ウォンマガ夏フェス2016

お題:簪 | 絵:真北理奈 | 文:捺

Flame dancer


灼け死ぬ私はきっとうつくしい

  私はもうすぐ死に場所に立つ。
 袖幕の向こうから漏れてくる白い、けれどほんのわずかに血色を帯びた光に、目をすがめた。眼球に装着している遮光レンズのおかげで視力に影響はないものの、生身の人間には強すぎる光。この光の直下に立つと、肌は象牙のようにつやめき、髪は濡れたようにかおり、瞳は金剛石のようにきらめく。そして血液が沸き立ち、脂は燃えあがるのだ。
 この曲が終わったら私は光のなかに飛びこんで、石造りの舞台で踊り狂るわなければならない。太陽よりもはるかに鮮烈な輝きを放つ照明の下、皮膚を肉を焦がされる痛みに耐えながら、跳ねて弾んで生を勝ち取るのだ。一瞬でも身体の動きが止まったら、肉体は灼け、鼓動も止まる。それが私たち“火蛾”と呼ばれる踊り子の芸であり生だった。
 私は髪に挿したかんざしに触れる。昨日、このかんざしを着けていた“火蛾”が死んでしまったから、私は今日から舞台に上がることになった。
 かんざしの先端にぶらさがっているのは、血と火を混ぜたような紅色の玉飾り。いったい何人の“火蛾”たちの血を吸い、最期の炎にさらされてきたのだろうか。いつか私も、このかんざしだけを遺して逝くのかもしれない。
 私は膝を折り曲げ、しなやかに動くか確認する。はじめての公演で灼け死んでしまわないよう、練習のときよりもさらに激しく動きまわらなければ。私は技術が身につくまで生き残る必要がある。
 だれよりもうつくしく舞えるようになってから、大きな火焔に包まれてきらびやかに果てたい。幼いころに見た、あの“火蛾”のように。いまもまなうらに灼きついている彼女の炎が、私を火中へ誘うのだ。

◇◇◇

 わたしは踊っていた。熱く熱した鉄板に落とされた水滴のように、猛然と。しかし、手足の動きには幾何学模様を編み出すような秩序がある。
 心臓を直接叩いているかのような荒々しい音楽。その裏側から、潮騒に似た歓声が聞こえてきた。
 全身をなぶる空気の振動に操られ、光と影を何度も何度も往復する。光の下に出たときは痛みと緊張を、影の内に入ったときは安堵と疲労を感じながら。激しすぎる緩急に、足がもつれそうになった。ほんの数週間前まで、わたしの足さばきは羽のように軽かったのに。
 上半身をねじりながら、光の向こう側をにらみつける。めくるめく舞に乱れる観衆たちに、視線でしがみついた。そうでもしないと、足腰がくだけ、奈落へと落ちてしまいそうだ。
 二十五を過ぎ、わずかだけれど確実に衰えはじめた身体は、“火蛾”として生きるには限界が近いようだ。かといって舞台から身を引き、ただの女になるつもりはまったくなかった。心臓が灰になるまで踊り続ける。それがわたしの唯一の望みだった。
 わたしはわたしの夢をかなえるために跳ぶ。転がる。
 つま先立ちをして、身を反らせ、腕を天に伸ばした。すぐに身を丸める。卵から孵るように四肢を広げ、照明の真下にまろび出た。次の瞬間には床を蹴り、影へと戻る。三拍子に合わせてステップを踏み、頭を振って真珠のような汗を散らした。かんざしの先についた大きな飾りが揺れて、頭にぶつかった。
 私の脈が上がりきったころ、徐々に高まっていった歓声がついに音楽を塗りつぶした。無数のまなざしがからまってきて、わたしは影で休む間もなく舞台の真ん中へと引きずり出される。
 矢のような光が上から突き刺さってきて、わたしはたまらず跳ねあがった。けれども、もう影へと戻ることはできない。ひとびとは光り輝くわたしをもとめている。その期待を、裏切れるはずがなかった。
 みんながわたしを見ている。讃えている。崇めている。わたしは自分が光そのものになったような錯覚にとらわれる。いま、舞台の上に立っているわたしは人間ではない。もちろん神でもない。ただ、わたしはだれよりも神に近い場所にいるのだ。踊りながら手を伸ばせば、太陽よりも高く遠い場所に在るものにとどくかもしれない。そんな気がするほど、わたしは高揚していた。
 ありとあらゆる熱狂が、わたしを揺さぶり続ける。ひとりの人間が受け止めることは不可能なほど苛烈な興奮が、胸へ脳へと流れこんできた。
 理性が、感情が破裂する。
 皮膚が溶け、脂肪が爆ぜて――。
 そして、身体に火がついた。
 火はまたたくまにひらひらとした衣服に燃え広がり、わたしはその名の通り“火蛾”となった。
 真の“火蛾”は、いのちを代価に自ら光を放つことをゆるされた至高の踊り子。わたしが望んでやまなかった姿。
 これでやっと、わたしの踊りは完成する。でも、もう、そのよろこびに酔うことはできない。
 わたしを支配するのは、熱さとも痛みともとれない強すぎる刺激。意識が明滅する。
 苦しい。死ぬ。本能が悲鳴をあげていた。なのに、胸の奥にしまいこまれた心は、このうえなく満たされていた。
 生きる痛み、死にゆく痛み。すべてが一体となり、苦痛と幸福感の区別がつかなくなる。
 視界は黄金色、あるいは橙色。それとも紅色だろうか。わたしには色彩さえも認識することができない。いまはひたすらまぶしい。光しか見えない。わたしは絶叫した。まるで、産まれたての赤子が世界のまばゆさにおびえて泣くように。
 気がつくとわたしは踊っていた。腹の底に残ったいのちを、叫びとともに吐き出すように。思考神経過去未来すべてが灼かれゆくなか、首をひねり、身を捩り、手足を振りまわす。焼け落ちる筋肉に刻まれた動きを、本能でなぞる。
 ちゃんと踊れていたかはわからない。でも、きっと、わたしはうつくしかったはずだ。
 最後の息を吐いた瞬間、視界を覆う炎が一瞬だけ割れた。
 観客のひとりと目が合う。子どもだった。頬を染め、惚けたように口を開いている。
 すべてが燃え尽きる気配を感じながら、それでもわたしはほほえんだ。
 あの子はわたしに囚われてしまった。わたしの輝きから一生逃れられなくなってしまった。とどのつまり、恋をしてしまったのだ。幼少のころに燃えゆく“火蛾”を見たわたしが、そうだったように。

◇◇◇

 ――曲が変わった。
 私は我に返り、袖幕から舞台に飛び出した。
 白昼夢を見ていたような気がする。名も知らない“火蛾”の最期の記憶。あるいは、私の未来なのかもしれない。どちらにせよ大差はなかった。
 滅びの光のなかに身を投げた瞬間、肌を引き裂かれるような痛みが走る。それでもひるまずに、照明の下から影のなかへと跳び移った。優美さと力強さを意識しながら、光と影のあいだを縫うように動いた。
 私が大きく跳ねるたびに、歓声があがる。でも、音楽に勝てないささやかな感嘆では、とてもではなけれど満足なんてできない。あの“火蛾”が燃え尽きる直前、最後に翅を広げた瞬間のような暴力的なまでの輝きを放たなければ。
 死にゆく彼女のうつくしさを超えることが、私のすべてだった。私の踊りは固くて青くさい。まだつぼみがほころびはじめたばかりだ。どうせ燃えるなら、花弁が開ききってからのほうが華やかだろう。
 もっと速く、光よりも速く。この世界のなによりもうつくしく、しなやかに。
 かんざしの玉飾りを揺らしながら、灼け死んでいった“火蛾”たちの幻を追いかけた。