとき、少女は最後にもう一度、遺骸の胸の『星』に指さきを触れさせ、物言わぬ骸骨に微笑みかけた。
「久しぶりに本物の星空が見えて、綺麗だったでしょう? それで許してくださいね」
 棺に蓋をはめ、石棺の蓋もその重さにひいひい言いながらなんとか元に戻す。最初に蓋を外したときのほうが軽かったと感じるのは、棺を発見した興奮が身体を突き動かしていたからなのだろう。どんなに疲れてもさすがに棺にもたれかかる気にはなれず、膝に手を突いて深く息を吐いた。
 ランプの灯りを頼りに来た道を引き返して遺跡の外に出ると、満天の星空が辺りを囲む木々の枝先へ迫るように広がっていた。遺跡を見つけた喜びのまま奥深くまで入り、しばらく過ごしていたせいで、すっかり夜が更けかかっている。日中の熱は木々のあいだを吹いてきた風に流されて、静かな夜空と、すこしの水気をふくむひんやりした空気に包まれる。
 ここは、死者とこの世とのあわい。誰の訪れもなく、時の流れのなかで永く眠りについていた場所が、今夜はイアルと少女によって目覚めかけているようだった。
 これが終わりではなく始まりで、明日からまた詳しい調査に入る。急な天候の変化に備えて、外ではなく遺跡の入り口付近に寝床を作り、昼間のうちに集めておいた小枝にランプから火を移す。イアルがそうしているあいだに、遺跡の入り口で置きっぱなしにしておいた旅路用の大きな荷物から携帯食を引っ張り出していた少女が、リュックサックを覗いて「あ」と声を上げた。
「どうした?」
「食糧がもうあんまりないみたい。どうしよう、本格的に調査に入る前に、街に下りるべきかも」
「具体的に何日分?」
「んー、五日くらい」
 ここから人里は遠い。高低差もある。悪路や悪天候に見舞われれば、五日は余裕のある日程とはいえない。
「それは下りなきゃどうしようもないな」
「だよねぇ。ここ探すのに夢中になって、食糧のことあんまり考えてなかったからなあ」
 少女は瓶詰めのピクルスに干し肉、乾パンをイアルに渡し、方位磁石と地図、それに星図を手にしてふらりと遺跡を出て行った。入り口から数歩のところで首が痛くなりそうなほど上を向いている少女の後ろ姿を、イアルはたき火に小枝を放り込みながら見守る。少女の小さな頭越しに、イアルにも無数の星空が見える。相変わらず流星はやまず、天にうかぶ星のいくつかは不意に空を滑って落ちてくる。
「……昔の人は、なんで流れ星が願い事を叶えてくれるって思ったんだろう」
「なんとなくそんな気がしたんじゃない?」
 しばらくぼんやり空を眺めたあと、ひとりごとのつもりで呟いたら、ちょうど戻ってきた少女があっさりと夢見がちな女の子が嘆きそうな答えを口にした。かと思えば、続けた言葉がロマンチックだったりする。
「綺麗なもの、手の届かないもの、輝くものに、神秘的なちからがあるように思う、願ってみたくなる、その気持ちはわかるもの」
 少女は彼女のくせで、胸もとの『星』に指さきを触れさせながら、夢見るようにまぶたを伏せる。イアルはその『星』から目を逸らした。気持ちはわかると言いながら願うことをしない、少女が何を思ってそう言うのか、わかりすぎるほどわかった。
 三年前、燃えたあの場所は、実はここから遠くない。この王墓もあの日の昼間に発見された遺跡群のひとつで、イアルと少女はふたりきりになってしまってからも、ゆっくりと時間をかけて遺跡のひとつひとつを調べているのだ。そんな彼女が、一族を思わないはずがなかった。
 ひとりにひとつずつの『星』。その習慣は数百年も昔の遺骸の胸にあり、少女の胸にもある。細い糸か、一滴の血にか、留められてきた、星に祈り、星とともに生きる民の存在。彼女たちは星のちからをよく知っていたはずだ。それがどういうものなのかも。だから少女は、星を大切に思いはすれど、願いはしないのかもしれない。
 けれど、もし星の力がほんものならば――ほんものの力を持つ星があるなら。そう考えてしまうのもまた、人の業。
「街はどっちだった?」
「この山を越えた向こう。でもそんなに険しい山じゃないよ。ここがもうその山の中腹だし、いつもの街と反対側になるんだけど、ここからならそっちのほうが近いかな」
「そうか」
 山の向こうの街と聞いて、イアルは静かに頷いた。少女は知らないだろうけれども、そこはイアルにとって、始まりの場所だった。数百年前にこの地で栄えた国の末裔、血の名残り、それがひそかに存在し続けていて、彼らはふしぎなちからを持つという。嘘か真かわからないような噂のひとすじを手繰り、けれどいまにして思えばどこか導かれるようにたどり着いた山すその街。
 そこからあてもなく木々の深い山に分け入り、目標もなくさまようなどと正気の沙汰ではなかったが、そのときのイアルが半ば自棄だったのも、幸いした。
 捨て鉢な気分で下草を踏み、小枝を蹴飛ばし、飽きて歩くだけになると辛かった。ときどき葉擦れの音や遠くで生き物が鳴いている声は聞こえてくるものの、他には何の気配もない。どうしてこんなことをしているんだろう、と自問ばかりが募るのに、戻る道はもはやわからない。うっすら、頭の奥で、自分はここで死ぬんだろうな、と思った。そのためにここまで導かれて来たような気がした。そのときだった。
「なにをしているの?」
 あなた、何をしてるの?
 あのときと全く同じ声。同じ調子のことば。はっとして顔を上げると、星をちりばめた夜空を背景に、少女が軽く腰をかがめ、肩口からさらりとこぼれた髪のひとふさで頬のやわらかな輪郭を隠して、イアルと目を合わせようとしていた。いまよりひとまわり小さかった彼女が、森で行き倒れかけたイアルを無邪気に覗き込んできた姿と重なる。その瞳だけが、かつての無邪気さを隠し、透明さゆえの深淵をうかがわせた。
 イアルは懐かしさと痛ましさを込めて微笑み、少女の細い肩と、その背を覆うような星空を見上げる。
「考えごと?」
「うんまあ、ちょっとね」
「ふうん?」
 少女は外套の内側に手を差し込み、胸もとの『星』をいじった。その仕草を見て、イアルはわずかに目を細める。
 捨て鉢になってまで森へ分け入ったイアルの目的は、望みを叶えるという宝玉を手に入れることだった。手にした者に名誉や富をもたらし、敵を滅ぼす力をもつ宝が、かつて存在したという。それをもっていたのが、数百年前に滅びた王国、その王だというのだ。
 イアルが一族を見つけてから、彼らとともに調査をした遺跡はわずかに五つだが、それだけでも、宝玉がなにを指しているのか見当はつく。
 手に入れてしまえばいい。そう囁いてくる自分の心を、過去を見つめる少女のひたむきな瞳が制した。彼女たちにとってそれはイアルが求めているような人の欲望の結晶ではなく、自分たちまで続く遙かな時の流れの証左で、願いをかけることもない。それは空にうかぶそれと同じように、ただ静かに光を放ちながら、生涯に寄り添う。
 目的のためではなくて、彼らと同じものが欲しいと思った。一族の血をもたない自分には過ぎた望みだと羨望を押し殺し、彼らとともに居られるだけで満ち足りていようと願った。そうしたささやかな望みさえすべてを焼き払われ――ところがそのためにはからずも、イアルは彼だけの『星』を手に入れた。
 透き通った夜空でしずかに煌めく、イアルを優しく照らすひかり。
 気づけば、少女はまた王墓の外に出て、空を眺めていた。彼女のまなざしが恋しくて、イアルは自分を振り向かせようとその名を呼ぶ。
「ステラ」
 肩越しにこちらを向いた透明なまなざしがイアルのがらんどうだった心を満たす。
 このまま、彼女と失踪してしまいたい。


☆  ☆  ☆


 夜明けの光をのんびり眺めてから山を越えて昼過ぎに町へ下りると、訪れる人も多くないのどかな田舎の町が、なにやらざわめきで波立っていた。家々の窓や扉に色とりどりの花飾りがかけられて華やかだが、慶事かと思えば、道をゆく人々の表情はいまいち浮かない。
「王についに世継ぎの王子が生まれたとか」
「王子はすでに二人いただろう」
「あれは妾腹なんだ。正妃の子だといって、王様は相当お喜びのようだよ」
「でもどうするんだい、いまのこんな国に、言っちゃ何だが世継ぎとはねぇ。継ぐ世が残っていればいいが」
「こら、滅多なことは言うんじゃないよ」
 イアルとステラは、道行く人の会話をしばらく聞いてから、互いに顔を見合わせた。ステラには事がいまいちピンとこないようできょとんと首を傾げていたけれど、イアルの心は大いに揺れた。
 王に世継ぎが……。
 終止符を打たれたと思った。同時に、自分のすべきことはすぐに思いつくことができた。おかしいほど頭が冴え渡って、動揺も、これからしようとしていることも、いっさいを表情に出さないようふだん通りを取り繕い、早鐘を打つ心臓を押し隠しながら、イアルはステラに告げた。
「行きたいところがあるんだけれど……きみも一緒に来てくれるかい」
「どこ?」
「遠いところ……」
 はじめ言葉を濁したが、そうする自分があまりにも卑怯に思えて、イアルは言い直した。
「王都」
「遠いのね。ここからだと馬車を使って十五日くらいかな」
 ステラは理由も訊かず、あっさり頷いた。目線はもうイアルを通り越し、近くにあった郵便馬車の発着場に向いている。王都ゆきの乗合馬車はこの山すそをもう少し離れた小都市から出ているものの、まずこの町を出るには郵便馬車を使うしかない。それから小都市ゆきの馬車に乗り換える。数年前、イアルがこの町にたどり着いたときにも、郵便馬車に乗ってきた。
「いいの?」
「なにが?」
 澄んだ瞳にそう問われると答えに詰まる。イアルも、彼女にとってなにがだめだと思って訊いたわけではなく、とっさに口をついて出た問いだった。イアルが言葉に窮していると、ステラはその名のとおり、星のようにやわらかく笑んだ。
「いいよ。イアルが行きたいって言う場所だもの」
 イアルを信頼しているのか、もしくは頓着していないのか、どちらだろうか。ともかく、イアルには彼女の意志をありがたく受け取るしか方法はない。
 いつも古い時代の地図をもとに、人気のない山の中ばかり歩き回っているステラにとって、馬車での移動は珍しいようだった。彼女はイアルの思惑などどこ吹く風、もしくはまったく気づいていないようすで、馬車の旅を楽しんだ。小都市から王都までの街道は途中まで舗装されておらず、馬車もあまり速度を出せない。幌をかけてあるから左右の景色も見えないのに、ステラは馬車の後方に続く、いましがた走ってきた道を、飽きもせず眺めていた。


 国王陛下にお目通り願いたい、と衛兵に詰め寄った、埃っぽい旅装を解きもせず、素性の知れぬ小娘さえ伴ったイアルがすんなり謁見の間に通されたのは、ひとえに時機がよかったからだった。時を同じくして、偶然にも、いな、おそらくはイアルと同じく世継ぎ誕生の一報を聞いた異母兄が帰還し、王に謁見しているところだったのだ。ちょうどよいからふたりまとめて話を聞こうという、剛胆な王らしい許可のしかたである。
 謁見の間には王と王妃、それに、彼女の腕に生まれたばかりの赤ん坊がそれは大事に抱かれていた。イアルは、王が自分たちに見せるために、わざわざ連れてこさせたのだろうと思った。イアルの前には異母兄がたたずんでいる。
 異母兄はあとから入ってきたイアルを、記憶にある通りのどこか小馬鹿にしたような目で一瞥し、それから、イアルの半歩後ろにいたステラに値踏みする視線を向けた。不快に思ったイアルがそれを遮ると、ふん、と鼻を鳴らして興味を失ったように王に向き直る。なぜか彼の前に、鉄を鋳溶かすときにもちいる炎が、強い熱をはらんで待ちかまえていた。
「それで、お前の持ち帰ったものは本物なのだな?」
「もちろんでございます、陛下」
 異母兄の声はうやうやしくも自信に満ちあふれ、イアルの出る幕などなく、自分だけで片がつくと思っているようだった。イアルは後ろにいるステラを気遣いつつも、いまは彼の動向を注視するしかない。獲物をとらえようとするかのごとく時折高く腕を伸ばす炎に、いやな予感がする。
「では見せてみよ」
 異母兄はイアルにも見せつけるように、懐からそれを取り出した。ステラがイアルの背後で息をのんだ、鋭い呼吸音が聞こえた。振り返らなかったが、彼女はきっと左胸にふれているだろう、とイアルは思った。
 果たして、異母兄が手のひらに乗せて差し出したものは、ステラの左胸に留まっている、『星』とそっくり同じものに見えた。色合いと大きさが多少違うだけで、つるりと丸い表面も、ほのかに放たれる輝きも、なによりその石のもつ雰囲気が、同じものだと告げていた。
 異母兄の手にあるものはふたつ。イアルには、おぼろげながら見覚えがあるような気がする。ないほうがよかった。イアルのまったく見知らぬものなら、異母兄がどうやってそれを手に入れていても、イアルにはなんの痛みもない。だがおそらくは、予感の示す通りなのだろう。せめてステラにだけは、それを悟らせてはならない。
 王が身を乗り出す。異母兄は得意げにそれを手に入れるまでどれだけの苦労をしたか語り始めたが、王は「よい」とひとこと遮って、彼の前にある炎を指し示した。
「入れてみよ。噂が本当なら、例のものは炎の中でも決して燃えることはないという。そなたの話よりも、それで真偽がわかるであろう」
 噂なんていい加減なものだとイアルは知っている。その石が、おそらくは本物で、それであっても王の望む力などもたないことも、炎に投じればどうなってしまうかも。そのとき、イアルの袖にかすかに重みが加わった。見れば、ステラの細い指さきが、控えめにそこをつまんでいる。ステラにも結果が見えているのだ。
 王はじっと異母兄の手もとを見つめている。逃げ道はないと知り、それでも石が本物だと信じている異母兄は、胸をそらして石を炎の中に投げ入れた。イアルはステラの指さきをそっと袖から離し、代わりにその手のひらをやさしく握った。彼女の手は、イアルの手にすっぽりと包まれてしまうほど小さい。
 それがいったいどれくらいの時間だったかわからない。誰もが固唾をのんで見守るなか――イアルとステラはただ静かに見つめていた――炎に呑まれてその輝きも、小さな存在すら見えなくなっていた石は、炎が消し止められたとき、跡形もなくなっていた。
「な……」
 異母兄が声を失ってわななく。王は冷たい眼差しで彼を見て言った。
「偽物であったな」
 その一瞬、ステラの手が、びくりと震えたのがイアルには伝わってきた。彼女の思いは痛いほどわかった。あれは偽物なんかじゃない。ほんものだった。ただ、それを王も異母兄も理解しないだけのこと。
「御前、失礼いたします」
 異母兄はみじかに頭を下げ、肩を怒らせながらきびすを返してつかつか謁見の間を出て行った。王は彼の姿を見送るでもなく、すぐさまその視線をイアルに注ぐ。
「して、そなたは」
 イアルは唇をきゅっと引き結び、まっすぐに王を見つめ返した。
「私の見つけたものも、兄と同じものでございます。それが陛下のお眼鏡にかなわぬものであることは、たったいま証明されたでしょう」
「それも、入れてみよ」
 王は目線で、もうひとつ、侍従が引きずってきた鋳造用の炎を指し示した。イアルは炎を見、頭の後ろを冷たい水が流れてゆくような心地を味わいながらふたたび王を見上げる。王は平然と言い放った。
「万が一ということもある。そなたのものが本物であるようなことがあってはならない。そのようなものを、私以外のものが手にしていることなど許さぬ」
 うまい言い訳もない。証明するしかない。だけれど――。
 息をするのも苦しいような気分でイアルが動けずにいると、ふいに、ステラの手がイアルの手のひらから抜け出した。はっとする間もなく、ステラが足音もたてずにするりと炎のそばへ寄っていく。
「待って……!」
 イアルが手を伸ばすより、ステラのほうが早かった。彼女は制止したイアルをちょっと振り返り、微笑みさえみせて、ためらいもなくぽとりと手にしていた彼女の『星』を炎に落とした。直後に追いついたイアルの腕のなかにすっぽり収まって、ステラはイアルを見上げて言葉もなく穏やかに笑う。
「そなたのものも偽物だったわけだ」
「星は、燃えているものですから。そうしていつかは燃え尽きるものです」
 玉座に座る王に向かって、ステラは恐れも怯えもなく、清らかに言い放った。彼女の声は神殿で歌う聖女のそれのごとく響き、誰ひとりとして返す言葉をもてなかった。その隙に、イアルは王の前に膝をついて頭を垂れ、それから王と、その隣の王妃の腕に抱かれている赤子に目を留めて口を開いた。
「陛下。あなたはヴェイガとの戦いのために力を望まれたのでしょう。そうして、いまはさらに、お生まれになったその方のためになお力を求めようとなさっている。しかし……そのような力は存在しません。いまかの国と争うことは、避けるべきであると私は思います」
「戦いを避けておとなしくヴェイガの属国になれと?」
「恐れながら……いまの我が国では、いえ、我が国でなくとも、かの国と真正面から争うことのできる国がどれほどありましょうか。無駄な血を流すよりも、見極めることが必要であると存じます」
「そのためにこの国の存在が消えてもか」
「なにものも、かたちがあれば永遠に消えぬものなどありはしません。でも、たとえ時のなかに消えていっても、そのものが存在した真実は消えないーー人のなかに残ります。いま、過去から血を継いで生きている人が、その最たるあかしであるように」
 いのちが時を紡ぎ、歴史を生み出してゆく。例え公の記録から消し去られようとも、その歴史を探し出し、留めようとする人たちもいる。多くの人の血が流され、地に嘆きと憎しみが満ちるよりは、そのわずかなひかりを頼りに歴史を託すほうがよいではないか。
 イアルの懇願を、王は黙って聞いていた。けれど、イアルが口を閉ざしたときに、王は短く聞いた。
「そなたは、国にとってもっとも重要なものは何だと思う」
「民、ではありませんか」
 イアルはやや自信なく答えた。その弱さを、王が見落とすはずはなかった。そもそも、彼の問いの意味が違っていたのだと、イアルはこのあとに気づくことになる。
「それは人にとっての国だろう。そうではない。国にとってもっとも重要なものは、未来だ。未来があるから国民も安心して暮らせる。未来があるから国は繁栄を夢見ることができる。歴史など、いまこの瞬間には何の意味ももたない。それは後からついてくるものだからだ」
「しかしながら、国を守るために国民を犠牲にしては、本末転倒ではありませんか」
「それはそなたが王ではないから言えること。よいかイアル、王とは、そして王族とは、国を守らねばならんのだよ。自分の上にのしかかる、この国というものをな、守り抜く決意なくして、王であることはできん。おまえはそれを学ばねばならんな」
 いまのイアルに、反論できることばはなにひとつなかった。いずれ滅びるだろうこの国のゆくさきを、王はイアルよりもずっと深く承知していたのだ。けれどもそれより、初めて、イアルはこのひとに父親を感じた。王であり、それは同時に自分の父なのである、と。
 謁見の間を出て久しぶりの自室にステラを連れて入り、扉を閉めてから、イアルは全身の力が抜けるような心地を味わった。ステラへの気遣いが、かろうじてへたりこみそうなイアルを踏みとどまらせた。謁見の間で起こったことを考えると、とてもではないが彼女を後回しにすることなどできない。
「……ごめん、ステラ。きみのたいせつなものを、僕のせいで」
「いいよ」
 ステラは、イアルがよけい不安になるほどあっさりうなずいて、その表情には動揺のかけらも見あたらなかった。彼女は女官が運んできた紅茶と茶菓子をもの珍しそうにつつき、むしろ晴れ晴れとした顔をしている。
「イアルのお父さん、かっこよかったね。国とは未来だ、って。わたしねぇ、なんだか肩が軽くなった気がしたんだよ」
「え?」
「ひとは、未来がないと生きてゆけない。なのにわたしは、過去にばかり縋っているみたいだった。たぶん、苦しかった。自分ではそんなこと気づいていなかったけれど。でもいま、わたしを引きずる重いものに繋がる糸が、ぷつんって切れた気分」
 イアルは、謁見の間で父に言い負かされたときよりよほど悔しい気持ちになった。いまからでもリベンジを申し入れたいほどだ。でもいまの自分では、とうていかなわないこともわかっている。そんなイアルの内情などつゆほど知らぬふうに、ステラは久しぶりに見る無邪気なまなざしを、まっすぐイアルに向けてきた。
「……うれしかった。イアルが、わたしを連れてきてくれて。それがいちばんうれしかったの。あなたは、いつかひとりでいなくなると思っていたから」
 そのときのステラの瞳を、あの意味不明な文字ででもなんでも、壁に刻みつけて消えないなら刻んでおきたい、とイアルは思った。もちろん、そんなことは不可能なので、せめて心のなかに深く刻み込む。感極まったイアルが思わず彼女に手を伸ばしそうになったところで、「それにね」と、ふいにおとなびた、ふれがたい雰囲気をまとって、ステラがもういまはない『星』にふれるように、右手で彼女の心臓のあたりをおさえる。
「スピカとリゲルが生きてる」
「えっ」
「あの人、イアルのお兄さんの持っていた星、あのふたりのものだよ。わたし、いまでも覚えているもの。星が燃えてもわたしたちは生きているってさっき証明されたけれど、あの星は、そういうことがないかぎり、持ち主が生きているあいだは輝き続けるの。だから……」
 ステラは弟妹を探すように、ガラスのはまった大きな窓の、外に広がる青空へ目をやった。彼女が、それ以上深いところへ踏み込まないように、イアルは間を空けず言った。
「探すよ。僕がふたりを探すから」
 振り返ったステラは、晴れた青空を映したような瞳で、イアルを見つめて微笑んだ。その左胸のあたりをさまよう、ゆきばをなくしてしまった指さきを、イアルはそっと自分の指と手のひらで包む。
「これからきみは、どうするの」
 臆病な心が、イアルにそんなことを言わせた。答えを聞くのが怖い――聞きたくないのにもかかわらず。
「わからない。あの遺跡、調べたいと思うけれど、ちょっと迷っているんだ。べつのことをしてもいいかなあって。なにをしたいとか、ないんだけど。だからすこし考えようと思って」
 よかった、と口に出すことはしないで、イアルは彼女に気づかれないように胸を撫で下ろした。つぎの言葉を、何気なく口にするには、けっこうな勇気がいった。
「じゃあ、しばらくここにいるといいよ。スピカとリゲルも、これから探すわけだし」
 ここにいてよ。内心は、ステラにも聞こえていたと思う。けれどやさしい彼女はそんなことを指摘したりせず、ただちょっとあざとく、にこりと笑った。
 イアルが三年ぶりに見た、彼女の輝くような笑顔だった。