はなと花

 ねぇお父さん、やめたら?
 そんな一言で人生が百八十度も大きく変わることってあるんだ。

 むむむむ。
 思わず、可愛いピンクのフリルのついたファンシー店で小さな唸り声を漏らしちゃった。
 あ、ごめんなさい。あたし、梅里はな。小六。霊長類の雌科に属しております! 今日さ、ある人へのプレゼントを買いに来たんだけど、だめ。ぜんぜんだめ。なににしようかと考えたけども、ちっともいいのがないの。だって、人よりもでかいし、家事とかするから化粧品とかあんまりつけたくないとかぬかすし、どーしたもんだか。色気ない、飾り気もない、実用的なものが好きって、もう!
 え、具体的な説明がない? ああ、今日プレゼントをあげたくて買い物しにきたのは、うちのパパママなのよねー。
 パパママってへんな言葉だって? あたしが作ったんだもん
 パパママっていうのは、パパだけどママなの。
 うちのパパ、女の人になっちゃったの。
 
 あー、もう、いいものがないなぁ。やめた、やめた。なんか作ろう。それで適当におめでとーとか言って誤魔化しちゃおう。
 パパママは感激屋だから、実の娘からもらったものならなんだって喜ぶわよね。よーし。
 駅前のお店を出て、十分もするとあたしの暮らしてる商店街につく。
 八百屋さん、お魚屋さん、床屋さん、てくてくと歩いていると、つい夕飯どうしようかなぁって考える。
 夕飯はあたしの担当なんだよね。これでも料理、ちょーうまいんだから! けど、今日ぐらい奮発したいなぁって思うし。
 どーしようかなぁ。
 お魚が安い! やー、これは買い時だぁと思ったとき、何か柔らかなものに当たった。
 うわ。
 後ろに転げそうなとき、誰かの手があたしの腕を掴んだ。なんとなく違和感を覚えながら顔をあげると、タキシード姿の男の人。
「あ、ごめんなさい。牧野さん」
 あたしの言葉に牧野さん……この商店街の端っこで、コーヒーのとってもおいしい――あたしには苦いだけでいまいちわかんないんだけど、――喫茶店をしている人だ。
 すらーとした身長に、遠慮深く笑う顔が優しくて、言葉使いも同級生たちよりすごく洗礼されてる。
 あたしの憧れで、すごく好きな人。つまりね、狙ってる人なのだ!
「いいえ。怪我はないですか? はなさん。夕飯の買い物ですか?」
 そういう牧野さんは片手にスーパーの袋を持ってる。なにかの買い物かしら?
「そーなの! あ、牧野さん、相談に乗ってほしいんだけど、いい?」
「相談ですか? 構いませんよ。立ち話もなんですし、私の店に行きましょうか」
 このタイミングだと、そう言ってもらえると実は狙ってました。やったー。
 あたしは嬉しくてにこにこ。牧野さんは私の好きな遠慮深い笑みを浮かべて歩き出す。

 牧野さんのお店は商店街の端っこに、牧野さんと同じように遠慮深そうに建っている。前、ここは牧野さんのおばあちゃんがしていたんだって聞いた。けどそのおばあちゃんが亡くなって、二年前に牧野さんが継いだんだって。
樫の木で作られた扉はちょっとだけ重い。あたしだと両手でなんとか持ち上がるくらい。けど、それを片手で牧野さんは押し開ける。
 ちりりん
 扉についているベルの音。
 なかにはいると、すごく濃いコーヒーの匂いがする。味は苦くてわかんないけど、この匂いは好き。
 あたたかい陽射しが差し込んで、ぬくぬくとした室内。赤い丸椅子とぴかぴかのカウンター。
 あたしは当然のようにカウンターに腰かける。牧野さんがなかにはいってコーヒーを淹れてくれる。
 牧野さんがやってきた二年前から、恋するあたしは、週に一回はここに通ってる。
 え、ちゃんとお客さんしてるわよ。これでも、お小遣い、二千円。プラスお手伝い料もすべてつぎ込んでるんだから。
 パパママに事情を説明して、実は協力してもらってるんだよねぇ。
 ただの近所の子どもから、よく店にくる味のわかる子ども。まずはそこから攻めていくんだから。
 おかげで味のわからないコーヒーをがんばって飲んでる。はじめは苦いだけで、今だって苦いだけだけども、ちゃんと飲めるんだから
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 コーヒーをすする。
 うげ、にがい。
 砂糖いれたいけど、そうするとコーヒーの味がわからなくなるから我慢、我慢。味のわかる大人のレディ、目指すはレディ!
「それで、相談というのは?」
「実は、母の日なんです」
「……あ」
 牧野さん、今更の反応。すごく意外そうな顔をして、ああってまた頷いてる。え、もしかして、知らなかったの?
「そんなイベント、ありましたね」
「牧野さん、お店する人がそれでいいの? 母の日キャンペーンとかスーパーやってるのに!」
「すいません。つい……基本的な買い物は近所で事足りて、スーパーにはあまり行かなくて……そうでしたね、もう、そんなイベントが」
「牧野さん」
 あたし、正直、呆れた顔をした。
 あたしよりも、ずっと年上でしっかりしているのに、こういう抜けたところがあるんだ。このひと。
 それが乙女心をすごくくすぐるんだけど。
 けどね、お店を営業するひとが、それでいいの? いろんなイベントにかこつけてキャンペーンをやって、儲けなくちゃ! このお店はがつがつしてない優しい雰囲気があって、おいしいコーヒーと食べ物があっていいわよ? けど、あんまりにも商売気がないと心配だよー。ああん、あたしがしっかりしなくちゃ。これからはもっと牧野さんに助言しなくちゃ。
「すいません、それで、相談というのは?」
「……あたしの、パパママにプレゼントを」
「今日、差し上げるんですか? 父の日ではなくて?」
「一応、男、捨ててるから、パパママ」
 あたしは唇を尖らせる。
「会社でもоLしてるし」
「そうでしたね。母の日でお祝いしたほうがよろしいですね」
「そ。それにね、ちゃんとした女性になってはじめての一年目だから、お祝いしたいの」

 うちのパパママ――元・パパは現在、女の人としてちゃんと働いている。あれこれと難しいことをして、ちゃんと女の人の体になって、それで、会社にもお勤めしている。
 難しいことはあたし、いまいちわかんないけど、パパママは昔から男の人でいることにすごく違和感を覚えていたらしい。けど、それをずっと言えなくてがんばってきた。ママと結婚して、あたしのことを設けて、ね。
 けど、あたし、見ちゃったんだ。
 元パパが女の人の服を着てるの。こりゃあかんって思ったの。無理やりスーツ着て、優しく笑ってくれていて、がんばってる元パパがすごくつらそうに思えたの。だから小四のとき、つい朝の席でぽろりと言っちゃった。だって、そのとき、元パパ、サラリーマンしていたんだけど、毎日がしんどそうでならなかったんだ。
 んで
 元パパはとたんに泣きだした。大泣きして、パパやめる。と言いだした。ママはママで、それを聞いて仰天して、離婚騒動。
 今までの人生狂った。
 めちゃくちゃ狂った。
 表向き、平和な家をぶち壊したあたしは、めっちゃショック受けたし、苦しかったよ。
 けど、それでもいいじゃない?
 あたし、今のパパママが好きだもん。離婚したママははじめこそ怒ったり、泣いたりして忙しかったけど、今じゃあちゃっかり恋人作って、ときどきその人と遊びに来るし。
 サラリーマン辞めて、ОLしてるパパママは以前よりもずっと生き生きしてるし。

 離婚のとき、あたしは……女になるというパパママが、心配でそっちについた。
 だって壊した原因あたしだし。
 女ってものをいまいちわからないパパママが女の人になるの、失敗しないためにも協力してあげることにしたのだ。

「どーしようかーって」
 カウンターに肘をついてあたし、愚痴る。あんまり行儀はよろしくないけど、今日は一日中あっち探して、こっち探してとうろうろし過ぎて疲れちゃった。
「気持ちのまま、差し上げたものが一番ですよ」
「それが、すごーく難しいんだもん。いろいろなお店見たけど、これってものがないの!」
 あたしの言葉に牧野さんは小首を傾げて苦笑いする。
 あ、困ってる。
 恋するあたしには、牧野さんの微妙な表現がちゃんとわかるのだ。だめだなーって自分の無遠慮さに落ち込む。
 けど、けど、うーん
 頭が痛くなってきたー。
「じゃあさ、牧野さんが人生でもらった、すごくいいものってなに?」
「それはプレゼントですか?」
「そう!」
「そうですねぇ」
 考える牧野さん。やばい、そんな顔を素敵!
 思わず見惚れちゃうあたし。パパママ、ごめんなさい、恋する女の子は親より好きな人なの!
「あげた、ほうならありますね」
「あげた?」
「小指を」
 にっこりと笑う牧野さん。
 あたしはぎくりとした。

 牧野さんには小指がない。右手の小指。根っこからなくてどうしてなのかなって思ってた。けど、牧野さんはそれについて何も言わない。だからみんな知らん顔してる。ときどき噂で元はヤクザだとか、事故だとか……
 やくざだろうが、事故だろうがあたしは、そんなことは気にしないんだけどね。
 いつか聞きたいとは思ってたの

「もともと、音楽をしていたんです」
「音楽を?」
 知らないことが知れて嬉しくて、つい声が高くなる。
「はい。チェロを……けど、才能がなかった。お前のチェロは質素だなと言われて、大変、恥ずかしかった。音楽とは心です、それもむき出しの、それを晒せないのは恥ずかしいことです。むしろ、音楽をしている資格すらない、といっても過言ではない。音楽とは情熱であり、胸打つものなのですから、それは心を捧げなくてはいけない」
 淡々と。けど、すごく熱心に語る牧野さんにあたしはまたしても見惚れそうになった。
「私には、それができなかった。かっこつけだったんですね。そんな私は音楽を嗜んでいた学生のとき、オーケストラの苦手なヴァイオリン弾きの女性と知り合ったんです」
「オーケストラが苦手?」
「オーケストラは大勢の人間が一つの音楽を作り上げるものです。そうですね、調和が必要なんですよ。それが出来ないのはなかなかに難しい。ただ私はそんな女性が好ましくて、よく一緒にいんです。彼女と付き合っていたんですが……二股されていたんです」
 なんですって! こんなかっこいい牧野さんがいながら二股! ああ、けど、牧野さん、別の人と付き合ったことあるんだっていうショックがどーんと胸にくる。うう。
 もう二重、三重にショック受けて、あたし、てんてこ舞いだよ。
「それで相手の男性に突き落とされたんです」
「へ」
「正確には二股をもう一人の男性が気がついて、殴り合いの喧嘩になったんです。私は驚いて待ってほしいといって、そのときに殴られたんです。それがたまたま階段で落ちてしまって」
 おいおい、それは大変だろう!
 あたし、唖然として聞いているのに牧野さんはくすくすと笑う。笑うところなの、それ
「それで、小指が折れて使い物にならなくなって、切ってしまったんです。それで音楽を辞めて、祖母がこの店を残してくれて」
 ふふって笑う牧野さんにあたしは何も言えない。
「私はね、それで」
ベルの音が聞こえてきた。振り返ると、すらりとした女性が立っていた。
「お久しぶり、牧野さん」
 わ、きれいな人。すごく儚い雰囲気がお上品な……この元気いっぱいな商店街ではあんまり見ないかんじだぞ
 きれいな人はすらりとカウンターに腰かけて、牧野さんに笑いかける。
「二年ぶりね。あなたは元気でしていた? 私ね、今月、結婚するのよ。それで……来たのよ」
 笑いかけるきれいな人が一方的に話す。ちょっと、ちょっと、あたしのこと見えてる、この人!
「そうですか。おめでとうございます」
 笑って返事する牧野さん。
「……あなたは、笑うばかりね。私が、あなたから小指を奪ったときもそんな風に笑って許してしまって、あなたって本当に薄情ね」
 なんなの、ものすごく、ものすごくいやなかんじ。
 あたしがむすっとしているのに牧野さんが小さく肩を竦めた。
「そう、おっしゃられても……これが私の素ですから。ただご用件が終わったら、さっさとお暇してください。もちろん、注文も受け付けますが」
「客じゃなきゃいけないの」
 しつこい!
 あたしが思わず怒鳴ろうとしたとき
「ここにはお客様しかいませんよ。あなたも、そうです。なにより、他にもお客様がいるのに、それを無視してご自身のことばかり語るのはあまりスマートとは言えませんよ」
 牧野さんの言葉にきれいな人はようやくあたしのことを見た。はじめて気がついたっていう顔してる。
 な、なによ。その顔は!
「子どもじゃない」
 かちんときた、いまものすごく、かちんって
「いいえ、お客様です。私のコーヒーをおいしいと飲んでくださる。……私は、ただの喫茶店のマスターですよ」
「……つまらない人になったわね」
「コーヒーがおいしいわ!」
 とうとうあたしは声を荒らげた。何がつまらない人だぁ!
 あたしの声に驚いた顔をするきれいな人を睨みつける。ふん、だ。あたしはレディよ。立派なね。だから遠慮もするし、空気だって読むわよ。けど、そういうことのできない人相手にあたしだってそれ相当の対応をするんだから。
「コーヒーがおいしくて、優しくて、遠慮深くて、すごーく素敵なんだから! お店はお金を払わない人はお客様じゃないの。そういう人はいたら迷惑よ」
「失礼な子ね」
 睨まれてあたしは一瞬たじろぎそうになって、すっと腕が伸びてきた。小指のない手。
「私のお客様に無礼なことはしないでください」
「牧野さん、まだ怒っているの、二年前のことを」
「怒る? いいえ。私は一度も怒ったことはありません。ただ、今、はじめて悔やんでいます。あなたに小指をあげたことを……これ以上、私を失望させないでください」
 牧野さんの言葉に、きれいな人は言葉を失くして悔しげに下唇を噛みしめると、お店を出て行った。
 牧野さん、じっとそれを見てる。あたしは、そんな牧野さんを見てるしかできない。
「すいません。なんだか、いやな思いをさせてしまって」
「ううん。いいの。護ってくれて、ありがとう」
 あたしの言葉に牧野さんが困ったように笑う。
「小指をなくしたの、いいことなの?」
「……私はきっと音楽では生きてはいけなかった。自分を出せないから、けれど指を無くさなければ諦められなかったと思います。今は、失くしたことが得たもの……それが先程の女性には感謝していることです。ね、はなさん、きっと、あなたのお父様も、いまはお母様ですが、はなさんからの言葉によって変われて、それが一番のプレゼントなんじゃないですか?」
 そうなんだ。そうだといいな。けど、母の日は母の日であげるんだから、毎日ありがとうって。
 いっぱい感謝のプレゼントを重ねて、重ねて幸せにしていくんだから
「あのね」
「はい?」
「あたし、気にしないから、どんなことも」
「……はい」
「あと、女の趣味、さいあくー」
「若かったんです」
 牧野さんがお詫び、と口にして奥からレアチーズケーキを取り出してくれた。真っ白い雪みたいな表面に、ブルーベリージャムが少しだけ滴り落ちてる。
「お向かいのケーキ屋さんが新作だって、買って来たんです。どうぞ」
「わぁ、いただきま……そうだわ。靴にする! うちのパパママ、すごくがんばって働いてるから、靴が傷むの速いの。それでパパママね、運動靴履いてるんだけど……ねぇ、本当はね、可愛いの、好きなのよ、あたし、知ってるんだから!」
 得意顔で告げるあたしに牧野さんが笑った。
「それは、きっと素敵なプレゼントですね」
 よーし、ケーキを食べたらお向かいの靴屋さんに行こう。



見たよ!