ウォンマガ夏フェス2016

お題:ペンダント | 絵:いりこ | 文:綿子

盲目の宝


驟雨の陰翳

   僕が生まれた田舎は、大地主である祖母と、村長をつとめる祖父とを中心に回っていて、一家はかなり裕福だった。
 五百坪の土地に、昔ながらの日本家屋と蔵が一つ、それが僕の家だ。車で十分もせず到着する山林は、見渡す限りほとんどが祖母の所有地で、これでも一部をゴルフ場に売った残りらしい。
 田んぼや畑は数知れず。ただし全部、人に貸して、小作料をもらっていた。
 祖父は真面目な人できちんと定時に役場へおもむき、祖母は自宅で財務諸表とにらめっこ。経済学部卒業、税理士あがりの父は祖母の手伝い。母は婦人会のお世話と老人会の補助(最近は地区の集まりにもパソコンが使える人間が必須だとか)、それから子ども会役員と主婦業。
 一人っ子の僕は遊び相手を求めて家の外を駆けずり回った。
 そしてあの日──君と出合った。


 梅雨の終わり。一週間以上の長雨が続いて、ずいぶん気がめいっていた。
 学校から帰って来た僕は、誰もいない居間で荒っぽく宿題を終わらせて外に出た。
 家の中でできる遊びにはとっくに飽きた。
 友達の家に遊びに行こうにも、見渡す限りの畑や田んぼや山にさえぎられて隣家がおそろしく遠い。だから家の外に出たのは、本当に気晴らしだったのだ。
 てきとうに近所をぶらついていると、道端に一人の女の子がしゃがみこんでいるのを見つけた。
 花の模様をちらした赤い傘と長靴。熱心に、道の脇の紫陽花あじさいを観察している。
「なにしてるの?」
 女の子の反応は、なんというか、鈍かった。ゆっくりこっちを見て、じいーっと見て、それからやっと「こんにちは」と言った。
 挨拶をした拍子に、首飾りがちゃらんと音を立てる。鎖が連なった先に星のかけらを詰め込んだ小瓶。
 でも僕の意識はちがうところにあった。僕はなにをやっているのかを聞いたのであって、挨拶をしたわけじゃない。意図を無視されて、ちょっとだけ、むっとした。
「なにをしてるのかって聞いたんだけど!!
 女の子はびくっと体をこわばらせた。そんなに強く言ったつもりはないのに、泣き出して、僕を困らせた。
 泣くなんてひきょうだ。
 かあっと怒りがこみ上げてくる。同時に、どうしたらいいのか焦っていた。
 自慢じゃないけど、僕は女の子を泣かせたことがない。女の子どころか、友達とだってケンカらしいケンカもしたことがない。それは僕は祖父母の孫で、父母の息子だからで、僕がそれ・・を正しく理解し応用してきたからだ。こんなことなら一度くらいは誰かを泣かせておくべきだったか。いやいやそんな問題を起こしてどうするんだ。先生とか親とか、うちの場合はついでに祖父母まで出てくるし、面倒くさいに決まっている。
 ……などと考えているうちに、女の子は走り去ってしまった。
「……なんだよ」
 種火のような不満だけが残って、僕は道端の小石をえいっと蹴り上げた。


 それから二日たっても雨はやまなかった。下校時には、ざあざあと降っていたが宿題が終わるころにはしとしと雨に変わっていた。
 気が向いて、二日前と同じように外に出た。どんな勘が働いたのか、例のあの場所に君がいた。
「あ……」
 たじろぐ僕とは対照的に、君はやっぱりゆっくりだった。じーっとこちらを見つめる目がすがめられていることに気付いたのは、この時だ。
 目が悪いのかな。
「こんにちは」
 あの時と同じ言葉。首の飾りがまた、しゃらんと鳴る。でも今度は泣かせた負い目もあって怒ったりしなかった。……そもそも今日の僕は「なにをしている」なんて質問していないわけだし。
「……こんにちは」
 緊張のせいだろうか、声が少しうわずった。どうして緊張なんてしているんだろう、不思議に思ったけど答えなんて分かるはずもない。
「このまえは、ごめんね?」
「え?」
「いきなり逃げちゃったから、びっくりしたかなって」
 ずっと泣かせてしまったことについて悩んでいた僕には、その「ごめん」は新鮮だった。「悲しい」と「驚く」では、絶対に「悲しい」のほうがひどいことだ。君のほうが僕よりも、もっとずっと嫌な気持ちになったはずなんだ。
 なのに君は「ごめん」と言った。僕に対して怒る権利を持っているのに、手放してしまった。
 たとえようもない気持ちがこみ上げてくる。
 子どもだったそのときの僕は知らなかったけど、そのときに感じていた気持ちは「敗北感」だった。
 僕には逆立ちしたって出来ないことを、あっさりとやってのけた君に、僕は負けた。


 仲良くなるのに大した時間はかからなかった。君はなんでも許してしまう強さを持っていることと、目が悪いこと意外は普通の女の子だった。いや、女の子なのに、虫が好きなのは意外だったけど。それから、洋服のままで川に飛び込んだりするほど豪快だった。木登りは僕よりも上手かった。いつも身につけている首飾りを引っかけて、君はまた泣いて、僕に助けを求めた。
 梅雨が終わって、夏になった。君がつかまえたカブトムシを、家の庭に咲いていたヒマワリと交換した。草がぼうぼうと伸びた空き地でかくれんぼをして、僕が見つからなくて泣きそうになった君は可愛かった。
 先生が明日から夏休みだと言った日、僕はそれまでの「ちょうさのけつろん」を出した。
 学校に、君はいない。
 どの学年にも君はいなかった。
 小学生のシュウガクは義務だよね?
 君は誰?
 いつも近所で遊んでいるけど、近所の子じゃないのかな。
 なにかの事情で、ちょっとここにいるだけなのかな。

 この日、学校から帰ると、いつもは固く閉じられている蔵の扉が開いていた。中は真っ暗だ。しばらくすると目が慣れて、雑多に置かれている物が見えた。古そうな箪笥や、よく分からない古い箱。梁にはお札が貼り付けられていて、なんだか不気味だ。
 古い匂いがするけど、ひんやりとした空気が心地いい。
 好奇心が勝って、おっかなびっくり、中に入った。
 半ばまで進むと、天井間際の明かりとりから夏の強い日差しが差し込んでいて、いくぶんか中を見渡せた。
 その、奥に。
 それがあった。十二畳ほどの畳の間と、格子状に組まれた木枠。
 牢屋だと直感した。
「なにをしているんだい」
「ひっ……」
 心臓が口から飛び出てきそうなほど驚いた。振り返ると祖母が怖い顔で見ていた。
「ば、ばあちゃん……ごめんなさい、勝手に入って」
 開いていたから、つい……と言い訳すると、祖母はじろりと僕に睨みをきかせ、座敷をじっとりと見て出て行くように言った。
「あれはなに?」
 僕はなにも知らない無邪気な子どものふりをして聞いてみた。答えてもらえるとは思っていなかったけど、しばらく黙ったままだった祖母は、がっちゃん、と蔵に鍵をかけ、逃げるような足取りで立ち去りながら言った。
「先代の狂気の沙汰だよ」


 ある日、炎天下で君は泣きじゃくっていた。君がいつも首に下げていた飾りを失くしてしまったから。首に巻きついていたのは鎖だけで、その先の飾りだけがなかった。
 僕たちは汗だくになって、必死に探した。昼ごはんを食べて戻って来たとき、君はごはんどころかお茶すら飲んでいなかったから、念のため持ってきた水筒を渡して休憩させた。
 夕方にさしかかってくると、さすがに諦めが差してくる。空模様も怪しくなってきた。遠くに見えていた入道雲が迫って、あんなに青かった空が灰色になっていた。
 嫌がる君を無理やり引っ張って歩き出すと、君はまた泣き出して……。
 見つけられなかった自分が、ちょっと情けなくて。
 すすり泣く君と。
 慰めの言葉も知らない僕。
 田舎のあぜ道。
 繋いだ手。
 空いっぱいの蜻蛉とんぼたち。
 夏休みの終わりが近かった。

 繋がっていた手がするりと離れて我に返った。
 君はいつの間にか泣き止んでいて、腫れた目で僕を見た。
「うち、こっちだから」
「あ、うん……」
 バイバイも、またね、もなく、僕たちは別れる。
 自宅へと続く砂利道を、とぼとぼと一人歩いていたけど、とうとう雨が降ってきて、走らなくちゃいけなくなった。
 家に着くころには全身びっしょり濡れていて、夕食の支度を始めようとしていた母に問答無用でお風呂に叩き込まれる。しっかり温まって脱衣所を出ると、カレーのいい匂いがして、支度に加わったらしい祖母と母の話し声が聞こえた。

 ──タカトシさんの娘さんの目、やっぱりだめみたいですよ。どんどん悪くなっているそうです。
 ──ふん、自業自得さね、あたしらの忠告も聞かないで、あんな女に入れあげるから──あげくに子ども残して逃げられたんじゃ世話ないよ。
 ──完全に失明となるとお世話も大変でしょうね。お仕事もあるでしょうし……うちもお手伝いするにしても限界が──
 ──あんな馬鹿息子を手伝う必要なんてないよ。子どもじゃあるまいに、自分のやったことは自分で始末させなきゃあね。

 僕の父が一人子でないことは、うすうす気付いていたけど、その人の名前がタカトシさんと言って、娘がいることは初めて知った。
 僕の叔父さん。叔父さんの娘。
 いつも目をすがめている君。意外と近くに住んでいながら、学校にいない君。
 いろんなピースがかちりとはまる。
 もしこのとき僕がもう少し大人だったら、叔父さんが住んでいるところをきちんと調べたり、娘の名前を聞き出して、僕の想像が本物なのか、ちゃんと確かめようとしたと思う。
 だけどまだ子どもだったから、かちりとピースがはまって出来た想像は本物なんだと思い込んで、確かめるようなことはしなかった。

   「君」は捨てられたんだ。

 実の母親や、父親や、親戚ぼくのかぞくからも──。
 僕の中でなにかが弾け、気が付いたら家を飛び出していた。
 君の家がどこにあるのかは知らないけれど、君が行きそうな場所は知っている。
 夕立でぬかるんだ道路を駆けて、今日さんざん探索したあの場所に着いた。
 家に帰ったはずの君は、やっぱりそこにいた。
 息を切らせたまま、こみ上げてきた愛おしさごと君を抱きしめる。
「…!」
 君はびっくりして押しのけようとしたけど、力では敵わなかった。
 僕は、下げ飾りを失くした鎖をつかんで、
「守るから」
 誓う。
「僕が守ってあげるから──」
 君を捨てた大人たちから。
 君を悲しませるすべてから。
 僕が君を守ってあげるから。

 堅牢な壁で君を囲って──鍵をかけて──誰も君を傷つけないように──。

 ──あの暗闇の底に。