ウォンマガ夏フェス2016

お題:イヤリング | 絵:せらひかり | 文:明日浦

あけの鳥


くれないの掌

   複雑な紋様を解読せしめようと一心に木版を見つめていた青年の、皺の寄った鼻頭を紫紺の羽根がかすめていった。彼はおもむろに天井を高く振り仰ぐ。だが黒ずんだ梁の上に姿はとうになく、御堂に響き渡る鳴き声が耳奥を伝ってまなこをじいんと痺れさせた。
 目前を見やればおおきい阿弥陀様はこがね色の風を優しげに纏われている。それを囲むように壁際の薄暗がりから次第にあきらかになるのは、木造に彩色も鮮やかな雲上の菩薩様方であった。背後から板間を這うものは朝日であった。あらたな一日がやってきたのであった。しかし夜を目一杯使ったというのに木版の謎を解くことができなかった無念と、身体の芯まで冷えさせてしまったことへの後悔とで満ち満ちていたので、彼の心もちは晴れそうにもない。
 羽織っていた獣皮の前をかき寄せてくしゃみをひとつ、その時だ。
「誰か」
 本堂の外から細く甲高い声がした。烏がしきりに騒いでいる。
 青年は眉根を寄せつつ、軽やかに身を起こして堂を走る。戸を大きく開け放てば頬がきりりと引き締まり、雪の白が一面に広がった。目を凝らしてみれば向こうの植え込みでくろぐろとした烏が二三羽、何某かの影をつつく。それに合わせて短く悲鳴が上がった。
 駆け寄れば浅葱の着物の女が倒れている。その肢体を踏んではついばむ烏に青年は一瞬怯んだが、指先がかすかに動いたことを確かめて安堵した。
 ぎこちないながらも冷えた足先を烏に向けで薙いでみれば初めは小馬鹿にしたようにまとわりついていたものの、やがて飽きたのか、彼らはカアと罵声を浴びせてどこぞへ飛び去っていった。しかし女は岩のごとく動かない。腰を折り背中を揺すってみる。存外薄い体をしていた。
「おい」体を震わせ、そこで獣皮の羽織を置いてきてしまったことに気づく。「大丈夫か」
 呼びかけに応えるように女は雪に爪を立て、首をもたげて呆然としている。青年の銅色の瞳を見、ゆっくりと空を見、また青年の顔に戻ったところで素早く飛び退いた。雪が散り、深い紫の髪が波打って緑や赤をはらむ。
「こ、ここは、ここは一体……」
「寺院だ。なんだ、知らずに来たのか」
「では、御主は寺の」
「宮大工だ」
「みやだいく」
 青年は口端を吊り上げた。
「全国津々浦々、神社仏閣を流離さすらう大工だ。今はここで仲間と共に逗留している」
 手を差し出して、「鷹之助だ。ひとまず歩こう、ここはあまりにさむい」
 それは無骨な手のひらであった。ためらってはいたものの、やがておずおずと受け入れ女は言った。
「余の名は燕珠えんじゅ。宜しくお頼み申します」



 境内の掃除をしていた小坊主と話したのち、彼は燕珠の手を引いて氷の張った池をぐるりと周り、南大門そばの鐘楼堂へ向かった。日が昇って間もないというのにそこはたいそうな人だかりであった。降ろされた大鐘の汚れを拭う者、太い杉柱の上部に添えられた蓮の飾りを器用に取り外す者、これを受け取り金箔の具合を確かめる者、そして、高く急な山形やまなりの屋根の上で丹塗りの木材を剥がしていく者のうち、特になりのおおきい男が木槌を手にして目立っていた。
「親方ァ! すまない!」
 黒ひげを蓄えたその四角い面は振り返るなり、鬼の形相となって立ち上がった。
「何時だと思ってるんだこのヤロウ! どうせ一晩中起きてたんだろう、あぁ? どんだけ熱心に腕磨いたってなァ遅れてきた不埒者にくれてやる仕事なんざひとつもねえってこの前言っただろうがよォ!」
 怒鳴るたびに白くなる息はさながら地獄の釜の蓋から漏れ出た湯気だ。我を忘れて転がり落ちぬようにと、親方の腕や足を兄弟弟子が必死になって支えている。修繕の様子を見物していた僧侶たちは苦笑いだ。鷹之助は声を張り上げた。
「行き倒れの女人女人が居たんだ。少しでいい、暖を取らしてやることはできないか」
 それを聞いて皆はっとした。参拝に訪れる者はあっても元来この寺は女人を歓迎しない。彼の背後からそろそろと現れた嫋やかな姿に、馬鹿ヤロウと親方は唸る。
「ふん。我が不肖の弟子の申し出、如何されましょうか。白鸞びゃくらん中僧正殿」
 屋根のもと、楽しげに鐘の紋様をなぞっていた高齢の僧侶が顔を上げ、その白く伸びた眉の毛を透かすようにして燕珠と鷹之助を見つめる。まるではじめて事態に気づいたとでも言いたげな素振りであった。対する彼女は顎を引いて、鷹之助の手をそっと払った。硬く前を見据えている。
「付いてきなさい」
 老僧が堂の石段を降りれば人垣は自然に割れていった。黄土色の袈裟が時おり光ってしゃりしゃりと音を立ててみせる。腰は曲がっていたものの、その足取りは確かなものであった。
 二人は誘われるままに歩いた。おつとめに向かう僧侶と次々にすれ違うなか、次第に落ち着きを取り戻したのか燕珠はこうべを巡らせてこの場所に興味を示しているようだった。中島に本堂を持つ池には周囲に回廊が張り巡らされ、その外に広がる庭園からは松の木を縫うようにいくつもの御堂が現れた。丹塗りを際立たせるように金と碧がところどころに配色されている。彼女は嘆息した。
「見事」
「なんでも凄い権力を持った御公家が救いを求めて建立したんだそうだ。何百年も前に。今じゃあ到底考えられないがな」
 白鸞は側を通った小坊主に何事か二三告げて、また歩き出す。
「最早武士による争いは誰にも止められはしない。憂き世よ」
 そうして回廊から本堂脇の法堂へ通された。修繕個所のほかへは無闇やたらに上がることがないため、装飾の数々に鷹之助は目を奪われる。天井や壁の上の方には幼子が説法を受けても道理が分かるように阿弥陀様の行いが順を追って描かれていたし、金色の鳥や琵琶を弾く童子などであちらこちらが賑わっている。
 良質な畳に敷かれているのは冷えを防ぐための柔らかな赤布で、ここにも金糸の唐草文様が施されていた。その真ん中では先ほどの小坊主が火鉢の具合を見ている。
「白鸞様、お茶もただ今持って参ります」
「有難う」
 縁側の障子を通してうすく青みがかったひかりが堂内を満たしている。灰に燃えるわずかな赤に、鷹之助は自身が思うよりずっと冷えていたことを実感する。手を翳せば背中を駆け上がるものがあった。燕珠も同じように縮こまって火鉢の側を離れない。横顔をぼうっと見つめながら彼は問うた。
此方こなたは何故あんな場所に居た」
「夢中で探し物をしていたら、いつの間にか力尽きてしまって」
「一人でか」
 頷くのを見て鷹之助は渋い面をする。
「戦が其処此処で起きているのに無謀なことをするなあ。せめてこれからは共の者をつけるべきだろう、いまや都も物騒になったと聞いているぞ」
 答えず彼女は視線をななめに落とすばかりだった。四肢に血が通い出したのを実感した鷹之助は、手指を握っては開き、確かめるように言った。
「ここは都の端だ。近いとはいえないが、良ければ共の者を探しに行こう」
「おや、親方殿のことを忘れてはなりませんよ」
 しわがれた笑い方はよく春の夜に現れるかの鳥の鳴き声にも似ていた。鷹之助は決まり悪そうに口をつぐむ。白鸞は口元の笑みをいっそう深めた。
「しかし女人を放っておくわけにもいくまい。私から親方殿に進言しておこう」
「ありがたきお言葉」
 隣で深々と頭を下げる鷹之助に、彼女の眼差しは訝しんでいた。



「御主は何ゆえ余を構うのですか」
 茶を馳走になったのち、ひとり本堂の隅で寝転がっていた鷹之助のもとへ燕珠がやってきた。覗き込んできた顔色は随分と良い。彼は鼻で息をついた。
「もう少し離れてくれるか、誰か来たら二人して追い出されることになるぞ」
 指先で眉間のあたりを軽く押し返す。彼女は憮然としていたものの、しぶしぶ距離をとって正座した。肩肘をついて彼は寝たままに向き合う。読み込んでいた木版をそっと床に置いた。
「困っていたら助けるのが筋ってもんだろう」
「得体が知れないというのにですか」
「なら教えてくれるのか。どこのだれで、何をしようとしているのか」
 押し黙ったのを見て彼は続ける。「教えてくれたらやってやる、ってのは助けるうちに入るとは思わない。それはおれの信条じゃあない」
 線香が匂い立ち、どこからか読経が聞こえてくる。合いの手で熊のような唸り声がした。あれはきっと親方だろう。
「宮大工には流れ者から成った奴も多い。他の宮大工衆から流れて来た奴だっている。だがおれの仲間の腕はとんでもなくいい、なんたってあの親方の下で認められているんだからな。大切なのは今だ。おれが見て知って考えることのできる今なんだ」
「だから何も聞かないと」
「烏につつかれているような間抜けが何かを企んでるとは思えないからな」
 けらけら笑う。彼女の頬に朱が差した。慌てふためきながら、あれは、などと首を振るのを見ていた鷹之助が、突然真剣になって傍ににじり寄ってきた。片膝を立てて、銅の色の目を細めながら燕珠の細い首筋に暖かな手のひらを添えた。
 間髪あけず乾いた音が響き渡った。
「無礼者!」
「いや、その耳飾り」叩かれた頬をさすりながらもやはり真摯な面持ちで彼は木版を手に取ってきた。「そっくりだ」
 見比べて唸る。燕珠は触れられた方とは反対の耳元を気にしはじめた。
「そっちは無いのか。これが、探し物か」
「はい」彼女は神妙に、「でも、どこでそれを」
「この寺の宝物庫で見つけたんだ。大昔の公家の時代のものだったと伝え聞いている。作り方も飾り方も分からず仕舞いだったが、ひょっとしたらこれで……」
 そのときだ。
 早打ちの銅鑼が腹底を震わせた。
 飛び起きて堂の戸を開け放つ。にわかに辺りは騒がしくなり、鷹之助は線香とは違った臭いを風のなかに感じ取った。いきものの燃えるにおいだった。
 不安げな様子の燕珠であったが、ひとまず本堂へ残るように告げ、彼は銅鑼の鳴る方へと飛ぶように走った。茶色いぬかるみを物ともせず人波をかき分けてたどり着く。
「なんでこんな時に限ってよォ、鐘を降ろす日と重なっちまうんだ!」
「親方! いったいなにが」
「戦だよ」怒鳴りながらも銅鑼を鳴らす手は止めない。「武士が森に火を放ったんだ」
「それならおれが逃げ道を探しに」
「もし見つかって斬られたらどうすんだこの馬鹿弟子! 巻き込まれて死ぬヤロウが多いんだぞ! いいから本堂へ戻れ! あそこなら水がある」
 鷹之助は共に戻りたい気持ちをぐっとこらえる。唇を噛み、踵を返した。回廊を通って池の中島へ渡る人の姿があった。伝令が行き届いているようだった。彼は戦を知らない。初めての戦で生きる術を知らないうちは従うしかなかった。
 戻った本堂は既に満杯であった。最前列で阿弥陀様においのりする老いた僧の背を見て、彼は戸口に座り込む。顔を覆う。ごおおと鳴る風音が、炎の勢いを知らせてくる。火の回りは存外に早かった。
 次第に堂の中からは嘆きの声が上がり始めた。お祈りする者もあればひたすら涙を流す者、それぞれが混じり合って彼のこころを蝕んでいく。そこで脳裏に浮かぶのは親方の姿であった。しかし泣くまいと誓っていた、というのも、もし泣けば生を諦めてしまうように思えたからだった。
 池を囲む回廊の隅までもが燃えだした。幾ら水の守りがあるとはいえ、回廊から橋に炎が移ればこちら側にも被害が及ぶのは目に見えていた。意を決して立ち上がる。
「なりません」
 振り返れば彼女が本堂の戸を閉め、段を降りてくるところだった。
「橋を落とす。そうすればこの場所だけは守られる」
「なりません、その間に火の粉が飛んできてしまいます」
「どうして分かる」
 見上げてくる燕珠の漆黒の瞳はかげろうのように揺らめいており、赤、緑、橙、紫、青にこがねと色を変えていく。彼は息を飲んだ。
「御免なさい」
「どうして謝る」
「白鸞殿には大概お見通しかもしれませんが、これはどうかふたりだけの秘密にして。口外はしないと約束を」
 熱をはらんだ風が吹き付ける。背筋を汗が流れ出した。目の前の彼女は涼やかに笑んでいたが、そのうちにまなじりから頬へ伝いはじめたものを認め、鷹之助は首筋に手のひらを添えると親指でやさしくそれを拭ってやった。
「叩かないのか」
 手に手を重ねて彼女は微笑んだ。そして肩口を押しのけて、浅葱の着物が肌蹴ることも厭わぬかのようにして一対の紫紺の翼があらわれた。鷹之助は朝方のことを思う。あの羽根は烏のものなどではなかったのだ。
 燕珠は耳飾りを外した。
「これが揃う時、余は羽あるいきものの王となり、帝による平和を告げる鳥になるのです。でも、それはおそらくもっと遠い先のことになるでしょう。帝は乱立し、それを擁する武士達は人々を苦しめる。そんな暗い時代がしばらくは続きましょう」
 そっと身を離して、後ずさっていく。
「燕珠」
「鷹之助、生きて。生きて御主に会いたい」
「えん……」
 手を差し伸べたのと、手のひらの耳飾りを握り潰したのとは同時だった。
 彼女を中心に炎の壁が円となって広がっていく。鷹之助は思わず地に伏せたものの、炎は彼を焼くことはついぞなかった。ただ、波のように幾度となく寄せては繰り返し、襲い来る戦火と打ち消し合いながら広がっていった。燕珠の姿が霞んでいく。
 次に目を覚ましたのは、もう夕暮れも半分を過ぎた頃であった。
 枕元で心配そうに覗き込んできた親方を見て、彼の度肝が抜かれたことは間違いなかった。死んでなお手間をかけられるのかと思ったからである。
 それにつき親方はこう返した。
 火に取り囲まれ、未完の大作である鐘楼堂と共に天命を全うしようかというところで、不思議な炎が救ってくれたのだと。
 鷹之助は片方の拳を握りしめて額の上に置いた。固く目をつむって息を吐く。涙がひとすじ流れ出た。手のひらのなか、届かず終いのものを思って彼は泣いた。



 それから十数年後、まだ戦は終わらぬ時代ではあるが、神社仏閣に参拝又はおつとめする者たちの間で密やかな人気を博する御堂が次々に建立されることとなる。
 丹塗りを基調としながらも配される金や碧、大きく羽を広げた鳥のように反り返った御堂の屋根、それでいて風雅な佇まい等々挙げればキリがないが、なかでも特徴的なのは屋根の四隅に枝垂れる飾りであろう。
 こがねを使って小さな玉と花びら形の飾りをつなぎ合わせ、厳かな雰囲気を損なわぬよう、しかし誰の目にも必ず止まるよう工夫がなされている。
 噂ではこれを千切って耳飾りの御守りとすることもできるそうだが、あのような高い場所まで行く者が果たして宮大工のほかに誰がいるというのか、おおかたは一笑に付されてしまうのが精々と言ったところである。



<了>