宿語りのシーガル

【古都想歌】

泣歌

Author:歌峰由子さんTwitterID



 牧場を渡る風が風向きを変える頃、遠く草原の彼方から『泣歌』が聞こえるという。それは魔導を用いて繁栄を極め、一夜にして滅びた都の亡霊が歌う挽歌とも言われていた。
『泣歌が聞こえる夜は、外に出てはいけないよ。亡霊達に攫われてしまうから』
 大人達はそう言って子供達を戒めた。そこは王都から遠く離れた寒村、冬は山脈を越えた空っ風ばかりが吹き荒ぶ乾いた土地だ。なけなしの畑で麦と野菜を作り、日々羊を追っては乳や肉、羊毛を商人に買い叩かれる。
 貧しく苦しい暮らしの気晴らしに、村人達は様々な物語を編んだ。
 例えば、平原の下には今も栄華を極めた都の財宝が、滅びた晩のまま眠っているとか。
 例えば、自分達は都の主の子孫であるとか。
 ひょおう、ひょおぉう。
 その日も風が哭いていた。
 滅びし都を惜しむ哀歌のような響きと共に、その夜、一人の少女が村から消えた。長く真っ直ぐな黒髪が自慢の、美しい少女だった。
『ザーラ! なあ、ザーラはドコだ!?』
『落ち着け。ザーラはあの丘の向こうへ行っちまったんだよ。遠い昔の都にな……。さあテッド。お前も今日で俺達とはお別れだ』
 暴れる少年を村人が馬車へと押込む。
 力の限り少女の名を呼ぶ、少年の高い声。泣歌がそれを遠く掻き消していった。
 
 
1
 見渡す限りの平原。草地とも、荒野とも呼べそうな開けた景色の中に、ぽつりぽつりと風化した巨岩が突き出している。その小山のような巨岩の上に二つの人影があった。
「いた。間違いない」
 遠眼鏡を覗いていた華奢な若者が、隣に立つ男に頷いた。若者から遠眼鏡を受け取り、長身の男がそれを覗き込む。若者は黒い細身のロングコートの裾を、男は草臥れた紺色のマントと小麦色の髪を、吹き荒ぶ風に舞わせていた。若者は己より頭一つ分背の高い、服こそ粗末だが精悍な男へ向き直って言う。
「行ってくる」
 遠眼鏡から目を離し、若者と視線を合わせた美丈夫は少し眉根を寄せた。
「あんまり無茶しちゃダメよ、リズ。貴方に何かあったら、アタシ泣いちゃうんだから」
 低い美声にそぐわぬ、抑揚の効いた高いオネエ声がそう返してくねっ、と長身を捩る。リズと呼ばれた若者はああ、と頷いた。
「大丈夫。ディーガンを泣かせたりはしない」
 淡々と返して、リズは岩を蹴った。身軽に岩を駆け降りれば、肩口で無造作に切られた黒髪が好き勝手に踊る。そのつややかな黒髪を手櫛で適当に整え、リズは愛馬に跨った。
「懸賞金、五百万ディル。追われる理由に興味はないが、その金は我らのものだ」
 涼やかな声が風にさらわれる。それと重なり遠く響くのは、滅びし都の哭く声だった。


 茶色く乾いた草を踏み分け、殺気を漲らせた人影が姿を現す。それも前後左右各方向からだ。ちっ、と舌打ちを漏らして緋色の髪の青年、テオバルトは剣把を握った。恐らく盗賊の類だろう。気配は複数人、武芸からっきしの従者を連れていてはかなり不利だ。
 最悪コイツを餌に逃げるか、とテオは己の従者のはずの、ひょろりとした亜麻色の髪の青年を見遣った。彼の侍従、という名目で体よく家を追い出されたコレのミスにより、彼らは宿を求めて平原を彷徨っていたところだ。
 身軽さ重視の旅装に最低限の荷物を抱えて、テオが目指していたのは王都だ。だが愛馬を盗まれ、乗合馬車を間違え、気付けば逆方向の辺境地帯である。侍従の仕事は足を引っ張ることか、と言いたくなる位この従者――ノークはミスを連発してテオを巻き込んでいた。
 先月成人したばかりのテオバルトは肉親がおらず、随分遠縁の家でこの歳まで育てられた。幼い頃にはもっと別の貧しい村で暮らしていたが、その村がどこなのかテオには分からない。このたび独り立ちということで、世話になった家を出てきたテオは、いつかその幼い頃暮らした村にも行きたいと思っていた。行って、探したい人がいるのだ。
「よォ、ご覧の通り貧乏旅でね。別に襲ったって何も持っちゃいないぜ」
 正面から近付く大男と相対して顎を引く。蒼穹を写したテオの碧眼が、好戦的に光った。
 敵は七人。全員武装している。包囲網を縮める動きは統率が取れており、ただの野盗とは思えぬほどだ。指揮官らしき髭面の大男が一歩前に出る。剣を構えるテオと、その後ろで震えるノークを睥睨して長剣を構えた。
「――死ね」
 男達がテオらを目掛けて突進する。一撃目を躱して逃げた場所に、背後から剣が空を斬る唸りが響いた。咄嗟に振り返ってそれを受ける。何とか流して反撃しようとした時に、哀れっぽい悲鳴が響いた。ノークだ。
「ひゃぁあ! お助けをっ!」
 無様にスッ転んで地べたを這っている。その首に剣が当てられるのを見て、咄嗟にテオは両手を挙げた。流石に見殺しには出来ない。
「仲間想いなこった」
 嘲笑を含んだだみ声と共に、右手の剣をはね飛ばされた。ヒタリと首筋に刃が当たる。
「不本意ながらな」
 これまでか、とテオは瞼を閉じる。――だが、野盗どもに反撃する方法はゼロではない。テオは静かに息を吸った。
 と、そこでテオは、馬の駆ける音が急速に迫ってくるのに気付いた。
「こちらだ」
 涼やかな声が言った。ひらりと黒が舞う。
 葦毛の馬に跨った黒衣の青年が、こちらに腕を伸ばしている。咄嗟にそれを掴んで、テオは尻馬に乗った。テオよりも幾分か細身の、しなやかな四肢が鮮やかに馬を駆る。怜悧な目元が印象的な美青年だ。
 ぐん、と葦毛の馬が速度を上げた。ふとテオの視界の端に、呆然としたノークが映る。
「ちょ、待っ――!」
 制止する暇はない。青年とテオを乗せた葦毛の馬は、あっという間にその場を去った。


2
 予定通り、赤毛の男を拾い上げたリズは馬を走らせる。目指す先は近くの村だ。実はこの男に用はない。
 リズ達はこの草原を縄張りとする盗賊団だ。草原の端を行き交う商隊を狙い、日々の糧を得ていた。だがリズらは、無用な殺生をしないことを旨としていた。それはリズらを率いるディーガンの方針で、捨て子であるリズ以外の団員は、どうやら野盗に身をやつす前から寝食を共にしてきた仲間らしい。
 今回の狙いは珍しく金品ではない。
 五百万ディルの大賞金首がこちらに流れていると、街で情報収集をしている仲間から連絡があった。人相書きにあったのは若い男二人連れで、そのうち亜麻色の髪の方がテオバルトという名の賞金首だという。
 村の傍まで着くと、リズは後ろの男を器用に蹴り落とした。不意打ちだったらしく、鍛えていそう体躯の青年がアッサリと地面に転がる。髪の色こそ見事だが、実用一辺倒の質素な服は、何年着倒しているのかと思う位くたびれ薄汚れていた。
「あだっ!! 何すんだ!」
 そう腰をさする青年を睥睨し、リズは素っ気なく言った。
「お前に用はない」
 そのまま仲間の元へ帰ろうと馬の腹を蹴る。だが青年は慌ててリズに追い縋った。
「待て待て! ノークにゃ一体何の用があるってんだ!? 返答次第じゃ……っと!」
「返答次第ではどうすると?」
 腰の剣を抜いて、リズは相手の首に当てた。破壊力よりも切れ味を重視した細身の剣だ。相手の剣は草原に取り残されたまま、今頃仲間が拾っていることだろう。
 しかしリズが見下ろす先で、眦の上がった大きな碧眼が挑戦的に光る。空の最も高い場所のような、鮮やかな色の眼だ。綺麗だな、と心の端でちらりと思う。こんな色の眼の持ち主を、リズはもう一人知っていた。
「そうだな、テメェにゃ借り物するかもな」
 言いざま青年がリズの剣をひっ掴んだ。強く引かれて体勢を崩す。得物を取られるとまずい、そう意識が剣に向いた。その隙を逃さず、青年が素早く馬の手綱を奪い取る。
「――っ!」
 乱暴に手綱を引かれた馬の尻が跳ねる。バランスを崩したリズの片足が鐙から外れた。身体が宙に浮く。だが持ち前の身軽さで身体を捻り、リズはコートを舞わせて着地した。
 男がリズに飛びついた。リズの手から剣がこぼれて揉み合いになる。体格差にものを言わせて組み伏せようとする相手を、リズは的確に間接を使って殴打する。肘で頬骨を抉れば、相手は負けじと胸ぐらに掴み掛った。だが、何故かふとその手を緩める。 
 一瞬隙が出来た。それを逃さず相手を振り払い、リズは身を沈めた。
 男の鳩尾に、リズの見事な肘鉄が決まった。腹筋の硬い感触が肘の骨に響くが、さすがに相手もこたえたらしい。相手はくずおれ、仰向けに転がった。リズは大の字になった相手を油断なく見下ろす。素早く頑丈なブーツの踵で狙いを定めれば、気付いたらしい男は蒼くなって叫んだ。
「うぁあっ、待て降参だっ!!」
 だが無慈悲なリズの踵は、非情に男の――世の男性全ての急所を踏みつけた。身体を九の字に折った男が、しばし声もなく悶絶する。
 それを一瞥して踵を返したリズの足首を、しかし大きな手ががしりと掴んだ。
「てめっ……何、しやがんだっ……!」
「……頑丈だな」
 ここだけは鍛えられない、もしもの時は容赦なく狙え。そう仲間に教えられていたが。鉄面皮の下で驚くリズを捕えたまま、燃えるような赤い髪の男は身体を引きずり起こす。
「――っか野郎、そういう、問題じゃねェんだよ……! ったく、流石に容赦ねーな……」
 唸るような呟きにリズは少し眉根を寄せた。俯く相手はそれに気付かない。
「俺に、用がねェってのは何かの間違いだろうよ。ノークの所へ俺を連れて行け。……テメェらの用があんのは俺だ」
 苦しげな息の下、しかし断言する声は自信に満ちていた。
「お前らの獲物はこの『テオバルト・グラール』。ペリドルト侯爵の遠縁じゃねーのか」
 低く凄むように笑いながら、リズを離して半身を起こした男が断ずる。眉根を寄せたリズにニヤリと笑って胡座をかき、男は続けた。
「あのヒョロいのは俺の侍従だ。一応な。野郎の首を俺のだなんぞと持って行っちゃ、テメェら一生の赤っ恥だぜ。悪いこたァ言わねぇ、俺をおめーらの根城まで案内しろや」
 リズは見下ろす相手を改めてとっくりと見た。健康的な肌色の精悍な顔立ち、燃えるような緋色のくせ毛。その下で闘志を燃やす双眸は、晴れ渡る空のような鮮やかな青だ。着ているものは粗末だが、立派に鍛えられた体躯と堂々とした雰囲気は、確かに亜麻色の髪の男よりも支配階級の子弟らしい。
 更に男は笑みを深める。とっておきのカードを切るように。
「なァ、お嬢さん?」
 蒼穹の双眸が、きらりと艶を帯びて光る。図星だった。バレないように装っているが、リズは盗賊団の紅一点である。おそらく揉みあった時に気付かれたのだろう。一気に身を硬くしたリズに、しかし男はへろりと脱力して凛々しい眉を下げた。
「気付かねぇで悪いコトしたな。酷い怪我はしてねーか?」
 本気でいたわるような口調に少し戸惑う。
「女を本気で殴る趣味はねェ。アンタみたいな美人ともなりゃ尚更だ」
 そう言って男――テオバルトは降参、と軽く両手を挙げ、どこか眩しげな表情でリズを見上げた。だがリズは油断なく相手を睨む。野盗団の仲間達はリズにも仕事を任せる代わりに、耳にタコができるほど「男という生き物の危険性」を説いていた。曰く、決して気を許すな、指一本触らせるな。何かされそうな時は、手段を選ばず全力で反撃しろ。特に女とバレたら五歩以上近寄らせるな。
 険しい表情のまま二、三歩退いたリズに片眉を上げ、おどけてテオバルトが尋ねた。
「おっと、そういう情けは嫌いか? 剣を腰に、馬を駆る相手に言う台詞じゃなかったか」
 その言葉には不思議と揶揄や嫌味がない。不思議な男だな、とリズは認識を改めながら、日頃思っていることを正直に口にした。
「有り難く感謝させてもらおう。身体能力に差が出るのは事実だからな。ただしそれを恩に着せて、下衆な要求をしない相手に限るが」
 そういう輩は幾らでもいる。それは嫌と言うほど知っていた。低く答えて視線を強めたリズに対し、しかし目を丸くしたテオバルトは今度こそ愉快そうに笑った。
「っはは! ごもっともだ。……さて、ここでアンタの選択肢は二つだ。ひとつ、俺をこのまま殺して首だけ刈って帰る。ふたつ、俺を連れて帰り真偽を確かめてからノークの奴を解放する。ちなみに俺ァ、ノークのアホが解放されるまでは大人しく従ってやるぜ」
 よっこらせ、と立ち上がり、テオバルトが挑発的にリズを見た。互いの視線が交錯し、その場がぴりりと張り詰める。しばしの沈黙の後、渋々リズは頷いた。
「乗れ。貴様のそのみすぼらしさに騙された我々の負けだ」
 その言葉にテオバルトが己の服装を見下ろす。端が擦り切れ薄汚れた渋色のマント。その下に着ているのも頑丈だけが取り柄のような、ごわごわの麻と毛織物だ。飾り気など皆無の上に、一体何に遭遇してきたのか問いたくなるほど薄汚れている。まだしももう一人の、亜麻色の髪の奴がマシな格好をしていた。それで仲間もあちらが賞金首と勘違いしたのだろう。暫くそうして己を見回したテオバルトが、居心地悪げに頭を掻いた。
「あー……そりゃ申し訳ない」
 無言で肩を竦め、リズは再び馬に跨った。


3
 自分こそ五百万の賞金首だと名乗ったテオは、後ろ手に拘束されて馬に揺られていた。
 歳は自分と同じくらいだろうか。テオは改めて女盗賊を観察する。日々草原を駆けているとは思えない、白く透き通るような肌。少し長めの前髪と、毛先の揃わない襟足。艶やかな黒絹の髪の下から覗く眼は切れ長だ。硬そうな革製のロングコートは襟元から手首まできっちり覆い、肌が見えるのは顔と手先だけだった。不機嫌そうに寄せられる柳眉は涼やかで、問い質す時の声も澄んでいた。
 連れて行かれる先は野盗の根城か、あるいは集合場所だろう。街道を逸れて草の海の只中を葦毛の馬は走る。その向こうから聞こえる不気味な風の悲鳴に、テオは居心地悪く身じろぎした。まるで、あの哭き声の元へ連れて行かれるようだ。
『泣歌が聞こえる夜は、外に出てはいけないよ。亡霊達に攫われてしまうから』
 ふと、そんな言葉が脳裏をよぎる。ずっと幼い頃、名も知らぬ村で聞いた戒めだ。
「気味のわりィ音だな……一体なんなんだ」
 ぼそりと呟くと、肩を竦めた背中が言った。
「『泣歌』を……他所の者は知らないか。正体はすぐに分かる」
「泣歌?」
「ああ。かつてこの平原にあった、古代都市の亡者の声だと。そう村人達は呼んでいる」
 そいつはもしかして、と思わず身を乗り出してテオは問うた。
「その泣歌の聞こえる夜に外に出ると、都の亡者に攫われる……とかいうやつか」
 テオの真剣な声音を不思議ったのか、ちらりと後ろに視線を流して女盗賊は首肯する。マジかよ、と吐息のように呟いたテオは、降って湧いた希望に震えながら続けた。
「アンタ、この辺りの出身ならザーラって奴を知らないか。俺と同じ年頃の女だ。ガキの頃に、その『泣歌』の亡者に攫われちまった」
「……知らんな。私は捨て子だ」
 しかし女盗賊はにべもなく切り捨てる。それに落胆の息を吐き、テオは遠く過去に思いを馳せて語り始めた。
「幼馴染だったんだ。ザーラがいなくなって、俺ァすぐにでも探しに行こうとしたが……養父が死んだばっかでさ、次の日にゃ俺も村を出ることになってた。無理矢理馬車に詰め込まれて、滅茶苦茶暴れた覚えがあらァ」
 懐かしさと哀しみを混ぜた声音が、吹き荒ぶ風に流される。子供が少ない村で、よく一緒に転げ回って遊んだ。長い黒髪が自慢の美少女で、テオの碧眼をとても綺麗だと言ってくれた。養父が死んで遠縁の侯爵家に引き取られ、村の場所も分からなくなっていたが、いつかは必ず、探しに行きたいと思っていた相手だ。多分あれが、初恋だった。
「古代都市の亡者の声、というのは丸っきりの嘘じゃない。だが、子供を攫うような亡霊は存在せん。『泣歌』の正体は――アレだ」
 言って細い腕が差す先で、低くなだらかな丘の麓にぽっかりと洞が開いている。そよぐ草の間から覗くその闇の端は、良く見れば石造りの人工物だった。
「何だ、洞窟か?」
「ああ。この地下に眠る古代都市遺跡――その入り口だ。この草原に幾つもあるこんな洞を、風が吹き抜けるとああいう音になる」
 だから、と感情を殺したように平板で涼やかな声は続けた。
「その子供の行く先は推して知るべしだ。今の貴様とさして変わらん」
 遭難か、野盗か、狼か。何にしろ魔術めいた話ではなく、どこにでもあるような不幸な出来事のひとつだ。そう涼やかな声が言った。
 そうか、と吐息のように呟き口を閉じたテオを連れて、女盗賊は洞窟へと向かった。


「テオ様、すみませんっ!!」
 アッサリと主を捨て、命乞いをして走り去るノークの背を、大した悲嘆もなくテオは眺めた。一人でちゃんと村まで行けるだろうかと逆に心配をしていると、密かにその背後を追って、野盗が三人ばかり出て行く。なるほど、無駄な殺生はしないというが、力に屈して義を通さぬ人間は信用しないということか。
「さてと……貴方は随分肝が据わってるのね。それとも何か奥の手があるのかしら?」
 面白いモノを見るように、オネエ美丈夫な首領がこちらを見る。さあな、とテオは笑ってやった。笑い返した相手が一歩前に出る。
「申し訳ないのだけど、アタシ達もこれがたつきなの。悪く思わないで頂戴ね」
 言いながらすらりと腰の剣を抜いた。口調の女々しさとは裏腹の、洗練された動きだ。テオは目を伏せ、静かに息を吸い込んだ。後ろに縛られた両手の指先を触れ合わせる。
 場に緊張が走る。視界の端で、剣が煌めいた。テオは気合を入れ、目を閉じる。テオの首目掛けて剣が振り下ろされる――その時。
「待ってくれ」
 水を打ったような沈黙に、リズの涼やかな声がこだました。


「すまないディーガン。一つだけ聞いてくれ」
 そう言ってリズは、テオバルトとディーガンの間に入った。まあ、どうしたのォ? と怒った風もなくディーガンが小首を傾げる。ちらりとテオバルトに視線を流し、ディーガンを正面から見てリズは言った。
「この男は私の幼馴染だ。……どうやら、私を探してくれていたらしい」
 そうだな、テッド。そう後ろを振り返れば、空色の双眸が驚きに丸くなる。後ろ手に拘束されたまま立ち尽くすテオバルトに向けて、若干柔らかな声でリズは続けた。
「私の名はリザーラだ。昔、村に居た頃はザーラと呼ばれていた。……髪の色が違って気付かなかった。憶えていてくれてありがとう」
 リズの知るテッドは、鮮やかな金髪の少年だった。そういえば、金色の髪は成長すると色が濃くなるという。だが見事な碧眼は昔と変わらないな、と立派な青年に成長し、なお自分を覚えてくれていた幼馴染に微笑みかける。我ながら不器用なその笑みに、テオバルトの薄い唇がわなないた。
「どうするかはディーガンに任せる。だがもし出来るなら、テッドに死んでほしくはない」
 改めてディーガンに向き直り、リズは真っ直ぐそう言った。
 テオバルトの口から『ザーラ』の話が出た時、リズはこれ以上はないくらい驚いた。良くも取り乱さずに済んだ、と普段は厄介な己の鉄面皮に感謝したほどである。どう答えるかも悩んだが、自分を探してくれていたことは純粋に嬉しい。
 周囲の仲間達がざわめく。己の頬に手を当て、あらまあ、とディーガンが眉を下げた。
「なんてコトかしら……そうね、急ぐ話でもないんだし、一晩皆で話し合いましょうか」
 どこまでもリズに甘いディーガンは、そう言って皆に撤収の号令をかけた。
「ああ、でも彼の縄は解いちゃダメよ? リズは五歩以上近づかないこと! 良いわね?」
 キリッと表情を引き締めて釘を刺し、ディーガンは何故か改めてテオバルトを睨んだ。


4
 夜。平原を吹き抜ける風は一気に冷える。
 地下遺跡の中にある根城に帰った盗賊団は、テオバルトを捕虜用の粗末な牢に放り込んだ。唸りを上げて幾重にもこだまする泣歌は、遺跡の中にあっても良く響く。笛の中に住んでいるようなものだ。慣れれば何ともないのだが、きっと今夜、彼は眠れないだろうとリズはここに来た頃の自分を思い出した。
「夕食だ」
 そう言って、湯気の立つ椀を持って牢部屋に入る。鉄格子越しにこちらを見たテオバルトが驚いたように目を丸めた。それが少し可笑しかったのだが、果たして自分が笑ったように見えたかは分からない。
「牢越しなら近付いて良いと言われた」
 男ばかりの中で育ったため、可愛らしい言葉遣いなど知らない。椀を渡しながらの言葉はぶっきらぼうに響いたが、テオバルトは酷く安心したように優しく笑った。その笑顔にどきりとする。礼を言って受け取った夕食を、テオバルトが掻き込み始めた。しゃがみ込んで膝に頬杖をつき、リズはその様子を眺める。
(侯爵家、か……。それに、賞金首)
 一体どんな身の上なのだろう。貴族の縁者とは思えぬいで立ちと懸賞金を見れば、決して良い境遇にないことは分かる。こくり、とひとつ息を呑んで、リズは早々に夕飯を平らげた青年に声をかけた。
「なあ。私達の仲間にならないか」
 もしこの提案に頷くなら、仲間として迎えても構わない。従者を庇ったテオバルトを気に入ったらしく、ディーガン達はそう言ってくれた。だが、赤銅色の頭は緩く振られる。
「悪いが無理だ。他にやりたいことがある」
 そうか、とリズは落胆の息を吐いた。昔から正義感の強かった彼が断わることは、何となくリズも分かっていた。
「なあザーラ。お前が俺と来てくれねぇか?」
 鮮やかな碧眼に逆に問われる。燭台の炎を映すその眼の光は真っ直ぐ強い。大きく筋張った右手が、鉄格子の隙間から伸ばされてもリズは動けなかった。ただそっと目を伏せる。
「ディーガン達は私の家族だ」
 呟くように答えれば、硬い指先がそっとリズの頬を撫ぜた。くすぐったさと温かさにリズは目を細める。
「大切にされてんだな。良かった」
 より近くからそう囁く優しい声に、ひどく胸が詰まる。頬を包んだ大きな手に引き寄せられて、リズは促されるまま鉄格子の間に額を寄せた。同じように頭を寄せたテオバルトのくせ毛が、リズの額をくすぐる。頬を包んでいた右手はリズの耳朶をそっと撫ぜ、項の髪をくしゃりと掻き回した。
「綺麗な黒髪、変わってねーな」
 頬が熱くて、背中がぞわぞわする。何故か不快でないそれが酷く恥ずかしく、リズは顔を上げられないまま、ん、と吐息で答えた。
 俺は、と囁くようにテオバルトが何か言いかけたその時、荒々しく部屋の扉が開いた。


「コラ何やってるの! 油断も隙もないっ!」
 そう怒りながら入ってきたのはディーガンだった。驚いたテオが腕を引っ込めると、慌ててリズが立ち上がる。だが要件は別らしく、ディーガンはテオを厳しく見据えて言った。
「貴方の従者、とんだ曲者ね。貴方もグル? それとも嵌められた方かしら」
 驚いて疑惑を否定し、テオも立ち上がる。ディーガンの背後からは、物騒な物音と荒い怒声が響いてきた。問えば王家直属騎士団の夜襲だという。突飛な単語に呆気に取られていたリザーラに、牢を開けたディーガンはテオと逃げるよう促した。その背は一介の野盗風情ではない。テオの疑問を読み取ったらしく、チラリと笑ってディーガンは名乗った。
「アタシ達は墜ちし天狼。ジリオーズ騎士団よ。貴方は? 現王家に目を付けられてるとしたら、大体予測はつくけど。……リズ、テオと奥の中央祭壇まで行って。テオが『笛』を持つ者なら、この遺跡はテオに味方するわ」
 そのまま素早く指示を飛ばし、ディーガンは牢の奥にある小狭い通路を差した。困惑気味のリズが、それでも意を決したように頷く。再会を誓う別れの言葉を交わし、二人はディーガンに背を向けた。人ひとりがやっと通れる通路を抜けて、広い地下遺跡の回廊に出る。
「俺は……この国の、グライフホルン王家の正統継承者だ。妾だった母親が、政変の混乱を逃れてひっそり産んだらしい」
 ジリオーズは由緒ある、元・王家直属騎士団だ。二十年前起きた王位簒奪劇で、現国王に逆らい国を追われたという。テオの実母は既に亡く、テオは養父と共にリズらの村に身を寄せていた。養父が事故で死んだ後、「偶然」遠縁を名乗るペリドルト侯爵がテオを拾ってくれたが、待っていたのは半ば軟禁の窮屈な暮らしだった。独立した途端に賞金首ということは、色々裏があるのだろう。
 
 
「『笛』とは何だ?」
 手燭を手に、テオを中央祭壇と呼ばれる広場に案内したリズは問うた。その声が広い地下空間にこだまする。精緻な彫刻を施された、大理石の祭壇に飛び乗りテオが答えた。
「王家の血筋が受け継ぐとかいう特殊能力だ」
 こうして、とテオは目を閉じ、静かに息を吸い込んだ。唇を尖らせ、鋭く息を吹く。
 ひゅーるるる、ぴゅーるるるる。
 高らかに口笛が鳴り響いた。それは地下広場全体に反響し、泣歌を従えて大気を震わす。
 息の続く限りと『笛』を吹くテオの足元で、大地が脈打った。リズは小さく悲鳴を上げる。
 テオの立つ祭壇を中心に、彼の碧眼のような鮮やかな青が幾筋も走り、放射状に複雑な幾何学模様を描く。口笛を吹きながらテオが指先を動かすと、それに応えて地響きが歌う。テオは大地を従えていた。青い光に包まれながら、リズはその幻想的な光景に酔う。
 この国の王家は、古の都の末裔なのよ。いつかのディーガンの昔語りを思い出す。だからリズの村には大昔、王家の血縁が暮らしていた。おとぎ話だと思っていたそれは、ディーガンの知る『真実』だったらしい。
 暫くして、楽団指揮者のように揺らめいていたテオの指が止まる。すうっと波が退くように青い光が消えた。ぱちりと開かれた碧眼が、古の奇跡の残滓に光りながらリズを見る。
「俺は王都に、今の国王に用がある。ディーガン達と共に、俺と来ないか」
 差し伸べられる手。高鳴る鼓動と共に、リズはそこに己の手を重ねた。力強く掴まれて、祭壇の上に引き上げられる。
「テッドは、この遺跡の主なのか」
「遺跡のことは知らなかったが、そうなんだろうな。ディーガンは詳しいみてェだし、色々聞いてみてェもんだ」
 テオの言葉に、はっとリズは顔を上げた。
「ディーガン達は無事なのか」
 ああ、とテオが頷く。この遺跡の力を借りて、大地を奏したテオが皆助けたらしい。安堵に緩んだリズの肩を、そっとテオが抱いた。
「お前が村を追い出された理由も、俺が関係してるかもしれねぇ。ごめんな」
 間近で眉根を寄せるテオに、リズは精一杯微笑んだ。気にしてなどいない。
 笑みを返した碧眼がそっと近づく。リズは薄く唇を開いたまま目を伏せた。
 二人の影が重なる、その寸前。足元に置かれていた手燭の灯りは消えた。

読んだ!