「……ここはどこですか?」
 見たこともないその服と、この世界ではありえない瞳と髪の色に、男は言葉を失うほかなかった。
 ――魔術により発展したこの国で、男は随一の魔術使いであった。多忙な日々に辟易していた彼は、この日気まぐれに書物の紐をほどき、たまたま目についた魔術を行使したのだ。けれどざっと目を通したところその魔術は過去成功した試しが一度もないもので、本来の力の半分も込めていないただの戯れ程度のものだったのに。……『異世界からモノを召喚する』魔術なんて成功するわけがないと、思っていたのに。
「あの、聞こえて、ますか?」
 再びの少女の呼びかけに、男はハッと我に返り、なにを言うよりも先に深く深く、頭を下げた。
「すまない。……まずは事情を、説明させてほしい」
 男はこの国がそれまで少女が住んでいた世界とは別の次元にあることや、召喚できてしまったのはまったくの偶然であり元の世界に戻る術がないことなどを説明した。そうして最後に、元の世界へと戻すことができない代わりになにか望みがあるならなんでも叶えようと締め括った。
 だがしかし当の本人はといえば、ただただその瞳を瞬かせるのみ。その様子に、見たところ十五、六にしか見えない少女はきっと話を理解するまでに至っていないのだろうと予想した。
「元いた世界に家族も友人もいただろう。本当に、申し訳ないことをしたと思っている」
 自分の気まぐれが引き起こした事態は、到底償いきれるものとは思えない。身一つで住み慣れた世界と引き離された少女に、男はなんでもしてやる気でいた。
「還してやることはできないがそれ以外ならなんでも、」
「謝らないでください。わたし、別に気にしてませんから」
「…………は?」
 怒りも悲しみもなにもない、淡々とした言葉に男は間抜けにもぽかりと口を開けた。
「わたしは両親を事故で亡くしたばかりなんです。それに友人もいませんし、元いた場所に未練はとくにありませんから」
 むしろ心機一転、まったくの新しい場所で始められることが有り難いです。そんな少女の外見年齢にそぐわない物言いに、男は二の句が継げない。
 男の知るその年代の子というのは、常識やマナーといったものを備えながらもどこか我が儘な気質が抜けない大人数歩手前の子供だ。それもこの少女は天涯孤独の身になったばかりというではないか。哀しんでいるどころか、両親を亡くした子供の風には思えない。
「……だが、」
「あ、でも御願いはあります」
 被害者である少女は加害者である自分よりもよっぽど現状を受け入れ、冷静に物事を考えている。男は筋違いとは思いながらも、不憫なものだと静かに憐れんだ。
「わたしにこの世界で生きていけるだけの知識を教えてほしいこと。あと、それまではどこか隅っこでいいのでここに置いてもらえると有り難いです」
 どんな理不尽にも応えようと構えていたつもりが、少女が願い出たのは理に敵いすぎているこちらが保証して当然のものばかり。男は至極当然のようにうなずく。
「それはもちろんだ。非は完全にこちらにある以上、それくらいは言われずとも保証する。望むのなら、生涯ここで暮らせるよう手筈も整えよう」
 それ以外にはなにかないのかと問えば、少女は困ったように眉を下げてとくに思い浮かびませんと弱りきった口調で答えた。
 互いに黙り込み、しん、と室内は静まり返る。男は魔術を使うに際して人気の一切ない地下一室に引きこもっていた。故にそこへ誰かが入ってくることもないために、その沈黙が第三者によって破られることはない。
「……」
「……」
 どう破っていいものかわからない沈黙の中、少女があっ、と小さく声を上げた。無論男がそれを聞き逃すことはなく。 「なんだ、言ってみろ」  そこまでほとんど変わることのなかった表情が、ようやく変わる。うっすらと頬を染め、言いづらそうに、恥ずかしそうに最後の願いを少女は口にした。 「……庭があるなら、そのお世話を手伝わせてほしいのですが」  些細すぎるほど些細な願いに、男が首を横に振るわけがなかった。



 ――そこで働く多くの者たちは、ある日から突然男の傍で見慣れぬ少女の姿をよく見かけるようになった。
 様々な憶測が飛び交ったのも初めの内だけ、すぐに男の口より少女のことが説明され、決して不便をさせぬよう言い付かる。そして少女自身と関わっていく内にその明るさと優しさに触れ、自ら彼女のことを受け入れるようになっていった。



「お出かけですか?」
「ああ、……夕刻には戻ってくる」
「そうですか、いってらっしゃい。王様」
 王と呼ばれたその男。少女を召喚してしまった男は、国随一の魔術使いであり、この国の王であった。
 王は自分を見上げてくるまだ幼げな風体の少女に視線を落とす。少女はこちらに召喚された時に着ていた不可思議な着衣のまま。訊けば「せーらーふく」というものらしいが……、この世界についてわからないことが多いうちは目印代わりにこれを着て生活するようだった。
「大人しくしていろよ」
「わかってますよ、王様」
 少女はそれに笑ってうなずく。不便も不満もないと言わんばかりの晴れ晴れとした曇りない顔で。
 彼女がここに来てからというもの、王が相手をしてやれる時間は限りなく少ない。だがその間少女は王がつけてやった家庭教師から文字や一般常識程度の歴史を学んだり、庭師の手伝いをしたりしているらしい。自分の視点からでは思いもよらない意見が飛び出ることもある少女のそんな報告を聞くことが、最近ではすっかり憩いの時間のひとつになっていた。
「今日は王様が帰ってくるまで庭師の方のお手伝いするんです」
「そうか、……あまり無理はするな」
「はいっ」
 遠くで、「行きますよ、陛下」という宰相の王を呼ぶ声がした。そろってそちらを見た後、二人の視線がふと交差する。
「……じゃあ」
「お気を付けて行ってきてください」
 珍しくふっと口角を緩めた王は、少女の頭をくしゃり、撫でる。それに彼女はくすぐったそうに肩をすくめて目を細めた。
 踵を返した瞬間、王の表情は少女にはいまだ見せたことない上に立つ者のそれへと変わり、その後に宰相が控える。政務以外の会話はほとんどしない二人の間には当然沈黙が流れ、それは延々続くと思っていた。が、その宰相が意外にも沈黙を破る。
「陛下はとくにあの少女を気にかけておられるようですね」
 宰相と少女が直接会話を交わしたことはまだない。互いに遠目から互いを認識する程度だ。政務に関わってこない以上、宰相から少女にコンタクトを取ることはきっとない。政務を滞りなく進めることを第一にする宰相がそれ以外の、とくにプライベートに関することに口を挟むことは珍しいどころかほぼない。
 陛下は内心驚きつつもそれを表に出すことはなく、脳裏に少女の姿を思い描く。
「…………非は完全にこちらにあるから、な」
「本当にそれだけですか?」
 ぴたり、後ろをついていた宰相の言葉に王の足が止まった。肩越しに振り返った彼は、胡乱げな顔でにこやかに笑み続けている宰相を見つめた。
「どういう、意味だ」
「いいえ、なんでも。それよりも早く行きませんと、帰りが遅くなってしまわれますよ」
 この宰相を務める男は、滅多なことではその顔から笑みが剥がれ落ちることはなく。故になかなかに真意を他者に悟らせることがない。仕事のパートナーとしてはこの上なく頼りになる相手だが、こういう時は非常に厄介だと感じる。
「陛下」
「……わかっている」
 その笑みの下に真意を隠し語ろうとしない宰相は、きっとどれだけ粘ろうとも明らかにはしないだろう。王は諦めたように一度だけ瞼を落とし、前を向いて再び歩を進めた。





「予定よりも随分早い帰りになってしまいましたね」
 馬車から下りた王にかけられた言葉に、彼は横で控える宰相に一瞥をくれる。
「それも仕方ありませんけどね。訪問予定の小さな孤児院がひとつ、報告もなしに潰れてしまっていたのですから」
 代わりに処理しなければならない書類が何枚か増えたではありませんか、と。小さくこぼれた文句を王は聞き逃さなかったが、それをやるのは俺だろうという反論は内だけに収めておいた。
「それで陛下」
「……なんだ」
「例の少女、まだ庭師の手伝いをしているそうですが」
「…………それがなんだ」
「多少でしたら時間を作ることも可能だという意味ですよ」
 執務室に向かうため階段の一段目にかけられた足が止まる。そのままの体勢で微動だにしなかった王は、しばらく後に階段から足を下ろした。
「長居は困りますので」
 ついては来ないらしい宰相に刺されたさりげない釘に、王はわかっていると言わんばかりに小さくうなずいた。
 そのまま足を庭へと向けた彼がようやく目的の少女を見つけたのは、普段決して立ち入ることのない庭の端だった。彼女は花壇の前にしゃがみ込んだまま、ごそごそとなにかをしているようだった。王が近づいたところでまったく気付く様子がない。警戒心の欠片も抱いていないことが窺える。そう過ごせるようにしているとはいえ、王という立場上狙われることも少なくない彼はなんとも複雑な気分だ。
 だがそうとは知らない当の少女はといえば、鼻歌を口ずさみながら花壇の草むしりをしていた。こちらの世界には鎌などといった便利な道具はなく、ひたすらに手でむしるしかない。地道な作業すぎて嫌がられそうなその作業も、彼女にとってはなんの苦でもなかった。
「……だいぶキレイになりました」
 花壇の横に詰まれた雑草の山を見て、少女は満足げに呟いた。
 広い庭の片隅にひっそりとあるこの花壇は、庭師でさえもいつ作られたかわからないらしい。雑草がこれでもかと生えたそこを見つけたのは少女だった。美しく整った庭のそこだけが悪目立ちしているように彼女には見えたのだ。だから彼女は庭師にこの花壇の手入れをさせてほしいと庭を管理している庭師に恐る恐る申し入れたのが、ほんの数時間前のことだった。
「この世界の植物、もっと教えてもらわないと、っ、んんっ……抜け、たぁっ!?」
 なかなか抜けない手強い雑草を思いきり力を入れて引っ張ったところ、抜けたには抜けたのだが勢い余って尻餅をついた。あいたたた、と結構な衝撃に痛みの声を上げる。
「……無理はするなと言ってあっただろう」
 呆れたような声と、両脇に誰かの手が差し込まれふわりと持ち上げられたのはほぼ同時だった。少女はきょとり、瞬きする。
「あ……、おかえりなさい、王様!」
 宙から下ろされ両足が地につくと少女は後ろを振り返り、笑みを浮かべる。その頬にうっすらと土がこびりついているのを見つけ、王の表情は呆れの色がますます濃くなった。
「怪我はないのか?」
「大丈夫です、転んだだけですから。それよりも王様、」
 王はなんだ、と軽く首を傾げる。対して少女は少しだけ拗ねたように頬を膨らませた。
「あの持ち上げ方はさすがに子供扱いしすぎです。この世界ではわたしはもう成人しているのでしょう?」
 十五、六だと思っていた少女は実は十八で、この国では成人を迎える年齢だ。子供扱いは間違っているとわかっているのだが、どうしてもその外見につられてしまうのだった。
「…………すまない、つい」
「……ふふ、王様だから許してあげます」
 頬に土をつけたままくすくすと小さな笑い声を上げ、少女は服についた汚れをはたく。その様子はすっかりこの世界になじみ切っているようで。
「……なにか困ったことはなかったか?」
「いいえ、今日も困ったことはありませんでしたよ、王様」
 王はただそうか、と返すことしかできないでいた。
「……そうだ、王様はどんなお花が好きですか?」
 少女に対してなにもできない、それが積もる罪悪感をさらに積もらせている。けれどもそれを少女にだけは悟らせないよう隠す王に、彼女は無邪気に微笑みかけた。
「花、か?」
「ここの花壇、庭師さんに好きにしていいって言われたんです」
「……なら、お前の好きな花を植えればいい」
「だってわたし、まだこの世界の花のことそんなに知らないので、」
 えへへ、と。少女は庭の手入れを手伝わせてほしいと申し出た時と同じように、恥ずかしげに頬を染める。その様子に王の口角は知らず緩む。これがもしどこかの御令嬢ならば適当に受け流して終わるだろうに、彼の口から出たのは問い返しの言葉。
「お前が、」
「はい?」
「……お前が好きな花はなんだ」
 問われてすぐは驚いたように目を丸くしただけの少女は、次の瞬間にはふわり、満面の笑みを浮かべた。
 少女はよく笑う。宰相の末恐ろしさすら感じさせるようなものとは違う、周囲に伝染するような穏やかな笑みを。それを見るたび、王の心はふわり、軽くなる。それは彼がこれまで感じたことのない感情。だけどその感情を不快に思うことも疑問に思うこともなく、不思議なほどただ当然のように受け入れていた。
「わたし、イワタバコっていう花が一番好きなんです」
「イワタバコ? それが花の名前なのか?」
「はい。まるで小さな星みたいな花なんです!」
 王様にもぜひ見てもらいたいくらい、神秘的な花なんですよ。少女の言葉は深く王の脳裏に刻まれ、見ること叶わないとわかっていながらもイワタバコという名のその花にひどく、興味を引かれた。



◆◆◆



 少女が王の元で暮らすようになってからひと月も過ぎた頃。多くを学び、ここを出ても暮らしていけるだろうと思われる程度にはなった彼女。最近では城下の娘が着るような服を着ることも増えてきた。
 そんなある日、王は久々に政務をさぼって庭に出ていた。少女が来る前は度々抜け出すことはあったのだが、彼女が来てからはこれが初めて。別にそれに深い意味はないけれど。
「……書類仕事はあまり向かないんだがな、」
 ぼそり、呟きは風で揺れこすれる葉の音で消えていく。
 ふっ、と息を吐き出した王は、しばらくは見つかることなく休憩できると思っていたのだが。
「あ、王様、見つけました」
 そんな飄々とした声と共にひょこり、茂みの隙間から姿を表した少女に驚き、王は言葉を失った。普段なら家庭教師と図書室にこもっている時間帯ではなかっただろうか。
 しかし彼女は王の驚きを気にした風もなく、見つかってよかったです、そう胸を撫で下ろしていた。
「宰相さんに頼まれたんです。脱走犯がいるので捕まえてきてください、って」
「脱走犯……」
「面白い方ですね、宰相さんって」
 他意もなく笑う少女に、人を脱走犯扱いした宰相に対する毒気も抜かれ、王は一瞬だけ表情を崩すとその場に立ち上がる。今日は少女に免じて戻ってやろう、と。
 隠れていた茂みを出て歩き出そうとした王はふと思い立ち、立ち止って隣を歩こうとした少女を見下ろした。彼が止まったことで同じように止まった彼女の見上げる視線と、交じる。
「……何故、ここだとわかった?」
 王が隠れていた茂みは、少女が任されている花壇がある場所とは反対の方に歩くことになる。
 彼の疑問に少女は数秒考え込んだ。
「強いて言うなら勘で、」
 それから、そう続けた少女はスッと腕を上げる。
「あの花が、教えてくれました」
 彼女の指差した先。隠れていた草むらの脇にぽつりと咲いた薄水色の花。言われなければ見落としそうなほどに小ぶりの見たことのないその花を、嬉しそうな顔で彼女は見つめる。
「以前お話しした好きな花の話を覚えてますか?」
「確か、……イワタバコ、だったか」
「ええ。でもこれはイワタバコによく似ている、この国に咲く花です」
 庭師の方に教えてもらったんです、と。彼女はいつも以上に嬉しそうに笑っている。自分が王になりかれこれ数年経つが、自国にこんな花が咲いていることは知らなかった。
 偶然目について、ふと後ろの茂みのぞいてみたら王様がいたんですよ、と。少女は驚く王を見上げた。
「それよりも王様、こちらへいらっしゃってください!」
 呆然とその花を見つめていた彼の手を引いて、少女は駆け出す。早く早くと前を行く彼女を、彼は少しばかり体勢を崩しながらもついて行く。
「っ、おい、どこに、」
「宰相さんから見つけられたら御褒美にって、少しだけお時間頂いたんです! でもあまり迷惑かけられませんから、王様も急いでください」
 問いに対して明確な答えを得られぬまま、少女の手により開け放たれた連れて来られた扉は彼の私室に繋がるもので、そこに入ることを許された者はほとんどいない。いったいなにがあるのかと考えた彼の予想を、彼女は良い意味で裏切ってくれる。
「……これ、は…………」
「庭師の方がこの花がたくさん咲いている場所を知っていて、わざわざ落ちたばかりの綺麗なものを拾い集めて持ってきてくださったんです」
 床いっぱいに広がる薄水色の花を横目に彼女は笑って、その中へ飛び込んでいく。拾い上げふわりと宙を舞わせるそのはしゃぎようは嬉しそうで、幸せそうで。
「ほら、星屑みたいでしょう?」
 くるり。数日振りに見たセーラー服のスカートを翻して彼女がその場で回る。起きた風で小さな花はふわりと床近くを舞った。
 いつもは空高くあり手を伸ばしても触れることの叶わない星屑が、この時ばかりはすぐそこに。多くの人が子供の時分に一度は焦がれるであろうものが、すぐそこに。
「……ああ、キレイだな」
 眩しそうに目を細めた彼の言葉に彼女はまた、笑った。



 ――薄水色の五枚花弁。まるで星屑のような形のその花の名を、この世界では「アマデトワール」と呼ぶ。



見たよ!