宿語りのシーガル

宿語りのシーガル

あなたの声が、物語れきし を作る。

【イントロダクション】

 灰白色の雲が空を覆っている。質量を得た大粒の雪は、地面に叩きつけられるたび、とさりとさりとかすかな音を立てていった。
 秋風が冷気をまとう頃、大陸東部の群島地域は猛吹雪に見舞われる。そうした情けのない雪風を、船人たちはこぞってかもめ流しと呼んでいた。島々を飛び通うかもめが雪を境にはたと姿を消すためだ。
 群島において商いを営む人々などは、かもめ流しの雪に合わせて店の品揃えを一新するのが慣例だった。大陸沿岸を船で回る商人や旅人たちにとってみれば、群島は数少ない中継地点である。厳しい雪風に耐えて航海を続けようというのであれば、現地の商い人の勧めに従い、いち早く冬の支度を始めなければならなくなる。
 このかもめ流し、しかし困ったことに、それと見きわめられるような前触れがない。風の流れ、雲の形、波の様を睨みつける人々を、あざ笑うかのように雪は降る。
 名の知れた航海士であっても容易く読みを外すのであるから、冬の初めに船便が行き詰まりを起こすのも、さほど珍しいことではなかった。なるようにしかならない――強かな気風が群島の人々に根付いたのは、そうした気ままな天候のせいもあるだろう。
 とはいえ群島に居合わせた旅人たちからすれば、かもめ流しは予期せぬ足止めに違いない。どんなに泣こうがわめこうが、船の積荷を取り換えるまでの一晩は便が出ないのだ。港町一番の宿が、この日、並ならぬ活気に満ちているのはそういうわけだった。


 麦酒の杯を両手に歩く、娘たちの足音が小気味よい。
 おねえさん酒だ、はあいただいま。交わされる声が、吊られたランプの灯を絶えず揺らしている。
 飲まなきゃやっていられねえよ。誰かが杯を机に叩きつければ、同席する男たちが揃って首を縦に振る。その日の便が一斉に断ち切られた午後、彼らに許された余興といえば、同じ境遇の旅人たちにくだを巻くことぐらいのものなのだった。
 白塗りの窓に、雪だけが映りこむ。ロビーに詰め込まれたかもめたちの目には陰鬱。先を急ぐ者たちにとり、一晩は暗く、長い。
 安酒の杯を傾けていたのは、カウンター席の隅に腰を下ろしていた男もまた同じことだった。連れはなく、荷も少ない。しかし島の人間だと決めつけるには、男のたたずまいにはもの珍しさがある。
 彼は杯の中身を飲み干してふらりと立ち上がる。続き腰を下ろしたのは、カウンターの一角だった。
 そこに至り幾重もの視線が男に注がれる。肌をゆったりと覆う一枚布の装束は、興味本位の人目を引くには十分だ。彼はロビーの人波を順繰りに眺めると、ゆるりと息を吸い込んだ。
 ――やあ諸君。
 喧騒を貫いて、男の声が響く。
「不運な旅人たちにして、奇しくも同じ一夜を過ごすことになった兄弟たちよ。空も晴れない、気分も晴れない、こんなにも憂鬱な雪の日だ。どうせなら俺の話に付き合ってみる気はないか」
 目を向けた者、耳を傾ける者があった。
 なにしろ男の語り口はといえば、当人が口にした通り、近しい親類に向けるも等しいものだ。よどみのない大陸の共通語は、珍妙な装束にいっそ不似合いでもある。言葉を解した誰もが、少なからず気を引かれたことに違いはなかった。
 続けてみな。
 ひとりが言う。男はゆっくりと首肯した。
「ありがとう、兄弟。……この中に大陸を横断した命知らずはいないかい? なに、俺も話に聞くばかりだがね、ここから西に広がる大陸の山の先、そのまた丘を越えた先には、まったく人の寄りつかない土地があるというんだ。今じゃあだだっ広い平野だけが開けているだけの場所だが、ずっと昔にまでさかのぼれば、そこにも人が住んでいたという。人の気配を示す痕跡とやらが、いくつも見つかっているんだそうだ」
 それで? と口を出した旅人に、男は屈託なく笑いかける。
「だがな、不思議なことに、そこにどんな国があったのか、誰も知らないというんだ。俺のこの耳が伝え聞いたのは、その地にまつわる遺物や噂が十ばかり」
 話が見えたぞ、と別の男の唇が弧を描く。「ご想像のとおりさ」と男は背を反らした。そうして一本、旅人たちの前に指を立てる。
「どうだい兄弟。このあたりでひとつ、考古学者の真似事でも。俺が聞かせる遺物にまつわる“歴史”を、作り上げてみるというのは?」
 男はつぶやく。歌うように。
 硬貨、刃物、指輪に紋様。魚麟、羽根、巨大な牙。近隣に伝わる民謡、泣歌、そして咲かない花の種――そのどれも、今しがた口にしたばかりの土地に関わるものであるらしい、と。
「どこから運ばれたとも、誰がこしらえたとも知れないものばかりだ。学者先生なら揃って首を振っているところだろう。だが兄弟、俺たちはあり余る想像力を土壌に憧れを育み、高波だって越えてきたかもめだ。忘れられた地の記憶とやらを、この日この晩、蘇らせてやることだって難しいことじゃないだろう?」
 旅人たちが視線を交わし合う。暗雲立ち込めるかに見えた空気も、いつしかどこかへ消え去ってしまったらしい。雪の降る音に包まれた宿には、誰かが持ち込んだものであろう、古書の匂いが漂っていた。ランプがちりりと立てた火花は、人々の胸中を示して余りある。
 ――物語。
 その想像が。
 誰の記憶からも失われた“どこか”を、蘇らせるのだとしたら――。
 ロビーにいまひとたびの静寂が戻る。満足げにうなずいて、男は「さあ」と片手をかざした。
「能ある考古学者たち、優れた 語り部ストーリー・テラー たちよ。……よければ俺に、その物語を聞かせてくれないか」