月下煌輝譚

月下煌輝譚-Introduction-

 今宵は満月である。昼のごとく明るい月の光が縁側から奥の部屋まで差し込んでくる。
 邸の一室。衣裳から伸ばした指先が月明かりに白く浮かび上がるのに気づき、娘はほうと息を漏らした。床まで伸びた黒髪は暗がりにあっても艶めき、伏せられた睫毛に潜む瞳はこの上なく澄んで、頬はうす紅に染まっている。
 暗闇にあっても隠しがたい、帝の寵姫とも思しき美しさ。けれども実際には血筋もはっきりとしない娘で、ある時から老夫婦によって大切に育てられている。
 誰が流したものか、この娘の美貌の噂は京まで届いていた。邸の使用人ですらろくに顔を見たことがないというのに、その姿をひと目見てみたい、あわよくば物にしたいと、身分の上下、昼夜の区分なしに男たちが邸を尋ねてくる。手紙や贈り物はひっきりなしに届き、返歌を求めて使いの者が右往左往する。今も女を垣間見んとして、外をうろつく人影があった。
 日々増えていく贈り物の山と求婚の声。娘の興味はそこにはない。
 手元の書物をなぞる。灯りのない部屋ではろくに読めもしないが、その内容はもう覚えてしまっていた。

   * * *

 男は所在なさげに垣の周りをうろついていた。
 この上なく美しいという娘を夢に見て、この邸に通いつめるようになってから早ひと月。歌や異国の物などを何度も贈ってみたものの、娘からの返事は一向になかった。聞けば、これまで反応をもらった者は一人もいないという。娘の薄情さに諦めた男も多かったが、反対に燃え上がる男も少なくなかった。
 男は着物の袖を引き上げた。
 娘は邸の奥の奥に、大切に隠されているのだろう。ここで歌を詠もうが楽器を奏でようが、娘の元までは届かないに違いない。まだ音を上げるつもりはないが、今日のところは帰るべきだろうか。そう考えて踵を返しかけた時──邸の正門が開いた。
 そこから姿を現した使用人が男の名を呼ぶ。これまで一度もなかったことだ。
 燭台の灯りを頼りに案内される。通された部屋には、既に四人の男が控えていた。先客に並ぶようにして座り込んだ男は、招かれたのが自分一人ではないことに落胆した。そうして何の気なしに横を見、ぎょっとする。男の他に来ていたのは皆、男よりも位の高い者達だったのだ。
 落ち着かない気持ちで待っていると、使用人が几帳の前に盆を並べ始めた。男は身を乗り出す。
 用意された盆は五つ。それぞれ上に小物が載っている。

 一つは、耳飾り(イヤリング)。乳白色の硝子の珠は、光を浴びると赤色を浮かび上がらせる。
 一つは、(かんざし)飾り紐(タッセル)とともに、柄の入った鬼灯(ほおずき)が揺れる。
 一つは、襟留め(ブローチ)。小鳥が視線を向ける硝子は、触れる手の温もりによって灰から橙、緑、そして青へと色を変えていく。
 一つは、胸飾り(ペンダント)。しゃらりと音を立てる鎖に繋がれた、小瓶の中では色とりどりの金平糖が光る。
 一つは、髪飾り(カチューシャ)。繊細に編まれた黒い布地に、白色の珠と鬼灯が映える。

 それらは、呼び出された男達があの手この手を駆使して手に入れ、娘へと贈った装飾品だった。なぜこれが持ち出されたのだろうと男達は顔を見合わせる。そこには自身の選んだものへの誇らしさもまた滲んでいた。しかし、互いの装飾品を観察しているとその素晴らしさも分かってくる。自分の物が一番と言い切れない悔しさを覚えているうちに、いつの間にか使用人は下がっていた。
「先日は素敵な贈り物を、有難うございました」
 すべらかな声がした。男達は一斉に顔を上げる。
 部屋を仕切る几帳の奥に、女の影があった。
 影と呼んでいいものか定かでない。布に透けて見えるのはたしかに女の輪郭であったが、同時に、仄かに光を放っているようでもあった。男たちが焦がれてきた娘の姿がそこにあった。
「今回お呼びしましたのは、特に珍しきものを贈ってくださった方々でございます」
 衣擦れの音がする。娘が座り込んだらしい。今まで一度も男たちの声に反応してこなかった娘が、こんなにも近くにいる。それだけで男たちは息を呑んだ。
 その気配を感じ取ってか、娘は神妙な声音で続けた。
「突然ではございますが、皆さま、これらの装飾品から絵と物語をつくって、わたくしに見せてくださいませんか。──絵を嗜まれる方は、これらの装飾品からひとつ以上お選びいただきまして、お好きに絵を描いてくださいませ。そうしてその絵に、別の方がお話をつけるのです。わたくし達に身近なお話でも、異界のお話でも。幸せな結末でも涙を誘う最後でも、何でも構いません」
「……なぜ、そんなことを?」
 男は喉の掠れを感じながら尋ねた。娘の話す一字一句を漏らすまいとじっと黙っていたのだが、つい唇の端から零れ出た疑問だった。
「ただ一人で綺麗なものを愛でるより、あるかどうかも分からないものを要求して殿方を危険に晒すより」
 娘は一度言葉を切って、
「その方が楽しいではありませんか」
 そう重ねてころころと笑う。「楽しい」。男たちの疑問を、娘は一言で片付けてみせた。それ以上を説明する気はないようだ。
 やがて、娘の指示なのだろう、再び姿を見せた使用人によっておもむろに几帳の布が上げられた。扇で口元を隠してはいたが、娘の姿がほとんど露わになる。幾重にも連なる衣裳に包まれて、黒髪の女が微笑んでいた。男達の想像通りの、いや、想像していた以上の姿だった。
「世に伝わる絵巻や物語は、もう読み飽きてしまいました。ですから皆さま、よろしければ」
 娘は五つの装飾品を視界に収め、
「これらが、つくりごとにてより煌めく様を──次の満月の夜に、どうぞお見せくださいませ」
 目線を男達一人一人へ移す。そうして檜扇の奥で、ゆうるりと笑みを深めた。